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守能信次著 風媒社 2015年刊 |

わたしの人生における、おそらく最後の著者となるであろうこの本の出版までの経緯については、著者 「あとがき」 に書いたとおりである。 2014年の夏、チュニジアでの JICA ボランティアの任務を終えて帰国したとき、わたしはすぐさまスペインに向かう予定であった。 2010年、チュニジアに立つ前に行ったサンチャゴ・デ・コンポステラ巡礼路の、まだ歩いていないブルゴスまでの300キロを歩くために、である。 しかしこの本の草稿を書くうちに秋のシーズンが過ぎてしまい、出発の時機を逸してしまった。 それに加えて、わが家のクー猫の後ろ足が立たなくなってしまい、介護が必要となって、外泊を伴う外出はできなくなったという事情もあった。 まあ、スペインの方は、これからまだ少しは生きているつもりだから、そのうち行けるだろうと思う。それよりも、20年近く生活を共にしてきたクー猫にまずは敬意を表することと、わたしのチュニジア滞在のアリバイを形にして残しておくこと ・・・・ を第一に考えて取り組んだわけで、それが実現できたことをまずは喜びとしたい。 ところで、本書原稿の第 2 校で写真の配置やそのキャプションを確定し、最終の 3 校を終えたとき、思いがけないニュースが飛び込んできた。 革命後の政治的混迷からチュニジアを救った 「国民対話カルテット」 に、ノルウエーのノーベル賞委員会がノーベル平和賞を授与するというあのニュースである。 そのために急遽、「まえがき」 の冒頭部分に 10 行ばかりの、ノーベル平和賞がらみのコメントを入れることとなった。 期せずして平和賞受賞とタイミングを同じくすることになり、この本にも少しばかりはニュース・バリューが生じてベストセラーにでもなるかしら、と期待したが、もちろん世の中、そんなに甘いものではなかった。 これもまた、大いに勉強になった。 |
本書が刊行されて二ヶ月ほど経たころ、東京のナンとかいう広告会社 (だろうと思う) から、自宅に電話がかかってきた。 そして年配のダミ声の持ち主が言うには ・・・・ −−実は国立国会図書館で 『「アラブの春」のチュニジアで』 を読ませていただき、心から感動したので電話を差し上げました。 チュニジアについてこんなに詳しい情報を教えて下さって、ほんとうに感謝に堪えません。 実によくできた本で、これを是非とも若い人たちに、広く紹介したいと思っています、云々 ・・・・。 何だかウサン臭い話だなと思いながら聞いていると、いよいよ肝心の要件を切りだした。 −−実は私の会社では 「全国紙」 (ここのところを相手は何度も強調した) である 『産経新聞』 に一面広告を出し、そこに新刊の良書を10数冊、載せる計画をしております。 あなたの本も対象になっているのですが、一面広告を出すには当然、大きな費用がかかります。 だみ声はそう言いながら、ついてはわたしに25万円、広告掲載料を負担してもらえないか、というのである。 それが当の電話の本旨であった。 詐欺とまでは言えないが、まあ、それに近い、実費差額取得の商売であろう。 わたしはダミ声の主にこう言った。 −−あのねぇ、わたしのような年金で細々と生きている人間に、20万とか30万とかの大金が出せる訳ないでしょ。 それを聞くと、ダミ声はすぐ電話を切った。 まあ、世の中、いろんな商売があるものである。 この本が売れなくても、わたしはちっとも困らない。 売れている本の大半が軽いノリの読み捨て本であることの多い昨今、じたばたする必要もない。 |
『「アラブの春」 のチュニジアで』 を出した縁で、思わぬ仕事が舞い込んできた。 東宝ステラという映画会社から、マイケル・ムーア監督作品 『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』 の劇場販売用パンフレットに、チュニジア関係の原稿を書いてほしいと言ってきたのである。 ドキュメンタリーを得意とするマイケル・ムーア監督のこの映画は、9カ国での 「突撃」 インタビューで構成される。 映画の内容については次の、 公式ホームページ をご覧いただきたい。 東宝ステラの担当者は、この映画で北アフリカのチュニジアが唯一、ヨーロッパ以外の国として 「侵略先」 に選ばれているが、その理由が今一つ、映画では分りにくい。 ついては、その辺りの事情を理解できるよう、解説記事を書いてほしい、ということであった。 ![]() 左から三つ目、赤地に月と星のあるのがチュニジア国旗
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