| わが町西尾市 |

| 上のサムネールは西尾祭り(2000年)のスナップです、大名行列、 おどろ茶の市民参加です。 拡大画像は800×600の画像です。 |
1・西尾市の位置 |
西尾市は、西三河平野部の南部、矢作川の下流にあって、市の南部は三河湾に面しいる。 東から南にかけては、額田郡幸田町、幡豆郡吉良町、(吉良上野介、吉良の仁吉の里)、一色町、西は矢作川を隔てて、碧南市、北は安城市、岡崎市に接している。 |
2・沿革 |
江戸時代は、吉田(現在の豊橋)、岡崎と並ぶ城下町(六万石)であったが、東海道本線から 離れた為、発展が遅れたとされている、かって旧西尾町は、17.6キロ平方であったが、昭和 28年市制を施行した後、現在75.02キロメートル平方、西三河の都市、豊田市、岡崎市、安 城市に続く面積を有する。人口は、約10万人です。 |
3・産業の発展 |
めまぐるしい行政体制の転換のなか、廃藩後、士族の手がける煉瓦工場が設立され、現在の平坂、楠にその名残を残す、明治初年頃から、雲母(現在の八面山に跡が残っている)、陶磁 器、塩、木綿(明治用水が無かった頃、台地部に木綿の農作が多く三河木綿の産地となり発展) また、矢作川の水力によるガラ紡、その後、鋳物砂が多くあり、三河鋳物の産地となった。 農業面では、1601年頃からお茶の栽培がされ、こんにちに至って、発展している、養蚕は、明治末期にかけて発展し、現在は無い、明治17年に明治用水(西城用水)ができ、台地は、 水田化していった。 戦後、鋳物、織物が、発展したが、産業動向から、工作機械、自動車部品の生産が始まり、現在の発展となり、右肩上がりが望めない中で、西尾市の産業は、明るさに欠けている 気がします。 |
| 西尾城 西尾城は承久年間(1219ー1222年)に、三河国の守護職足利氏が創設したと言われています、戦国時代後に大給 が松平氏の時代から六万石の城下町で、本年より6年前に再建されました。 |
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| 矢作川 美濃、三河高原に源を発する矢作川などによって、東部山地と碧海台地・安城市・西尾市・吉良町・一色町へと堆積が広がり、市内の沖積層はその大部分が、矢作古川によって形成され、矢作川沖積低地の主用南部に位置しています。 この低地は、南北37キロメートルで、25メートルから、1メートルの緩やかな落差で、流れも緩やかです、矢作川上流の、花崗岩が風化され、川の土砂量は多く、昔は氾濫が多く、寄州が自然堤防になり水の深い所は沼地になり、今も市内には、小島、岡島、宅野島、十郎島あるいは、細池、熱池、菱池、深池、鵜ヶ池と言った、地名、更に、江原、高河原、米野、小焼野とと言う地名は、矢作川のなしたる、事ですね。 |
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| 西尾茶 西尾茶の起源は、上町の実相寺を開山した、聖一国師と言われるが定かでない、西尾茶が本格的に広まったのは、明治時代になってから新種の導入、栽培、加工技術の向上が有った。 西尾茶は玉露茶が中心だったのが今は、抹茶が多く生産され、良質のお茶として、出荷されています。 |
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| 西尾神社 |
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