| ざわめき | ||||
あるでしょ、静まり返った湖面がざわざわっとざわめきたつ、不安にも似た感情が湧き立つ瞬間を...。言葉に出来ない何か、違うと思う何か、分かったという何か、そうだと思った何か、ピンと来る何か、見切ったと思うその何か、見えない何かにかき立てられる不安以前の何か、...そんな言葉にならない塊を眼にするときにざわめきが起こる。そんな塊には、光が良く似合う。
さあ、魔物を焼きはらおうぞ。
ここにあるのは、私が勝手にそう思っているだけのことだ。決して、正しい訳じゃないが、正しいこともある。
物事は、解釈次第で善にも悪にも正常にも異常にも何れにも変質するが、事の本質は何ら変質していない。
| より深い昏迷の世界へ 03.2.15 |
生きよう、生きよう、とするから気が沈むんだ、あがくんだ、死を選ぶんだ。 生きようなんて考えてない輩たちの無邪気さを見るがいい。 大抵の人は生きようなんて考えちゃいない。 生きることから逃避して、死を忘れるための現実離れした行動にはしっている。 だから、死なんて微塵も考えない逃避といった形をとる。 一理、それでもいいと思う。 生きること、これには強くとか、真っ直ぐとか、真っ正直...そういった意味が含まれている。 「人生を半分降りる」とは、中島義道先生が「不幸論」(PHP新書)で語った弁。 だから生きないことを目指す。別に、死のうって言う訳じゃない。 生きる死ぬといった(一)次元世界を超える、そういった尺度、概念を消すという試みだ。 生きる(+1)足す死ぬ(−1)イコールゼロのことだ。だから気も沈みもしないが、浮きもしない。 そうそう、浮くやつは沈むんだ。 |
| とっても感傷的 ’02.12.15 (あ、そうか、酔っ払って起きたら15日。酒くらい飲めるようになれよアンポンタン共) |
このまま頭が吹っ飛べば、此れほど楽なことはないだろう。そこで、何故自分の心が、頭が吹っ飛ばないか理由を考えた事はないか?。 所詮、生きる理由、この世を生き抜く理由は、他人によって齎されると云うことだ。「自分のために」とか言う文言には気を付けろよ、それは全く持って大嘘だ。自己の存在理由(価値)は他人によって齎されるんだから。だから、己一人なら好きなように振舞えると言うことだ。この世界に己一人なら思った様に生きられると言うことだ。頭吹き飛ばそうが気が狂おうが死のうが、この世界に己一人なら好きなように生きられるって事だ。頭が吹き飛ば、死なないのは誰かと繋がってるって事だ。誰にも迷惑掛けたくないでしょ、ねっ。 そういった生きる理由やら、存在理由、価値を与えてくれる人を大切にしましょってことだ。 |
| 存在価値とは何か ”02.12.15 |
道路工事の叔父さんと総理大臣の存在価値は同じ。(でも、そう表現した以上、私は何か気にしているのかも。)何故なら、道路がなくても総理大臣がいなくとも困るから。よって、存在価値を問うことは、無意味。万人には価値があり、ゆえに同時に価値がない。 価値を'語ったものは、その価値に泣き、上だ下だと嘆くもの。例え「上だ」と言えたとしても、社会背景がそう表現したとしても、所詮「下だ」と言っているに等しい。いわば、上下を気にしないものは上下を表現しないもので、上下を表現したものは上下を気にしているのだ。あははは、大笑い。 「私は、○○○を気にしていない」とは、「○○○を気にしています」に等しい。大笑い。気にしいないものは、通常表現できないし、しないのだよ。そこにスコープする、それを表現する以上、貴方はその事が気にかかっていると言うことなのだ。コンピュータ世界の、ウィトゲンシュタイン世界の、四原則に等しい。全く何もない、と両方あり、と何れかあり、と何れかなし。両方ありと何れかありと何れかなしは、同じ世界。 あんたがそこへスコープ(数え切れないほどある表現の内の一つを表現)するなら、所詮その罠に嵌っているのだよ。我々は、投影の罠へはまらずしてこの世界を語ることは出来ないのだから。 全ては、投影なのさ。 分かるだろ、神経症だなんだかんだと下らない診断を下すこの現代の医療が、どういった価値観の上に成り立っているか。全ては一言に集約されてしまうんだ。だから恥ずかしやがらの紳士淑女諸君は、何も語りたくなくなるのさ。寡黙さは必然なのさ。 よって、かなり飛躍し、存在価値とは無意味を語ることだ。存在価値に意味(価値)はないんだ。 存在価値を語っているやつには気を付けろ。 |
| 想像力の嘘 ’02.12辺り |
創造されたものは何もない。全ての創造は、事実の断片の組み合わせ。事実を如何に細かく分けるかが、創造性を育むのだ。 |
| 世界一般 (’02.12辺り) うーん、脈略がない。 こういう文章は、後で読むとさっぱり何が言いたいのかさっぱり分からない。 |
【価値】 元来、人などに価値は無い。自分が無価値だとか、役立たずだとか、そう思えるなら貴方は逆説的に素晴らしい。いわば、本当の意味での自分の価値を見出すには、自分の無価値さに如何に気づくか、無価値さを認めるかってことなのだ。そんな過程を得ず価値や意味を見出したならば、単なる自己満足か、ただの逃げ理論だ。そんな価値や意味などたかが知れている。たとえそれが、弁護士だろうが、医者だろうが、総理大臣だろうが。役員だろうが、看護婦だろうが、娼婦だろうが、それは逃げの上に成り立った価値観、コンプレックス(複合体)の塊だ。そして現代もまた、まだまだそういった逃げの上に成立している。 実際問題、私は私でしかない?。少なくとも他人より有能、他人に喜んでもらえている、なんて根拠なく思っているなら気を付けろ。 どうやっても、「俺って、私って、無能」と思えるなら、貴方は実に運がいい。見込みがあるってことだ。如何に自己を、自信を、捨てるかが、自己の確立と、自信のなさの破壊に繋がるんだ。隔たり二極化した思考(コンプレックス)の統合に繋がるんだ。負的要素の思考を破壊できるんだ。どうみたって、ある結論が引き出せない時、決まって何かに偏って価値が与えられている。第一、なんで貴方に価値が与えられているのか不思議に思うのだ。どう見たって「私には価値がある」と思っている人を見てもその理由が見当たらないのだ。(所詮、私が価値の罠に嵌っているかも知れないがね) 論拠のない自信は、ただのエゴだ、ただの傲慢さだ。根拠ある自信、実績ゆえの自信、確たる確固たる揺るがない不動の石であるかのような、石ゆえの不変性を持った確固たる自信を身につけたいね。 【許し】 でも決して、他人が持っているエゴゆえの自信を見下したり、その無能な自信を責め立てたりするなよ。自分自身へ降りかかってくるぞ。あなた自身が、見下されているかのような、責められているかのような、錯覚に陥るぞ。 だから、そういうときこそ許しが重要なんだ。だから決して見下したりしてはならない。 「ちょっとくらい、汚いほうが、いい加減なほうが、いいんだ」と思うことだ。あまりに潔癖的(論理的、厳密、正確、完全、自己の感情に偽わって)で許しのない考え方に陥ると、皆、敵に見えてくる。皆、責め立ててくるように見えてくる。何時かやられるんじゃないかな、って見えてくるんだ。何故って、潔癖的とは、完全主義的で、完全さを追求している。完全なものには罪がない。何故って、完璧な人は完全で善良でしょ。だから完全さには罪がない。正確なものには寸分の罪もない。だから完全さなり正確さを追求するものは、罪から逃げられないのだよ。思考の中の完璧な完全な(思考世界(イデア界)には角度90°を作るれるが、現実には完全なる角度90°は作れない)住民は罪の一切持っていないが、所詮我々は現実世界に生きるもの。我々が完全さを追求しようとすると、必ず罪の概念が付いてまわるのだ。だから、許しが必要なんだ。ちょっとの悪を認める必要があるんだ。無論、俺が一番乗りでその悪を見つけた訳じゃないがね。 外界の人が敵に見えるか、味方に見えるかは、実は貴方のあなた自身への許しの程度であり、アイデンティティー確立の程度であり、これらは同様に他人への許しの程度であり、他人への許しは実は自分に対する許しでもあり、これらはちょうど一致するんだ。この世に存在しているのは己だけなのだ。他人は己のコピーなのだ。だから、許しは重要なんだ。 【こころを捉える】 だから、私が見ている、私が見て取れる心情やら心の動きとは、120%機械的代物なんだよ。 じゃあ、どうしたら他人が捕らえられるかってぇ?。俺も苦労したさ。生まれてこのかた捕らえたって思えたことは、今までこれぽっちも無かったさ。何か他人と隔たっている、繋がっていない、と今までずうっと思ってきたんだから。だから、通常意識されている私はそれを知覚できなくとも、私の、人の深層意識は、人間本能は、もっと繋がれる、もっと理解しあえることを知っていたんだ。捕らえられないとは、捉えられる、と同意なんだ。 他人を理解するのはそりゃ難しいさ。なにせ自己と他人は完全に隔たっている訳だから、こいつらの頭の中は俺と同じなのか?ってずっと思ってきたさ。でもさ、隔たっていると感じたのは、実は、自分と自分の心情に対して隔たっていたってことだ。実は、他人が捕らえられなかったのではなく、あまりに潔癖的に物事見ていたので、一切の己の感情を無視していた、論理的に考えすぎていたってことだ。だけど決して、頭のいい子供ではなかったけどね。まあ、小中高の成績は、真ん中ちょっと前と言ったところだ。 もとい、俺は自分が何を感じているかあえて無視していたって事なんだよ。いやだといった否定的な感情を無視して、論理的に肯定的にやらねばと考えていたんだ。そうすると、それだけで自己の感情に偽ることになる。努力や論理的な肯定家も重要だけど、それだけでは自己の心情に対する最大の偽り家だ。そのうちバランスを欠いてしまう。 要するに他人を捕らえるには、まず、自身の心情を理解することが先決なんだ。そして、自分の微塵の嘘も排除できるようになると、他人の言動を自分自信が発言するようにシュミレートでき、その心情が理解できるのだ。そして、とことん自分に正直になると、より深い世界が哲学が見えてくるんだ。今まで、難しかった物事が何となく理解できてしまうんだ。難しいものが楽しくて仕方なくなってくるんだ。 だから、やっぱりここでもまた、許しが重要になってくる。厳密に考えることを止めて、自己の内動を受け止めるんだ。上手くいけば実りは大きい。なにせ、今まで捨てていた情報を有効活用しようって言うんだから、情報の洪水が起きる。なあに、心配することはない。今まで得た知識を有効に使うんだ。それさえ持っていれば、酩酊した混乱状態を微塵も味わう必要はない。私は、少なすぎた知識のおかげで、若干その混乱を味わっているがね。 時折、今の知識が役立たないこともある。特に、現代に横たわっている一般的な常識は危険だ。苦悩は常に現代の価値観と根源的な人間本能が所持する価値観との間に起きる。苦悩に惑わされるときは、自分を信じるんだ。自己のより深い内動、人間本能に120%従うんだ。自己が所持する迷いや混乱から逃れるには、自己を捨て、知識と内動をとことん信じることだ。迷いや混乱苦悩は自己が所持するものだ。そういったことを信じさえすれば、オカルト的な世界に取り付かれることも、混乱の渦に陥ることも、はたまた自我拡張することも、自分が崩壊すると恐怖に慄くことなく、無事とは言わないまでも一応平穏な日々を送れる筈だ。何故って、自己なり自分を捨てる訳だから、同時に迷いも捨てられる。本能なり魂の赴くままに生きられるんだ。厳密な人にはエゴは危険なんだ。 確かに、現代に横たわっている一般的な常識と言われる物は、かなり危険だ。現代のと言うよりは人類史の中にあるその一例は、基本的常識として人を殺してはならないと言うルールだ。このルールは結構HPやら一種の哲学好きの人間たちの中では結構もてはやされていて、時折殺してもいいんだと言った意見さえ見受けられる。時として、何故殺してはいけないのか?といったナンセンスな質問すらある。一応持論を述べさせてもらえば、これは単なるルールで善し悪しの問題ではない。ルールを犯した者は裁かれる。だから、ルールを守る。これだけである。人を殺すことに快感を得ようが、罪悪感を覚えようが、人間として屑だとか、そんなことが問題なのではない。社会の1ルールを守る。それだけである。だから、ルールを破ることでのみ、それは罪であり、悪なのだ。ゆえに、殺人は、悪だ。善悪とは、基準があって初めて、善か悪か判断できるのだ。人を殺さないことが、直接善を意味しているのではない。事実、生贄の儀式は善だ。ルールを守る事が善なのだ。ただし、人を殺すとは、法を犯すと言った意味で、悪なのだ。だから、行為を伴なわない殺人や死に好奇心を持つことはちっとも悪いことじゃないし、すでに数々の文学がそれを示唆している。だからといって、文学好きに「殺人は好きか?」と尋ねても、「おれは異常者じゃない」と二極化した回答しか返ってこないだろう。 ...てな訳で、私は自分が崩壊するなどと狂気に陥ることなく、ましてや他人を傷つけるのではと恐怖に慄くこともなく、一応平々凡々と生きていけるのさ。 もう一つは、性別の問題。人間は余りにも性差を大きく捉えすぎている。男と女を強く意識しすぎている。「私は女なんだから、男性の視線を引くため綺麗でないといけない。」、男は「男は強くあられねばならない」と思い過ぎている。そうなるとどんどん、どんどんあらぬ方向へ進んでいってしまう。人以外の哺乳類を見てみればいい。犬、猿の外観は雄雌でさした差がない。ボス的存在は別にしても、雄雌間で行動に差がすくない。人間のように、性のイメージ像を持っていない。その点、人は性のイメージ像を膨らませすぎている。自己に代わる性の強いイメージ像を作ったのだ。自己以前に性別が確固たる位置を持ちすぎたのだろう。女性は化粧をし髪を伸ばし、男は髪を短くしひげを伸ばしタバコを吸う。これが男と女の基本的イメージだ。男性性、女性性は、自己じゃない。自己に性差はない。「私は...」が自己の言葉だ。俺はでは無く、私は、なのだ。自己を私はと表現する女性は恵まれているのだ。 だから(*)、今自分が所持している性の対極を認めると、よりよい自己イメージが生まれるのだ。男性なら女性性を、女性なら男性性を自己の中に見出すと、性別のイメージが消失し本来の性差が、自己が、イメージできるのだ。 おしゅまい。 注:(*)「だから」...どこかにあった既知の教え、知識に対してコメントしているのだ。 |
| 某放送局の視聴料金徴収 (’02.9.1) |
このくらいふざけた金の取り方は、今時無い。実にふざけている。 「見たくないものは、見たくないのだ。だから払わん。民放は見るがね。」そんなに取りたければ、一人あたま幾らで、税金で徴収してちょん。税金なら喜んで払ってやる。でも、国営でないから無理だね。協会だもんね。 じゃあ、いやなら、とっととスクランブル掛けろ。こっちは、紅白も、ドラマも、一切の娯楽番組も、見たくないんだ。 視聴率など気にせず、ニュースだけやってりゃいいんだよ。そういえば、ニュースの類は、どの局よりも遅かったっけ。きっと、ニュースや報道には、多額の資金がかかるんだろうねぇ。全く、なんの役目も果たしてないじゃないか。 よく出来たドキュメンタリー番組だと思えば、時代遅れの海外作品だしね。まいった、まいったコストダウンには。 そのくせ、BSアナログ、BSデジタル、ハイビジョンだぁ。いったい、開発費は、誰が出したんだ。ふざけた利益上げてんじぇねえよ、この営利団体が。大体、目先の利益を得ようとして、いまのBSアナログ作ったんだろうが。ざまあないね。そんなことやってるから、一番遅いニュースを流すんだよ。 きっと、某放送局を映さないTVが発売されたら、売れるかも?。もう、CSあれば十分事足りるしね。 第一、なんで、この放送局だけ「放送法第32条」が適用されるの?。特権な訳。日本は、自由主義で、民主主義で、皆平等じゃなかったっけ?。如何して、この局だけが押し売りOKな訳、特権階級的な営利集団な訳。選択の自由が無いなら税金だよねえ。でも、協会なのだ。で、さらに、なぜか平等に徴収されていないのだな。そこが、一番腹立つ。意地張ってると、徴収にこなくなるし、独身のTV1台と、4人家族でTV4台が、なぜか同じ料金なんだな、これが。君もやってみれば、えっ、振込みだって、そりゃそうさ、なんてったって、押し売り以外の何者でもないんだから。国と共謀した押し売り?国営?、協会だよねえ、放送法ってなに?。 大体、何の努力もないで、視聴料だとぉ。良くもいえたもんだぜ。BSアナログは努力しただと。そんな物、誰も頼んじゃいないぜ。勝手に作っただけの事じゃないか?。この局の存在意義は、全国ネットのニュース速報しかないんだよ。それ以外は民放に任せておけばいいんだよ。 やっぱりこの局だけは、どう考えても、不思議な存在だ。料金徴収の不透明さが、ありありしてるんだよ。でも、ユーザあってのNHKだよね。じゃあ、ユーザーからの切実なるお願いだ。どうか、潰れてくれ、解散してくれ。いやだって?。ユーザーの言うことが聞けないんだな。ユーザーのお願いを無視するんだな。じゃあ、私一人で、手助けしてやっからなぁ。 一日中TVが点いていてTVが数台ある家と、独身一人のTV1台が、同じ料金なのは、実に、ふざけちょる。ちゃんとテレビの台数を勘定して徴収しろよ。もちろん、我が家に侵入してTVの台数を数える権利を与えたりしないがね。でも、ちゃんと、台数を書く欄があるぞ。おいこら。 すでに、国営放送的な存在意義は無い。有事を想定してなら、TVじゃなくてラジオだろうが。あほ。 ...でも、プロジェクトXだけは、認めるぜ。俺も、技術者の端くれだ。この興奮する瞬間は、創造する人々、エンジニアの喜びだ。 他の如何なる事が許せても、この局だけは、許せん。善良なユーザーを舐めちょる。人の善意を無視している。必要悪をみとめろだぁ?、金銭に関してのみ必要悪は許されない。ましてや、責任ある組織、企業(協会)として金銭に疎いのは、言語道断だ。それは、企業(協会)と言うよりは、仲良し同好会でしかない。そして、やはりユーザーも同好会のメンバーでしかない。と言う訳で某局さん、頼むから潰れてくれ。手助けするからさぁ(笑)。 ユーザーあっての責任ある組織と認めるならば、料金徴収方法を改めるか、潰れるしかない。それが、社会に対する責任と言うものだ。 他にも生き延びる道があるぞ。CMやればいいんだよ。でなけりゃ、とっとと、潰れろ。 By 某局善良ユーザー代表 闇の管理人.................................................................................................................................とっとと潰れろバーか。 この局の料金徴収の断り方シュミレーション: 被徴収者 : うちは、見ないので... 徴収者 : そうは法律でいきません 被徴収者 : じゃあ押し売りですか?。あっそうだ、スクランブル装置付けてください。 もちろん、ただで。今時、当たり前ですよね。CSはスクランブルついてますよね。 でも、TVは高価なものなので、TV自体をいじくってもらっては、困ります。 えっ、スクランブル装置が無いんですか。 じゃあ、やっぱり、押売りじゃないですか?。えっ。 CSのスクランブルを取れば、地上波の押売りは成り立たないですがね。 CSにスクランブルが掛 かっている以上、地上 波にスクランブルを掛 けないのは、押売り以 外の何者でもないでしょ う。 徴収者 : ... 注意: もちろんこれはシュミレーションであって、このようにすれば料金の支払いを免れる事が出来たり、 保証したりするものではない。ましてや、以上のようなやり取りから、訴訟問題が起きないとも限ら ないし、仮に起きても当ページはなんら関知しない。また、そのような支払い拒否の行為を助長し ようとするものではなく、この料金徴収方法は民主主義に逸脱するとの危惧から、言論の自由を 行使したに過ぎない事をお断りしておく。 くれぐれも、料金徴収者に対し、責任ある態度と言動で接し、一切、切れることなく、善良な一市民 として臨んでほしい。 ...だけど、理はユーザーに有りそうだ。 また、地上波スクランブル装置とは、私が作った架空の装置である。もし仮に存在し、実際、取り 付けられ、「某局が見れないよ」と泣き付かれても、当ページは一切関知しない。 検討を祈る(笑)。 CS、CS放送 : 通信衛星を用いたBSと同程度のテレビ放送。 スクランブル、スクランブル装置 : 視聴契約した者だけに放送を見せる仕組み/装置 |
| 最高度に汚いものは、最高度に綺麗な筈 (’02.8.2) |
要するに、最高度に不快なものは、最高度に快なのだ。究極の恐怖は、究極の喜び、悦楽なのだ。死は生であり、生は死なのだ。...数日後に考え直してみてももう分らない。最先端のファッションと、ど田舎の一番遅れたファッションの見分けが付かないのとほぼ同じだろう。 |
| 算数・数学が得意な日本人? (’02.7.27) |
算数・数学が得意だって、えっ。決まり決まったルールを覚えて、そのルールに従って行動する訳だね。...まあ、所詮日本人は因習的...習慣なんだよね習慣。覚えちまえば、後はそのルールに従うだけ。何の苦労も無い故、なんにも考えない。その規則に沿って行動するだけ。手引書に沿って行動するマニュアル人間。いやだねーっ、因習的人間は。でも、因習さ(考えないこと、従うこと)も重要なんだけどね。因習さ(伝統的な考え方)を備えないものは、ただの出鱈目さ。 物理、科学が嫌いだって、まあ、ほとんど応用(考えること)だからね。 帰納法になってるぅ? でも自分で考えたのかなぁ? |
| 無能な人々と無能な一言 (’02.6.8) |
S.M氏「党に大変な迷惑を掛けると思い」 要するに、この人の行動原則は、「党」な訳。「党」を基準に物事考えている、ってこと。 自分に向いている仕事をしてくださいね。 そういえば、彼のある発言の裏を返すと、「周りの人間から見れば私は十分悪い人間だが、私自身は、良い人間だと個人的には思っている」というようなことを言っていた。困ったもんだ。 |
| 正しさのレベル (’02.4.30) |
昔の私は、正しいものなんて何も無いと思っていた。多数決が、一番正しいと思っていた。でも、最近は、人類共通の正しいものがあるんだなって思うのだ。それは、誰が考えても同じ結論だし、おなじ感情や情動を伴なうのだと思う。そう...それらは、当たり前と称されるものだ。うーん、年取ったかも。 |
| 人の中の矛盾 (’02.4.29) |
人の中には矛盾する事が多々あることに、最近気付いた。人は、敢えて自己の意志に反する行為や思いを持つらしい。というか、自分では、なかなか自己矛盾に気付かないらしい。そういった思考の二極化を無くすと、かなり頭の中が、スムーズに動くようになるらしいし、物事が良く見え出すのだと思う。 車の運転に多大な神経を使う人が、近道と称しながら人が大勢いそうで見通しの悪い住宅街を抜ける、とか、これこれこういう理由で私にはその問題は解けないし難しい、というような物事を完全に分析しきっているのにその分析結果を利用しないで出来ないと嘆く、等。まあ、口頭表現が巧み、語彙が豊富な人は、そうなのかもしれない。次から次に思考がクルクル展開すれば、言葉なんて生まれないから無駄が生じないので必然的に会話が極端に減るが、でもここで言葉にしても、クルクル回り過ぎて飛躍し過ぎた結論は、誰にも理解できないかも。 |
| 私は僕(しもべ)? (’02.4.28) |
私は、僕。従属する存在。それは、まるで、社会組織を作りたいかのように、私を従属させる。私が、社会を作りたく思う訳でもなく、また、社会を作れと命令されるわけでもない。私は、無意識的に社会組織を作るべく、行動しているだけだ。その証拠に、組織の長が平に格下げされれば、私の意識は彼らを対等と解釈するのだ。自分でも不思議に思う。 僕に成り下がった私は、従順だ。その従順させようとする意志に意図して逆らうことは、かなり疲れるのだ。この疲れの根源を恐怖と称する人もいるようであるが、私は、ただ緊張するだけだけど。そっぽ向かれるから逆らえないという人もいるかもしれないが、私にとっては、それは罪悪のように思えてならないから、逆らい難いのだ。 所詮、この人は秩序を重んじる因習的人間だから仕方ないがね。 |
| 正直もの? (’02.2.25) |
嘘が吐けないだけの話だ。嘘は罪だから、嘘つきは罰せられるのさ。そんな感じ。 |
| 敏感な馬鹿 (’02.2.25) |
敏感な馬鹿?ああ、矛盾。だからといって敏感な人が天才という訳でもない。でもそんな敏感さを最大限に活用すると、何かが何となく見えてくる。敏感さは、武器になるのだ。要は使い方次第。そんな感じ。 |
| 信じる人と疑う人 (’02.2.25) |
信じる者は、強く逞しい。疑うものは、弱く過敏だ。 |
| あたりまえ (’02.2.25) |
世の中には、当たり前を理解できない連中が、山のようにいる。彼等が好んで使うのは、上澄み掬いだ。直面した問題にのみ解決策を見出し、根本を正さない、現実しか相手にしない、そんな凝り固まった決断の早い思考パターン、そんなもの。うすうす気付いていながら、それに背き、論理的にといいながら情を頼りに現実のみを選択する、そんなもの。彼等因習人間の餌食にならないように、めざすは自己中なり。あたりまえ。 |
| 結婚相談所?○クシーCM(’02.1.12) | このCMで歌をうたう女性が、とっても気に触るのじゃ。何だろう、このいやな感覚は。目つき、唇の動かし方、視線の配り方、イントネーション、身振り手振り...とってもいやな感じ。性格、気質が?。別に病人とかそういうことじゃないです。ただ何となく、好きではない。そんな感じ。 |
| ざわめかない (’02.1.12) |
それは、ざわめかない何か、気が付かない何か、当たり前田のクラッカー的世界観。既にその人は、その世界の住人であるゆえ、その世界を見てはいるが気付いていない。彼等は、無意識にざわめきを語る人々。人は、それを直感と呼ぶかもしれないが、彼等にとってみれば、見える世界。見渡せる世界故、意識できない世界。 そう、それは、多くの人が見よう見ようと意識したときに見える世界観。ゆれゆえ、時間がかかるし、かからないこともある。いわゆる理解という仕組み。一体、私の頭は、どちら向き?。どちらも中途半端。(笑) はたして、ウィトゲンちゃんにざわめきが有ったのか?。(謎) 注:「当たり前田のクラッカー」とは、何?美味しいのぉ?おせえて、おせえて。 |
| 狂気 (’02.1.12) |
心の奥底で戯れる狂気に気付ければ、それで完成。理解できない奴は、気を付けたほうがいい。 「自己の狂気」を認めることは、より正常な状態へと近づくことを意味する。「私は、正常」と思い込むことは、自己の異常さから遠のき、一段と異常性を育むことを意味する。自己の異常さを認めたものこそ、真の正常人と定義できよう。 この文章の意味が理解できないって、えっ。そりゃ狂気じゃ。びえぇぇぇぇぇっ。 |
| 感情的、合理的、理性的? (’02.1.12) |
感情的とは、愚かだ。理性的とは、愚かだ。感情を捨てた者も、愚かだ。理性を捨てた者も、愚かだ。終わり。 |
| 不安 (’02.1.12) |
不安とは、便利なもの。全ての何がしかのものが、不安と解釈されると、心は、落着くのだ。でもその対処は、もったいないのだ。不安は、未来しか見えない、未来探知機だ。 |
| 私は、存在するのか? 私以外の存在は、あるのか? 今は、現実か、それとも夢か? (’02.1.12) |
想像好きな人は、子供の頃、このようなことを想像するらしい。 私は、この世に存在しているのか?。他者は、存在しているのか?。 今見ている世界は、夢か?、それとも現実か?。 現実とは、何か?。 ...私は、常に人という概念を学んできたのだ。私は、世界を見ることによって、そこに住む人について、それが如何なるものか学んできたのだ。他者と言う人がいることを、私は学んできたのだ。他者とは、「これこれこういうものだ」と定義してきたのだ。視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚、言語のそれぞれを他者と言うイメージに関連付けてきたのだ。それ故、私は、他者でない自己を強く意識できるのだ。 誰もいない世界に、一人ぽつんといる赤ん坊を創造するがいい。果たして、彼は、自己という観念を持ちえるだろうか?。彼は、思い通りに、体を動かせるだろうか?。彼は、立って歩くだろうか?。あることをすると、指(体)が動くということに、気付くだろうか?。彼には、自己という概念は不要だ。彼は、まだ、自己でない存在が理解できないから、彼は世界に一致する。彼は、混沌と無秩序の無意識世界に住んでいるのだ。 では、二人だけの親子世界を創造するがいい。たぶん、赤ん坊は、何かに気付くだろう。でも、まだそれが、何かわからない。それを比較する対象...それ以外の存在が無いからだ。依然、彼は、世界の一部で、親がそこに加わっただけに過ぎない。故に、彼は、世界であり、親でもあり得る。 三人立っている世界...パパとママがいる世界を創造するがいい。ここで、比較可能なパパという位置を得る。そして、他者の存在に気付くのだ。それ故、自己の存在にも気付ける筈だ。 でも、生まれつき人間という概念は、持ってるかも?。そうでないと、一人だろうが、二人だろうが同じことだ。 (はてさて、この文面は、正直か?。うーん、うそくさ。) |
| お宝 ’02.1.2 |
人の内面にこそ、学問や規則、発見、美は、眠っているのだ。論理的思考力ではなく、内省や直感こそ物事の起点なのだ。規則を発見するには、その上にある混沌という起点が、必要になるのだ。そこには、既に、論理的代物など何もない。あるのは、混沌と無秩序の世界創生のイメージのみだ。でも、幾ら内省しても、学問の論理的基礎を知らないと、全て無に帰してしまうのだ。だから幅広く浅く知り、頭全体を活性化しておくのだ。広い大きな網を使えば、獲物は、どっかに引っ掛るのだ。網の目が、細かければ、なお良いかも?、えっ、破れるってぇ?。私のは、スカスカだけどね(笑)。 燃え尽きた灰の中へ光を差し込ませ、光り輝く黄金を探さないと駄目だびーぃ。 |
| 分析という暴力 ’02.1.2 |
心理分析は、暴力だ。その暴力に耐えられるのは、「全が等価」という概念を持ちえた者のみだ。 |
| 心の仕組み ’02.1.2 |
「世界がどう見える」かは、「世界からどう見られていると思っている」かに等しい。ある年齢に達すれば、殆ど皆このことに気付いている。心理学で言うと投影というありふれた現象だ。世界を手厳しく見つめれば、世界から手厳しく見られていると思ってしまうのだ。こんな「心の仕組み」や「言葉の仕組み」を知ると、なんとなく人が何を思って何を感じているのか、何が言いたいのか理解できるようになるらしい。 |
| 言葉の仕組み ’02.1.1 |
努力とか向上心の裏側には、劣等感とか自己否定的感覚が、平等の裏側には、嫉妬心が、劣等感の裏には、優越感を持たない思いとか平等性が、張り付いているのかもしれない。裏側に張り付いた思いは、引き剥がしたくとも、引き剥がせない。それ等は、対でないと存在できないのだろう。そんなことをユングは、言いたかったのか?。正物質と反物質、前景と背景みたいな、何がしかの対象を捕らえると必ず反作用的に知覚されうるもの、そんなイメージだろうか?。人が言葉を使うには、前景と背景に明瞭な差が必要なのかもしれない。きっと、人は、前景色を論理的言葉として解釈し、背景色は情緒的感情的に理解しているのかもしれない。両者が引っ付いたものは、イメージと。まあ、そんなとこ。 向上心 ≒ 劣等感 なんて表現すると、面白いかも。あとは、何万何億とある言葉の組み合わせから、何を選択するか?。なにに拘っているかとか、関心を寄せているか、といった問題が、絡んでくるらしい。比較的簡単なのが、主語+「は」の言いまわし。主語以外は、否定になるのだ。「私は、うんぬん。」は、「私以外は、うんぬんでない。」といった背景を伴なっているのだ。 向上心は、好奇心と同類でないと大変なのだ。裏側や表側に、劣等感があるのは、大変なのだ。 |
| 理想国家 ’01.12.22 |
例の集団が、ロシアで1000万円手渡し、テロの要請?。そんなはした金で彼等の理想国家を作られてたまるか。全てに平等が謳われ、悪事の微塵も無い理想国家を作られてたまるか。僻み恨み辛み妬みが無くなった平等社会に一体どういった面白みがあるというのか?。共産主義的平等性は、好きになれん。その裏に隠れているのは、嫉妬心ばかりだ。社会的躍進や向上は悪となり、平穏無事で共に働き共に笑う、不安も葛藤も起きない共産主義世界。社会的悪事は一切無いとされる故、社会的善も一切無い、実に無秩序な世界だ。真実は、頂点に立つ人のみだ。...そんな風に思える。 だから、共産主義だの社会主義なんてのは、現実が嫌いな理想主義者が抱いた妄想なのだ。仮に、その社会に魅力を感じたとしても、小学校を卒業する頃には、競争原理をもった自由主義社会の方が、より正しい、と気付くのが正常だ。寡黙な小学生に聞いてみな。 |
| 自己を偽る ’01.12.22 |
何故、奴は自分の心情を他人に語ろうとしないのか。それは、奴が己を認めていないからだ。要するに、彼等は、自分の弱点をさらけ出し語ることが出来ると、瞬時に己の強みになることをまだ知らないのだ。 でも自分を語ろうとしない奴って、結構いる。まあ、語る必要性も無いがね。 |
| べたつくカップル ’01.12.22 |
まるで親子だ。きっと、ああやって育ったんだ。多分。 手も握らないカップル。きっと、そうやって育ったんだ。多分。 |
| 人を殺す奴 ’01.12.22 |
奴は、自分が偽っていることすら気づかない、自己を偽る天才だ。か、もしくは、死の美しさに憑依された、亡者だ。 |
| 金と権力の亡者 ’01.12.22 |
有権者に土下座したり、スーツ姿で田んぼの中まで入ってする挨拶は、まるで「1票くれれば何でもする」といった心情を表していたように思う。なんで、挨拶しにスーツで田んぼに入る?。ただの挨拶が土下座では、対等な人間関係における挨拶でなく、ごく普通の人を無理やり崇め奉るまるでこ馬鹿にしたような魂胆が、まじまじと読み取れる。そのような挨拶は、相手に罪悪感を与え、罪悪感の見返りとして1票を得ようとする愚行だ。最近は、そんな政治家いるのか。まあ、昔の話。 |
| 顔 ’01.12.22 |
小泉首相人気、まれに見る高支持率。’01.12現在も75%を維持。意思、決定力、統率力、全てが表情に現れている。でもなんだか、頼りなさそう。それらが、私に「首相はあまちゃん」と教えるのだ。知力かも?。哲学は、いけそうだが。 悪官僚に諸悪の有識者。悪いことやってるかやってないかは、顔に書いてあるんだよ。誰にも分る筈が無いとでも思っているのだろうか?。まあ、他人の顔を見ても、何も分らない奴が、悪さをするんだから仕方ないが... 具体例を示すなら、うそつきは、眼がどよん、としていて、目線に鋭さというか、きらびやかさが無いんだ。うどんを練るような、異常に滑る口調も重要だ。感覚だから、上手く表現できないが、別に特殊なことではない。年齢を積めば、皆やっていること。でも、私に備わった能力は一般人と殆ど同じ。それ故、私は、他人から読まれていると思い、偽装するのだ。 彼らがそうだと言いたい訳じゃないが、実例を挙げるなら、ロ○○ーあ○し、三○ゆう○、みたいな、人を舐めきった奴等とか... |