
『ゆびさきのきおく』
久しぶりに帰った実家の庭先。
父が、近所のおじさん達と出かけた山菜取りから帰ってきた。わらび、うど、あおみず、あかみず・・・、たくさんの収穫。そして、母のためにと、根ごと掘ってきた小さな花々。玄関先に広がる土のにおいが、懐かしく心をゆする。
父にいわれ、山菜の処理をする。口にしない葉の部分や、根元の部分を取り除いていく。
「誰が最初にこれを食べようと思ったのかしら?」
「山にはまだまだ、食べられる植物があるの?」
「たぶん、もう全部試してあるよ。それで、食べられるものだけ、おいしいものだけ、こうして残っているんじゃない?この花だって、(そばにあるまむし草を指しながら)誰かが食べたんだ。そして、食物にはならないけど、薬草として使えることに気付いただろうね。」
そんな話をしながら、手を動かす。こういう時に、自然の大きさを、そして、不思議を思う。決して、かなうことのない大きい何かを感じる。古代、その存在を、服従を、人々は、『神』と名付けたのだろうか。水の流れを生み、無数の植物を生み、森を創り、生き物の営みをあたえる。人間は、私は、何とささやかな存在だろう。自分というしがらみに支配される自分のおろかさを思う。
指先が萌葱色に染まった。立ちこめる草のにおい。生きたにおい。名前のある、色のある、生命の宿った記憶。とても、いとおしく、なつかしいもののように、そっと顔に近付ける。いいにおいなわけではない。花のような甘いにおいなわけでもない。(花もまた、やはり、緑のにおいだするのだが)それでも、どんなものよりも好ましいように思える。土のにおいが、自然のにおいがした。
昔は、子どもの頃は、もっともっとたくさんの花の名前を知っていて、指先にはいつもこういうにおいがあったことを思い出す。私の手は、もっといろんなことを知っていた。たくさんのにおいを知っていた。
植物のにおいだけではない。いつからだろう、いつから、何も持たなくなっていったのだろう。少し、哀しく思われる。植物に、土に触れることさえ、いつ以来だったのか、と・・・。
ゆっくりと、石鹸を泡立てる。手を洗う。まだ、乾いていない手を顔に近付けた。いつもなら、石鹸によって無になってしまうのに、どこかに、かすかに、萌葱色のにおいが残っているような気がした。
消えてなお、記憶をくすぐるにおい。
忘れていたものを、思い出した。
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