
”夢”というものについて、考える時。いつも、ひろしのことを思い出す。
ひろしは、中学校のクラスメートだった。私の通った中学では、1年から2年に上がる時に一度クラス替えがあり、2、3年はそのままもちあがりになる。ひろしとは、2、3年と同じクラスだった。ひろしとは、よく同じ班になった。生真面目で優しい性格で、なにより一生懸命な男の子だった。
中学3年の冬、受験も終わり、卒業までの何日かは、ほとんどホームルームや3年生だけのクラスマッチなどに使われていたように思う。あと、卒業式の練習と。私立高校に進学するひとはもうすでに、結果が出て、進学先が決っていた頃だ。ひろしもそのうちのひとりだった。
「お前達の将来の夢、それぞれ書いてみよう」
HRで、担任の先生が笑顔で切り出した。前から、回ってくる白い紙を受け取って、後ろの人にまた渡す。紙の白さと同じくらい、私の将来への夢は、真っ白だった。なりたい職業も、やりたい仕事もなかった。こまって、「兼好法師のようになりたい。」と書いて、そのままにしていたら、担任が回ってきた。
「お前は、まったく・・・。夢のないやつだ」
ため息混じりで呟かれ、ちゃんと、考えて書き直すように注意される。近くの席の男の子が「松下電器」といきなり、企業名を書いていて驚いた。(うわー、大学行って、いい会社に勤めようっていうの?それこそ、夢ないじゃん)そう思ったのを覚えている。軽い軽蔑とともに。
しかたなく、消しゴムで消して、また、白紙に戻す。そんなとき、ひろしが先生を呼び止める声が耳にはいる。斜後ろの席を振り返ると、ひろしが顔を真っ赤にして、何か言いたげにしていた。ちょっとためらいがちに、先生を教室の隅に連れていく。そして、そっと耳打ちしている様子を盗み見ていた。ひろしの口がゆっくりと動いた。
「センセイニナリタインダケド・・・・・」
先生の目がうっすらと影を落としたように見えたのは、気のせいだったのだろうか?その時の、私の思いと同じことを一瞬でも考えたのだろうか。私は残酷なことを思いつき、そんなことを考える自分をすごく嫌悪した。
「なれるわけないじゃん。進学校じゃないもの。先生、なれないじゃん」
夢は、夢のまま終わるんだろうか、考えてみる。ひろしが先生になったら、ひろしのような教師がいたら、どんなにかいいだろう。人の心の痛みのわかる、生徒の目線になってくれるような先生。何となく教師になったとか、それでも、教師になれた時代だ。そんな教師を軽蔑していた。(ひろしなら、ひろしなら・・・)そう思う反面、学力一つでやはり「教師」になれない現実(とその時思い込んでいただけなのだが)を、冷静に見ている自分がいた。
自分の白い紙を見つめながら、どこかぼんやりした頭でもう一度、考える。「夢は、夢のままで終わるのか?」
その時、「もう一度、しっかり将来のことを考えよう」強くそう思った。「考えてみよう」と思った。自分は、どう生きたいのだろう?
「人のためになる仕事をしよう」
「人の役に経つような仕事をしよう」
その時、「医者になろうかな」ふっと、そう思った。母方の祖母は、私が小学校の時に胃ガンのために亡くなった。なんとなく、母もそして、自分も、同じ病に倒れる気がしていた。「ガンを治せる医者になろう。治療方法をみつけよう」
中学生活、最後にやっと、私は将来を見つめることが出来た。ひろしがくれた、勇気だった。ちいさなちいさな、夢。
「医者になる」紙を提出すると、先生は、満足そうに頷いた。
何年か経って、スポーツニュースを見ている時に、ハッとしたことがある。あのときの自分の誤解に気付いた。ニュースは実業団バスケの試合の結果を伝えていた。「松下電器対・・・の結果は・・・」
「あぁ、あの人は、ちゃんと夢をもっていたんだ」
彼はバスケ部だった。企業のバスケチームにはいり、ずっとバスケを続けていくこと。きっと、それが、あの時の彼の夢だったのだろう。軽率な考え方しかできなかった自分を、すごく反省した。
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