高田浩一
オーストラリア国立大学精神保健研究所
要旨
目的:メルボルンにおいて、郵送法による横断的地域人口集団調査を実施するために、対象となる邦人人口を実際的かつ効率的に抽出する方法を開発する。 背景:これまでオーストラリアにおいて日本人を対象とした疫学的精神保健調査は行われていない。これには、日本人が全豪州人口のわずか0.2%という少数グループであることや、対象集団の同定や到達が困難であることが関与している。メルボルン日本人会は同市で最大の日本人組織であるが、会員数は推定人口の20%程度であり、また会員には日本企業からの派遣者とその家族が多く、一般人口を反映しているとは言えない。 方法:人口密集地である東京都および神奈川県の個人の電話180万回線の解析に基づく日本人の姓の統計(上位1000の姓で、人口のおよそ72%に相当する)から、ローマ字表記による日本人姓の台帳を再構成した。ローマ字表記に変換した868種の姓と電子的個人別電話帳を利用して、メルボルン市内の日本人対象者を抽出した。 結果:日本人姓と考えられる電話回線887を同定した。同定された世帯の累積度数曲線は、原典の統計のものと酷似した。全対象887世帯に調査用紙を郵送し、210世帯(23.7%)が配達不能または転出、38世帯(4.3%)は日本人でないか日本語のできない日系人で、38世帯(4.3%)は拒否であった。回答した255世帯(28.8%)の回答者個人330名の年齢と性別の構成は、1996年の国勢調査時のものと若干異なっていた。 結論:本方法は、日本人姓を名乗っていない者、電話帳に掲載していない者の抽出ができない欠点があるものの、現時点においては、最も実際的な抽出方法であると考えられる。
[本稿は、太洋州精神科研究学会2000年学術集会(2000年12月7-8日、アデレード)におけるポスター発表を日本語訳し、加筆修正したものである]
目的
- 郵送法による横断的地域人口集団調査として実施する「オーストラリア在住邦人のQOLとメンタルヘルスに関する研究(囲み1参照)」の対象者抽出のために、実際的かつ効率的な方法を開発する。
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囲み 1:
オーストラリア在住邦人のQOLとメンタルヘルスに関する研究:
この研究は、オーストラリアにおける日本人コミュニティを対象とした初めての精神保健に関する地域人口集団調査である。対象者の主観的なQOL、カルチャーショックや文化変容の影響、精神的健康状態、精神症状の有症率、精神保健意識、精神保健サービスに対する態度や利用等の項目を含む包括的な調査である。調査票は、WHOQOL-BREF、GHQ-12、Culture Shock Questionnaire、Social Support Questionnaire、AUDIT、それに既述した項目について新規に開発した評価尺度を含んでいる。本稿に挙げた方法によりシドニー市内から抽出された414世帯を対象に予備調査を実施した。長さの異なる3種類の 調査票(8頁版、16頁版、24頁版)の回答率に統計学的に有意な差は見られなかった。メルボルンでの本調査は、24頁版により2000年9月に実施した。調査結果は、2001年から順次、公表の予定である。
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"日本人"の定義:
- この研究においては、"日本人"は、永住者か一時滞在者かにかかわりなく、あるいは国籍にかかわりなく、日本に起源のある者とする(出生地がオーストラリアであってもよい)。日本語の読み書きに困難のある者は研究対象から除外する。
実施地:
- 本研究に充分な推定邦人人口を擁することからメルボルンを選定した。
背景:
- これまでオーストラリアにおいて日本人を対象とした疫学的精神保健調査は行われたことがなかった。これには、日本人がオーストラリア全人口に対してわずか0.2%を占めるに過ぎない少数グループであることや、このような対象集団を同定したり、対象者へ到達することが調査実施上きわめて困難であることが関与している。英語以外の言語を使用する少数人口集団に対して、国勢調査のような戸別訪問調査を用いて実施するのは実際的でない。
- メルボルンには、大きな日本人関係団体として、メルボルン日本人会とビクトリア日本クラブの二つがある。メルボルン日本人会は同市で最大の日本人組織であるが、会員数は推定人口の20%程度であり(図 1)、また会員には日本企業からの派遣者とその家族が多い。逆に、ビクトリア日本クラブの会員には永住者が多い。したがって、会員を対象とした調査では、一般人口を反映しているとは言えない。また、両者の会員数を併せても推定人口の3割程度であり、大多数の日本人はこれらの会に属していない。多数を対象とする地域人口集団調査には、バイアスの少ない日本人のデータベースが必要であるが、海外で唯一この条件に見合うと考えられる在留届は、研究目的での使用許可が得られなかった。したがって、一般邦人の所在について利用可能なデータベースは存在しないに等しい。

図 1メルボルンの日本人組織
方法:
- 日本人の姓の統計(囲み 2参照)から上位1000番までの姓を引用して、日本人の姓の台帳を再構成した。
- 異姓同綴り・同姓異綴りなどに細心の注意を払いながら、これら1000姓をローマ字表記による889種に変換し、頻度も再計算した。
- この889種の姓を、電子的個人別電話帳上で検索した。9週後に再検索し、転出転入動態を調べ、送付台帳を更新した。
- 外れ値を示した21種類の姓を対象から除外した。(図 4)これらは、日本人以外の民族にも見られる姓と見なされる。結果的に、日本人に特有の姓として868種を特定した。
- この868種の姓のいずれかに合致する姓で掲載されている電話887回線を同定し、これを対象世帯として郵送調査を実施した。日本人のいない世帯に対しては、一連の調査関係資料を受け取らなくて済むよう送付台帳からの削除用紙の返送を勧奨した。
- この抽出方法の実用性を試すために、回答者の人口学的データと1996年国勢調査のそれを比較した。
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囲み 2:
日本人の姓の統計[1]:
日本人の姓の統計は、総人口の16%が居住している東京都と神奈川県の個人用電話180万回線の解析に基づいている。同地域において、約5万種の姓が確認された。この統計によれば、一般的に日本人の姓の一つ一つは頻度が低い(最も多い「鈴木」でさえ、わずか2.0%にすぎない)が、上位の1000姓で、累積72%を占めることがわかっている(図 3)。
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図 3 日本人の姓の頻度

図 4 同定された対象世帯数
結果:
- 一般に、日本人の姓はかなり独特で(日本人に特有で)ある。日本人姓として典型的でなかったのは、889種のうちのわずか21種(2.4%)に過ぎなかった。
- 9週間の観察期間に、8.4%の対象世帯が電話帳上から削除され、逆に、8.9%が新しく掲載された。
- 日本人の姓を持つ世帯として887世帯が同定された。図 5 に示すように、同定された世帯の累積度数曲線は、原典の統計のもの(図 3)と酷似した。
- 全対象者887世帯中、210世帯(23.7%)で配達不能または転出、29世帯(3.3%)は日本人ではなく、10世帯(1.1%)は日系人だが日本語ができず、38世帯(4.3%)は回答拒否であった。
- 回答した258 世帯(29.1%)中、男144人、女186人の計330人 の個人から有効回答を得られた。図 6 にこれら回答者の年齢、性の分布を示す。
- 回答者に女性が多いこと(女/男=1.26)は、1996年国勢調査の「日本生まれ」人口の特徴(18才以上における性比が1.61)(図 7)と一致していた。
- 人口に対する回答率は11.4%(男13.0%、女10.4%)となった。
- 特定の年齢群で、該当年齢人口に対する回答率の分布と人口構成に乖離が見られた(表 1)。即ち、50-59才および60-69才の男性では、それぞれ36.5%、30.0%、50-59才の女性で22.3%と高回答率である一方、60-79才の女性ではわずか0.1%と低率であった。

図 5 同定された世帯の累積度数

図 6 回答者の年齢・性の分布

図 7 メルボルンにおける「日本生まれ」の人口 (1996年国勢調査資料)
表 1 年齢・性別と回答率(人口比)

考察:
- この抽出法の利点と欠点を囲み 3に示す。
- この方法の代表性representativenessが適切かどうかを評価するためには、オーストラリアに在住する日本人の人口学的データが必要だが、入手不能である。代わりに、オーストラリアの国勢調査で使われている「日本生まれ」のデータを利用する。この「日本生まれ」という分類は文化的文脈でいう日本人とは異なるが、「日本生まれ」の中に日本人でない者の数は少ないこと、また、オーストラリアの日本人社会自体が比較的新しく(1980年代以降)、オーストラリア生まれの日本人人口はまだ大きくなっていないことから、不完全ではあるけれども日本人の人口学的データに近似していると考えられるからである 。
- 回答者と「日本生まれ」人口の年齢・性別の分布に差異が見られることについては、下記のような説明が可能である。
本調査と国勢調査との間の観察分散。(実際に、本調査で50-53才の22人中15人は、1996年の国勢調査時にメルボルンに在住していて当時50才未満だった。)
日本人以外の夫と結婚した大部分の女性が夫の姓を名乗っている。(とくに、60才半ば以上の年齢に達している「戦争花嫁」の世代)
- 回答した世帯の3分の2は、上に挙げた日本人団体に所属していなかった。言い換えると、この方法で、より一般人口に近い標本抽出が可能になったことになる。
- 結論として、この抽出方法の代表性は実用的なレベルにあり、実務面からも欠点に比べ利点が多いと考えられる。
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囲み 3:
利点:
- 他のいかなる“書かれた”資料よりも最新のデータが得られるので、移動の多い対象人口でも接触可能性が高くなる。
- アルファベット順よりもはるかに効率的に姓を検索できる。
- オーストラリアのどこの地域でも利用可能である。
- 他の資料(例えば、諸団体の会員名簿)を利用するより、偏りの少ないサンプルを得ることが可能である。
- False positive(日本人姓であるが日本人でない)が少なく、特異性が高い。郵送費を節減できる。
- 特異的な姓を持つ他のethnic groupにも応用可能である。
欠点:
- 日本人姓でない日本人(false negative)を把握できない。これは感度を下げる。
- 個人名で登録した電話回線を持たない者(例えば、寄宿舎の学生)や名前を非掲載にしている者を把握できない。
- 上記2点が無視できない程度であれば、この抽出方法による代表性representativenessは低くなる。
- 電話帳に掲載されている住所が正確とは限らない。棟名・室号が落ちていることがある。このような場合、郵送先を確認するために電話での接触が必要となる。
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参考資料:
[1] 津山武志(1998):漢字およびかな表記による日本人の姓の度数分布--東京・神奈川180万標本. URL: http://www.alles.or.jp/~tsuyama/name.htm
倫理規定および著作権について:
この研究の実施要綱は、オーストラリア国立大学の人間に関する研究の倫理審査委員会の認証を得ており、調査の実施にあたってはNational Health and Medical Research Council が定めた倫理指針に厳密に従っています。研究目的での電話帳データの利用は豪州著作権法(Copyright Act 1968)によって認められています。この研究で用いた全ての質問票・評価法等は(日本語訳も含め)、それぞれの著作権者の許可を得ています。
なお、上記の拙論は手直しをしたうえで、日本社会精神医学会雑誌、第11巻1号(2002年7月)に掲載されました。
- 高田浩一:海外在住邦人一般人口の抽出と識別:姓の統計と電子的個人別電話帳の利用. 日本社会精神医学会雑誌,11: 1-10, 2002
(c) 2000, Koichi Takada
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