不定期起き楽日記

気楽でなくて、朝起きて楽な日記なのである。ちょー気楽な日記なのである故、不定期である。

性格判断?(’03.2.8)

 暇つぶしに...いや、結構、本腰を入れて?インターネット上に転がっている性格判断のようなものをいろいろやってみた。あるページでは「貴方のユーモアのセンスは天下一品」と判定された。遊び半分に同じページでまた気分を変えて挑戦すると、「貴方の運動神経は絶好調だ」と判定された。うーん、自分じゃ思考癖が付いてるから、「論理的」と判断されることを期待したが、そうはならなかった。でも、運動神経が筆記テストで分るのか?。うーん。今度は心機一転またまた気分を変えて、論理的な人間になりきって挑戦。やっぱり絶対むりだ。面白くねー、と出鱈目にやってみた。なんと見事、論理的思考絶好調だって。大笑い。
 如何にもこの心理分析は、論理的な人間にはこのテストの選択解の差が理解できないから解答はランダムになる、と踏んだらしい。
例えばこんな問題である。
  問い:消火器の新しい使い方を発見しました。それはどっち。
   1.消火器を並べてチェーンで繋いだ柵
   2.ヌンチャク
かなり笑える。論理的な人間はこんな差が理解できないらしい。
あきらかに2は期待を裏切っているから可笑しいのにね。1は面白いと言うよりは常識の域を超えていないから、てんで面白くない。...というわけで、感情的に考えると、感情機能を潰した論理思考人間の裏を簡単にかけるのだ。

そろそろ飽きたので次のページへ...
私は日ごろから思考癖と柔軟性とのバランスをモットーに生きているから、やっぱりそう出た。「あなたの柔軟性は天下一品。今が、絶好調。」だってさ。そろそろ身を固めたら、ともあった。ほっとけ、どあほ。私には、固着、執着は良くも悪くも殆ど無いが、バランスをモットーとする私はバランスに拘りすぎているから、やっぱりバランスに固着執着しているのだ。

ayu trace2(’02.10.17)

あゆ要らないジャン。インスツルメンタルでいけそうだけど。業界人さんどお?ayuなしで。うーん、トリップ、トリップ、トリップ...
コピーできないとか何とか言いながら結局出来るじゃないですかavaxさん。確かに、コピープロテクトじゃなくてコピーコントロールでしすね。なるほど。...隅に置けませんね。avaxさん。だいたい、WINで聞いていて、途中で途切れるのは詐欺です。いけませんねabaxさん。(ういーーーっぷーーー。もう飲めません...。酔っ払ってのトリップは、もう逝っちゃいますね?。)

住基ネット(’02.9.1)

 住基ネットだと?。ふん。私には、関係ないね。何せ、引っ越して住居地変更してないからね。ざまあ見ろ。しばらくは、住居地変更の申請は、控えておくからよ。けけけけけっ。
...とは言っても、調べようと思えば、電話1本でバレちまうがね。
でも、個人的には、不参加な訳だ。

 横浜市市民が住基ネットに個人的に選択不選択が出来る以上、全日本の国民一人一人は住基ネット参加の選択が出来る訳だ。
そうでないら、国は、横浜市を訴えなければ、その選択の自由を認めたわけだ。
やるなら、今だぞ。みんな。(笑)

論理的判断と感情的判断(’02.8.2)

 私が結構長い間勤めた会社なのであるが、理由もあいまいなまま、移転となってしまい、私も着いて行くことにした。そういう訳で、会社の中も、外も、はたまた個人も、いろいろ引越しで忙しいのだ。あれ買ってこれ買って荷造りしたりと大変。
 会社のほうは予算的には苦しい筈なのにお祝いに頂いた記念樹を引越しさせたりと、非経営サイド社員は首をひねらずにはいられなかった。貰い物ということもあって、感情的判断を優先し、記念樹の引越を行うこととしたのだろう。基本的には、経営サイドは、「貰い物」を念頭に置いた超論理的判断を行った訳だ。

凹む(’02.5.23)

 嫌な季節がまたやってきたのだ。怒りと絶望が交錯する季節がやって来たのだ。深く考えれば考えるほどめらめらと怒りが湧いてくる、無秩序な謂れの無い考課査定。数値化されているのは、建て前だけ。その数値になんらの客観性、妥当性は、ない。第一、人の行動性能を数値化できる筈が無い。よって、三文会社での考課査定は、ほっとけば、どんどんどんどん、気分しだいになるのが、落ちだ。一流企業では、どう評価しているのだろうか?。そんな疑問、不安すらボケどもは、感じないらしい。

 自己アピールを重視した評価も、考え物だ。この場合の査定は、被査定者の物差しにより行われ、査定者の物差しは、極小になる。結果、物差しが、ころころ変わる羽目になる。評価が、まちまちになるのだ。
 また、多くの場合、アピールには、騙しのテクニックしか必要ない。何かをアピールすると言うことは、必ずその裏返しが生まれる訳であるが、それが語られることはまず無い。何故なら、両側面を語ってしまっては、語ること自体を無意味にするからだ。アピールとは、そういった片一方的なものなのだ。それ故、多くの物事を当たり前としてこなす人にとっては、一体何がアピールできるのかすら分からない。当たり前すら識別できない、温度変化が生じないから温かいとか冷たいとか言語化、識別化できない、片一方を生成するフェイズが存在しないのだ。それが、感じるままに行動するという事なのだ。

 まあ、結局のところは、人のあら探しとミス拾いに終始した上司に、踊らされるのが落ちだがね。
 でも、そしたらこう言ってやろう。人のあらを探すのは簡単なこと、片一方探すのは簡単なこと、じゃあ、裏側を探してみな、あらでなく良いポイントを語ってみな、と。出来るわきゃないがね。それが出来るのは、愛という属性を所有した者の特権だからさ。

 故に、この査定は、騙しだ。

 査定は、成果物主義でないと不味いのだ。成果物の出来不出来なら定量化できるのだ。

 あれだけ、目立つものを拵えているのに、人がどれ程苦労して作ったと思っているんだか?。人の苦労を水の泡にしやがって。

会社業績悪化でごめんね、というならある程度は、納得できても、事実そうでない人がいる以上、その理由は許されるものではない。事実評価された彼等は出来ている人(出来る人でない)、というのは私も認めるが、実際の業務を行っているのが誰だか良く見極めないと無駄な賃金を払うことになる。会社が彼等を評価をして、社風が変わったとしても、儲けは変わらんぞ。

 もう、まったくの無政府状態。今年は、怒りより、落胆だ。確かに私に欠落があるとしても、査定者の無能さと政治的配慮が問題なのは分かっているものの、とにかく凹む。まったく空しいだけだ。明日...いや、今後しばらく会社に行く気力があるかどうかは、保障できへん。



うーん、潔癖性格は疲れるね。えっ。
会社に従属されているかも、会社構造にはまり込んでしまったかも。価値体系に組み込まれたかもね。
社会の一員になってしまったのさ。
親に反抗期する子供みたいなものだ。従属しないと、反抗できないし、従属なきところに反抗はないのだ。
従属されなきものには、比較する対象がない、比較して自己の位置を確かめる必要がないのだ。
よって、従属しないもの達は、対象を無視する、いや、それ以前の問題なのだ。
所詮、皆、秩序の風呂に浸かっているからね。風呂から出て初めて、その温度さに気付く訳だがね。
うーん、わかってもらえるかな?。凹むのは、理論的問題なのだ。

マイシステム更新と自己中的文句(’02.5.7)

 やっとマイシステムが、WinXPになって、ホームページビルダもまともに動くようになった。...というわけでホームページを更新するのだ。XPはUGやWAREZで探そうかなとも思ったが、今回は真面目にXPを購入しちゃったのだぁ。別に、マイクロソフトやその他のソフトハウスの傲慢商売に、納得している訳ではないがね。「...は保障しない」、「不正コピーの査察権」、「バグフィックス版は、インターネットからダウンロードしろ」、「直ぐにバージョンアップ」だぁ、もう、やりたい放題だね。そのくせ、リコールなんて事はないし、苦情は言ってきた客に対してのみ対処する。気付かないお客は、そういったものとしか思わないからね。下手すれば、金とっての質疑。でもね、お客は、次には、同じメーカーの物は買わないぞ、きっと。すくなくとも、私は、そうするね。
 
 まもなくWindowsも消えるね。次は、Linuxさ。さて、Linuxでも覚えるとするか。

プロ野球(’02.4.22)

 ここ数年、私は野球を観戦する事がなくなった。何故なら、面白くないからだ。何処が如何面白くないかといえば、巨人の打線がまったく面白くない。まったく盛り上がらないのだ。散発的なホームランで十数得点とったところで、面白いか?。ホームランバッターを集めて、ホームランだけで得点して、そんな野球が、面白いか?。ホームランこそが野球である、と勘違いしてないか?。もう既に、今の野球は、糞だね。巨人には、戦術、戦法、何もなし。私は、野球観戦を楽しみたいのに、あまりにも勝ちに拘ったホームランばかりが珍重される野球など、見なくもないし、それは糞だ。1−0で勝とうが、勝ちは、勝ちなのだ。確かにホームランは気持ちいいが、ランナーのいないシングルホームランは、糞だ。無意味だ。更に、ホームランだけで得点して勝った野球ぐらいくだらない野球は、他にないだろう。こういった場合の1−0勝利は、最高に詰まらない糞だ。巨人とは、そういった野球を作るべく、大枚をはたいてホームランバッターを買いあさったのだ。そうやって、日本野球を詰まらなくしたのだ。日本野球をアメリカナイズドしたのだ。ハリウッド的深みのない映画のような日本野球を作りあげたのだ。本当に、今の野球が面白いか?。豪快に勝てばそれでいいのか?。米式野球が、本当の野球だと思ったら大間違いである。勝負事は、戦略、戦術であり、芸術なのだ。如何に美しく勝つか、繊細さと大胆さが、勝負なのだ。戦略なき勝負は、全て負けに等しい。行き当たりばったりの現実だけを見た勝利は、負けに等しい。更に、ただの負けは、糞にもならないが、戦術あっての負けは、更なる戦術を生み出すのだ。戦術、戦略という組み立てる行為(ゲームを作る)のない野球は、面白くないのだ。勝利を導く創造行為がないのだ。

 ツートンパンの何処に野球理論があるんだ?。リズムぐらい言え、リズムくらい。理論あっての感性だし、感性あっての理論だ。片割れのそれでは、上に立つ資格なしだ。

 行き当たりばったりの今の政治と同じような野球は、見たくないぞ、こら、日本野球界。おいこら。

醜い骨肉の争い(’01.11.11)

 仕事中うとうとしていると、「爺ちゃんが死んだ。」という白昼夢的な声を聞いたのだ。少し気になっていたが、土曜日、日曜日と過ぎても何も無かったので胸を撫で下ろしていた。ところがである、私は、爺ちゃんが入院していることすら知らなかったのだが、翌週に逝ってしまった。あれだけ元気だったのに...(*_*)...(T_T)。そして「爺ちゃんが死んだ。」とは、親父が、玄関を開けて喋った最初の言葉だったのだ。...そんなことは、どうでもいいのだ...舌のねの乾かぬうちに、醜い争いが起きたのだ。それも、長男とその嫁が、数億円の遺産を独占したのだ。その兄弟であるお袋には、兄弟で分けろと言われて貰った100坪だけなのだ。さらにまた、100坪を分けなければ、ならないのだ。まあ、たいそうな税金は、払って来たので、俺のだと主張したいのだろうが、かなりの強欲である。ましてや、自分の土地を持たない兄弟もいるというのに...ましてや、どう見たってあんたの収入が一番高いのに...全く持って、お袋が、可哀想でならない。
 いやだねえ、こういう世界は。そして、私には、叔父さん(長男)家族には何かが掛けていると思えるのである。絶対、何かに満たされなかった筈である。少なくともその構成要員の一人であったお袋と、そうでない親父を見ていると、そう強く思うのである。故に、その血をひく私も彼らのミームの犠牲になるのだ。

トリップミュージック?(’01.10.21)

Bjork(ビヨーク)
 たまたま、テレビを見ていると何処かで聞いたような歌声が...この愛に満ちた官能的美声は、何処かで聞き覚えが...確か映画に使われていたはず。でも、タイトルの頭文字すら思い出せない。...と思いつつ、何時の間にか買い込んだCD2枚に聞き入っている。嫌な事も、辛い事も、悲しい事も、全てを忘れさせてくれる別天地へ誘う音楽。彼女の声には、淫靡さがあるのだ。淫靡ではなく、「淫靡さ」なのだ。やさしく包み込んでしまうような愛と言うか安堵感と言うか、子供っぽい甘ったるさがあるのだ。それ故、私は、強い陶酔感を得てしまうのだ。ストリングス系の響き、その響きを消そうとする無機質的なメカニカルノイズ、地の底を這うような濃厚な重低音、それぞれが、絶妙なバランスでミックスされている。ストリングス系は風の心地よさを、メカニカル雑音は自然の破壊力とか癇に障る様なかき乱す負の要素を、重低音は空間的広大さを表すようにイメージされるのだ。そんなイメージされた世界に誘い込まれるのだ。現実から遠ざかった別世界へ、私を誘い込む...陶酔させるのだ。現実逃避させるのだ。
 そうそう、私は、脳内麻薬患者なのだ(爆笑)。音楽聴いてラリッているのだ。