
『生徒の心をとらえる授業、 生徒とともに学んだこと』
私は、化学(科学)という学問が好きだ。昔、哲学から物理が生まれ、その区別はなかったという。科学の本質を思う時、そこには必ず哲学があるし、自然を思う時、そこには”神”と呼ぶべき存在が見えかくれする。神とは、決して、宗教的な意味ではない。奇跡のような自然の営みに屈する時、偶然とも必然ともとれる大きな力を”神”と呼ぶだけだ。この世のすべてが奇跡であり、ここに自分が存在することもまた、奇跡かもしれない。たった、109元素(わかっているだけで)から、世界は成り立っている。それを、想像してみてほしい。個々の粒子が集まって、あらゆる物質、自然、生物を構成していることを。生体内の営みについて、すべては、巧に制御された化学反応であると言われている。私は、そのことにおいて、何かをつかめるのではないかと思い、大学での研究に取り組んでいる。日々が努力の積み重ねであり、それは、ささやかな一歩にしか過ぎない。直接的に何かがわかることはないかもしれない。なんとなく、人間は神に勝てないのではないか、ということも、少しずつ分かりかけているように思う。
私が、大学の生活の中で思うことの一つに、大学は閉ざされた空間であるということがある。中・高校生は、「大学ってどんなところかわからない」と首をかしげる。社会から見て、閉ざされていて、不透明なのだ。私は、もっと多くの人に、大学で行われている学問、研究のことを知ってもらいたいと思う。そして、小・中・高の勉強を通し、受験のために勉強するのではなく、不思議だとか、なぜだろうとか、知りたいなという気持ちから勉強を始めることが出来たらいいと思う。家庭教師、塾の講師のアルバイトを通して、中高生とのかかわりを持ったが、彼(彼女)らの口から、「なぜ勉強するのか?」と訪ねられることが多かった。動機付けというのは、とても大切なことだ。ある程度、はっきりした目的意識を持たずに何かを行うことは、結局、強制や押し付けになったりする。
現在、年間約11万から12万人の生徒が高校を中退・退学している。また、不登校に加え、問題行動の増加が戦後第4のピークを迎えようとしている。教育というものが深刻な状況に置かれている。そのような厳しい現実の中、様々な課題があり、それに対し、いろいろな取り組みが行われている。 今の子ども達に求められている事〜個性の強調、社会のはやい変化に柔軟に対応できる事、自ら学び、自ら考える事、etc。新カリキュラム世代は、好きなことを見つけて好きなことをするように、また、詰め込むのではなく、基礎を固めて、社会の生活にあわせて、柔軟に対応しながら、学びながら、生涯学習していけるように教育されてきていると言う。その結果、表現力は豊かであるし、個性を深めようとするいいところはある。反面、めんどうなことはしないという姿勢が目立ちもする。確かに、塾で中学生を教えていたり、家庭教師をしているなか、カリキュラムがだんだんと簡単になっている感じはする。その時々で、教育と言うものが見直され、指導案が改訂され、それはすべて、教育を真剣に考えた結果だとは思う。ただし、なんとなく、大人が考えて、大人の意志でいろいろ方針が変わっているだけで、子ども達は、何も分からぬまま、それに乗っているだけなんじゃないかとも思う。「どうして、自分で考えて行動できるようにならなければいけないのか?」「基礎をしっかり固めるのか?」すべてとは言わないし、理解できる範囲、年齢などもあるだろうが、「考え方」を身につけさせていくためなら、まず、何ごとにおいても、「意味付け」「動機付け」をしていくのも、大切なのではないだろうか。全校集会、ホームルーム、様々な活動を通して、生徒達にそういう事は伝えていっているのかも知れないし、私自身ちゃんとした教育についての理解もしていないので、何とも言えないのだが。ただ、自分自身、どういう方針のもと、義務教育、高校教育を受けたのか、はっきりとわからないのだ。私達の世代は、何を求められていたのだろう。そう思った時、結局、学校としての方針が変わっても、子ども達は「今与えられる教育」をただ受けるだけで、それが何であっても、関係ないのではないかという気がしてくるのだ。私達が、いまの子ども達のような教育を受けても、それはそれだったし、私達の教育をいまの子ども達にしたところで、それはそれで受け入れられていたんじゃないかと。それは、単純すぎるだろうか?もっともっと深いところでの関連があるのだろうか。今回の実習で生徒を見ていて、自分が生徒だった頃にくらべて、オシャレな人が増えたなーと思った。男の子も女の子も。雰囲気も明るい。また、ちょっと驚いたのは、文化部の活動が活発になっているように思った事。書道部の中間報告会の作品が廊下に展示してあったが、目を見張るものがあった。すごく上手だし、立派な「作品」であった。美術部でもたくさんの人がキャンパスに向かっていた。個性や自己の『表現』を追求できる人たちが多くなっているのだろうか。そういう世界に眼が開かれている事。私達の時とは、違う点だと思う。
私は化学の教鞭をとるわけだが、今の方針として『考える』ことを重視しているなら、特に、science(科学)、理科の勉強には”なぜ”、”どうして”という意識が必要なのではないかと思う。
化学を教える上で、自分の中にある指導観の概要は、
「”化学”という眼を通して、身の回りの様々な物質・現象を理解している んだということを第一に意識してほしい。そして、自ら考え、学ぼうとす る意欲・関心を持てるように指導していきたい。」
というものだ。これは、割とはっきりしたかたちで自分の中の柱になっている。私は、このことを伝えていきたい、大学という閉ざされた空間の中だけでなく、より多くの人に科学の面白さを伝えていきたい―それを実現できる仕事の一つとして、教師という職業を考えている。
以上のような目的を持って、私は教育実習に臨んだ。2週間という限られた時間の中で、どのようにして伝えていけるかを常に念頭において意識したつもりである。
実習を行った高校は、県下一の進学校であり、全校生徒100%大学進学を目標としている。”授業第一主義”をとっており、1時限65分授業での取り組みに重点を置き、放課後は補講などを行わず、部活動に専念するよう、『文武両道』をスローガンにしている。全員が進学を希望しているため、授業への関心、取り組みはとてもよい。しかし、一方で、「大学進学」が目標になってしまい、「大学で何がしたいのか?何を学びたいのか?」がわからないという生徒もいるのが事実だ。ホームルームの担当は、2年6組理系クラスだったのだが、校内学力考査に前後して、担任との二者面談、進路希望調査がちょうど実施されていた。迷いや悩みを抱えながら、それでも、「勉強しなければならない」という思いに空回りし、なかなか学業に身が入らないという声もあった。面談待ちの生徒との会話、放課後の生徒との会話のなかで、やはり、「大学がどんなところかわからない」という声もあった。生徒の持つ悩みは、私も同じように高校時代に抱えていた悩みであり、よく理解できた。その際、私にできることを考えたが、当然であるが、考えるヒントをあたえることだけだと思った。ひとり一人のビジョンがあり、生きる目的も違う。興味の対象も違う。だから、悩みに対して、答えをあげることなど不可能なのだ。よって、受験を乗り越え、大学で学ぶ先輩として、自分の経験をもとに、どのようにして興味の対象を見つけていったか、どのようにして学科・学部を選んだか、最終的に大学を選ぶ時はどうだったか、そして、今、大学でどんなことをやっているか、どんなことを考えているかを具体的に話すようにした。理系の場合、自然科学を相手にしている点では、どの学部も共通なので、話をする上で、対応しやすかった。生徒の関心の高さも対応のしやすさにプラスになったと思う。個人的な話の他に、『教育実習生を囲む会』という、高校時代の経験や大学について、生徒に話をする機会があったので、そこでも、考えるヒントになるように、意識してはなしをするようにした。2年生、3年生、さらに、文系理系に分かれて会は行われた。3年生との直接の関わりは、その会だけだったので、よいコミニュケーションになればと思った。
このようなことを通して、学んだことは、単に自分のことを話すのではなく、生徒のために話すというのは、話し方、内容に工夫がいるしなかなか難しいということだ。生徒の目線に立つことも大切だが、一歩下がり、また、一段上から広い視野を持って、生徒を見ていくことも大切なのだと思った。実際、教師となった時には、もっと具体的な進路指導があるわけだし、学校によっては、大学進学だけでなく、専門学校への進学、就職などと選択肢は増えていくわけである。どのように生き、どのような社会人になりたいか―生徒に真摯に考えてほしい。私自身、単に個人的な価値観ではなく、指導していく立場として、広い視野、深い思慮を持たねばならないと思う。
授業に関して、実習では、1・2年生の化学を指導した。研究授業が1年生だったこと、また、化学を勉強しはじめて、その大きな基礎となる物理化学を中心に進んでいることもあり、特に、1年生の授業の取り組みの中で、自分の指導観を伝えていけるようにした。
実際に授業をやってみて、一番初めはやはり、「授業することの難しさ」を痛感した。先生方の授業を見学していく中で、教える立場の視点から見ていて、気付くことがたくさんあった。ポイントや重要事項で生徒をグッと引き込む工夫や生徒に考えさせたり、疑問を持たせたりする話し、流れの中で生徒に自ら考えていくようにさせることなどなど。生徒として、授業を受けていた時には気付かないことばかりだった。自分の授業の中で、どうしたら、生徒の関心を高められるか、面白さを伝えていけるかを考えた。図説や資料集、分子模型などの教材や自分で作ったモデルなどを利用して、わかりやすく教える工夫を行った。ただ、プリントを進めるのではなく、教材を利用することで、生徒の注目が集まり、関心を持ってくれることはわかった。そこで、思ったのは、丁寧に教えるだけではだめだということだ。何度も繰り替えしたり、丁寧に説明すればするほど、生徒が混乱する場合もあるのだ。特に、進学校ということもあり、生徒は一様に頭がいい。理解力もはやい。よって、丁寧に進めることで、かえって、生徒の集中力は散漫し、間延びした授業になってしまうことがある。めりはりを利かせることがなんといっても大切だったと思う。
一番、印象的だったのは、周期表、周期律の範囲で、同族元素の性質をまとめていく際に、アルカリ金属の実験を行った時だ。ナトリウム、カリウムを用いて、水との反応をしたときにどうなるか、炎色反応や指示薬の利用を通して、実験した。危険がないように、注意しながら、生徒に実際にやら背ながら行ったのだが、ひとつひとつの現象に対して、目を輝かせる、生き生きとした生徒たちがとても印象的だった。化学という学問は、目に見えない世界について学んでいる分、実感がつかみにくいし、ペーパー上の事実をして受け入れてしまいがちだと思う。しかし、目に見えないものも、実験などで、ビーカーの中で何が起きたか、知ること、感じること、つかむことはできる。生徒たちに、そのことを伝えることができてとても嬉しかった。
しかし、実際、授業をするだけで精一杯になりがちで、なかなか思いを伝えるところまでいけないもどかしさもあった。3年間で、受験に必要な範囲すべてをカバーするには、ある程度、進度を速める必要が出てくる。どうしても、ゆっくりになりがちで、範囲が終わらないことも多かった。ただ、授業の最中に、時間が押してきたからといって、無理にペースを速めて急ぐことはしないようにした。生徒は、それぞれの先生のペースにあわせて、勉強の呼吸をしているので、かえって、ペースを乱せば、生徒は混乱するだろうと考えたからだ。適度な進度と生徒の理解のバランスをとれるように、そのうえで、更に、生徒の知的好奇心を刺激するようなスパイスを利かせた授業ができるようになっていきたいと思った。
教育実習を通して、『教師』という仕事の魅力を再確認した。日々の生活の中、意外と自分が真剣に生徒のことを考えていて、何となく少し驚く事があった。進学校で、授業に対して真面目な生徒が多いし、くったくない生徒が多いから、楽しい部分しか見ていないのだろうし、教育実習生だから、生徒を叱ったりするお役目は回ってこないので、そういう厳しさもわかっていない事は確かだけど、やりがいのある仕事だと思う。
「100のうち、99嫌な事、辛い事あっても、たった1つ、うれしいことがあった、その喜びだけで、続けようと思う。それが、教師の仕事だよ」
「やめよう、やめよう、何度も考えたけど、生徒の笑顔があるから、もう一度頑張ろうって思ってきた」
先生方からも、いろんな気持ち教えてもらった。
「あなたも、教師になった時に、きっと分かるよ」
毎日、考える事、学ぶ事がたくさんあった。とても、充実した毎日だった。
これからの人生の中で、この実習中に学んだこと、考えたことは大きな財産になると思うし、自分のなかの実にしていなねばならないと思う。自分のまた、生徒に負けないように、しかっりとしたビジョンを持って、人生を見つめていきたい。
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