バルセロナでの1週間





サント・ジェロニ山にて 2013年6月6日



マヌエルのアパルトマン  サント・ジェロニ山  カダケス  シチェス  オリンピック海岸通り



 チュニジア滞在中、休暇を利用してバルセロナのマヌエルを訪ねた。2013年6月のことである。

 オリヴィエの家に泊めてもらった翌朝、グルノーブルから列車に乗り、マルセイユ経由の TGV でバルセロナのサンス駅に到着。 6月5日の夜、8時30分ごろであった。 メールで知らせておいたマヌエルが、改札口まで迎えに来てくれていた。 駅前でタクシーを拾って彼のアパルトマンへ。
 それから11日までの1週間、そのアパルトマンに泊めてもらった。

 翌日からは毎日、15キロから20キロほどを、マヌエルとその友人、ペドロと一緒に歩いた。 事前のメールでの打ち合わせでは、コンポステラ巡礼路を一緒に歩こうかと言っていたのだが、そこまで移動するのはバルセロナから少し遠すぎるし、またペドロが家を空けられない事情もあって、日帰りのできる道を選んで歩くことになった。

 そうして一週間を過ごし、いよいよチュニスへ戻る日の朝、サンス駅で抱き合って別れの挨拶をしたとき、マヌエルは私にこう言ってくれた −−

   お前がこうしてバルセロナまで来てくれたから、毎日、外に出て歩くことができた。 でなかったら、いつもあの部屋に閉じこもって、じっとしてるままだったよ。

 マヌエルたちと歩いたのは以下の通り。

6月6日 : サント・ジェロニ山

6月7日 : バルセロナ近郊。バルセロナは神戸のようで、背後の高台から海と市街が見下ろせる。
       残念ながらこの日、カメラを持参しなかった。

6月8日 : カダケス

6月9日 : シチェス (SITGES)

6月10日 : オリンピック海岸通り


マヌエルのアパルトマン  サント・ジェロニ山  カダケス  シチェス  オリンピック海岸通り







マヌエルのアパルトマン

 マヌエルが起きるのは、いつも朝の 9 時ごろ。 彼からアパートの合い鍵をもらっていたので、私は7時前に起き、一人で外に出ることにした。 迷わないよう、通りの目印を覚えながら近くを散歩し、行き当たりばったりのカフェに入ってエスプレッソを飲み、クロワッサンを食べた。



マヌエルのアパルトマンは、バルセロナ・サンス駅から車で5分ほどのところの 8 階。
このビルの一階に小さなスーパーがあり、そこのワインがとても口に合った。
不景気のスペインゆえ、一階の路上に浮浪者が一人いて、寝泊まりしていた。



朝のバルセロナの市街。きれいに掃除がされている。右はペドロのアパルトマンの近く

 マヌエルとアパルトマンを出るのはいつも9時過ぎ。 彼のボルボでペドロを誘い、午後の2時頃までどこかを歩く。そのあとレストランに入り、ワインを飲みながら4時過ぎまで昼食を取った。

 夜はマヌエルがなにがしかの軽い食事を用意してくれ、やはりワインを飲みながら、ごちそうになった。 いかにもゆったりとした過ごし方で、日本でもこういうペースで生活ができればいいなと、マヌエルから教えられたような気がする。

 バルセロナに滞在中、外に夕食を食べに出たのは二日だけだった。

 着いた日は寿司を食べに行こうと、「文七」 という日本料理屋に連れて行ってくれた。 そこで1年ぶりに日本酒を飲んだが、やはり美味しかった。

 店を出てアパートまで歩いて帰る途中、あそこの店主もお前に挨拶しに来なかったねと、昨年、「やまどり」 という和食店に行ったときと同じことを、マヌエルは私に言う。 挨拶に来ない以上、あの店主も日本人かどうか怪しい、中国人かもしれん、と ・・・・。

 どこのレストランに行っても、必ずマスターや料理人がマヌエルに挨拶しにテーブルまで来ていたから、それをしない日本料理店はよほど奇異に映ったのだろう。

 帰る日の前日、タパスを食べさせる店へ行った。 夜が遅いにもかかわらず、大勢の客が立ったままビールやワインを飲んでいた。 マヌエルはそこの常連客で、店主は彼を見つけるとすぐやってきて、わたしが日本人だと知ると、生ハムの皿をサービスしてくれた。

 こんなに商売繁盛ならバルセロナの経済は安泰ではないかとマヌエルに言うと、いやいや、近所のレストランやバーを覗いてみろ、客なんかいないから、とのこと。なるほど、歩いて帰る道にあるどの飲食店を見てもガラガラの状態で、ボーイが手持無沙汰な様子で客を待っていた。



中は2LDK。 マヌエル一人では十分すぎる広さ。 白い椅子が、彼と話をするときの、私の定位置だった。



やはり暖炉もある。 リビングの壁はほとんどが本棚になっていて、ちょっとした図書室のよう。
本棚の2段を使ってコンポステラ巡礼の本が並べられ、アパートにいるとき、そのフランス語版を読んで過ごした



この奥の部屋で寝かせてもらった。 横にはバスルームが二つあったので、気兼ねなくシャワーを使うことができた。



アパルトマンでのマヌエルの定位置。 こうしていつも新聞や本を読んだり、テレビを見たりしていた。







6月6日 サント・ジェロニ山

 バルセロナの西北50キロにサント・ジェロニ山があり、その一帯が国立公園になっている。 カタルーニャの人たちは、この山を聖山と見なしている。 ここに整備された遊歩道も、コンポステラ巡礼路の一部をなしている。



駐車場。そこからすぐ上のところに、丸みを帯びた岩山の群れが臨まれた。



駐車場から少し歩いたところに大きな広場があり、そのわきに、岩を穿って修道院が建てられている。



団体での訪問客が大勢いて、日本と同様、ガイドに先導されて移動していた。



国立公園内の歩きコース案内。その出発地点までフニクラが通じていて、右はその切符売り場。



いよいよ歩き出す。国立公園のことだけあって、コースは実によく整備されている。



ここは全体が岩山で、ロック・クライミングをする若者たちもいた。



丸みを帯びた岩山に荒々しさはない。奇岩も随所に見られる。



フニクラですでにかなりの高さにまで上がっていて、下の小さく修道院が見える。



やがて、平らな展望台に行きついた。これが私の、ほとんど唯一の写真。



前を歩くマヌエルとペドロ。折り返して帰途につき、修道院の上手にある教会広場に出た。



すでに午後の2時近く。このあと、近くの町まで行き、小さなレストランで遅い昼食を取った。





 

6月8日 カダケス

 フランス国境に近いカダケス。バルセロナから高速道路で3時間走ったところの、海沿いにある美しい散策路。



散策路のはじまり。ここにマヌエルのボルボを停め、歩きだした。
途中、どこからでも海が臨めた。植生のせいか、チュニジアで見る地中海とは異なる感じがした。



それほどのアップダウンでないが、脚に故障を抱えるマヌエルには厳しい。痩せ型のペドロは快調。



一度、散策の家族連れとすれ違ったが、岬に向かって歩くのはわれわれだけのようであった。



この辺り、どこの海岸線も複雑で、変化に富んだ海の様子が眺められた。
散策路の途中でときどき、「ゲイの浜」 という道案内に出くわした。さすがはスペインである。



向こうの上に見えるのが岬のレストラン。岩だらけの、最後の急坂。足場を選んで、マヌエルがゆっくり上る。



車道に出てレストランに向かう。今日の昼食は、マヌエルと親しいフランス人夫妻と取る予定。



レストランの横は絶壁の海。道路沿いに車の列。みな、ここまで来て食事をするらしい。



左はアントレ。 マリーは気管支の病気があり、このカダケスに家を借り、毎年、数カ月、転地治療をしているという。



食事後、われわれ一行3人は、マリーの夫のフランソワに、マヌエルのボルボまで送ってもらった。
カダケスはマヌエルの好みの町で、よくここに来て家族と食事をするという。







6月9日 シチェス

 前日のカダケスとは逆方向の、この日はバルセロナから西に、高速道路で30キロ行ったところにあるシチェス (SITGES) へ。歩いたのは海沿いの、断崖絶壁の上に設けられた散策路。

 マヌエルから聞いた話では、このシチェスは、スペイン内外からゲイの訪れる町として有名だそうだ。なるほど、そこのレストランで昼食を食べながら外を見ていると、手をつないだ男の二人連れが多いのに驚かされた。

 散策路の断崖下にはゲイ専用の浜辺もあり、全裸の男たちが日光浴をしていた。遠目には巨大なミミズが並んでいるように見えて、あまり気持ちのよい眺めではなかった。そう言えば、カダケスの散策路にも、彼ら専用の浜辺を示す標識があった。

 ネット・ニュースで読んだが、この2013年にフランスでも同性どうしの結婚を認める法律ができ、第1号の男性カップルが公式に誕生したとあった。それで、スペインではどうなっているのか? とマヌエルに訊いたら、「こちらではもうずっと前からそんな風になっている。スペインの方がずっと先を行ってるんだ」 ということであった。マヌエルもペドロも自慢そうにそう言うので、何だか可笑しかった。

 ちなみに、チュニジアでゲイ行為が発覚した場合、少なくとも懲役 3 年の刑に処せられる。この年のカンヌ映画祭でフランス・チュニジア系の監督の作品がパルム・ドール賞に輝いたが、レズビアンをテーマにした映画だったので、少なくとも今後50年、チュニジアでは上映されないだろうとのこと。もちろん他のアラブ諸国も同様である。



電車が見える大きな空き地があり、そこに車を停め、すぐ右手に歩きだした。



少し行くと、切通しのようになった線路の上に出る。猛スピードで電車が通る。



少し下って、今度は線路の真横を歩く。危険過敏症の日本でなら、柵を造らせるかも知れない。



線路と海に挟まれた断崖の上を歩いていく。まさに絶景である。



と、そこに看板があり、Primera Playa Nudista Gay del Mundo (世界第1号のゲイ・ヌーディスト浜辺) と書かれていた。
マヌエルが言うには、これが第1号かどうかは怪しい。ほかにもスペインにはいっぱいあるから、とのこと。



裸のゲイたちは一応、上からはよく見えないようになっている。 港への分岐点で折り返した。



そしてシチェスの町に行き、レストランで昼食。まずはビールで乾杯した。



このガスパッチョは美味しかった。メインはパエリアで、運ばれてきたそれは、ちょっとした芸術品のようであった。



レストランを出て海岸通りを散策。このシチェスも観光地で、きれいに整備されている。



私にはプロ級に思える大道の音楽師二人。 由緒ある教会らしく、人で溢れていた。



通りの、それぞれの建物に特徴があり、如何にも落ち着いた感じがする。



ここにもマリン・スポーツのクラブがあり、教習艇が並んでいる。そして大きなヨットハーバー。



チュニジアから来た私には、こうして通りにゴミが落ちていないのが不思議であった。



スペイン語で 「通り」 のことを CALLE という。ここは聖ヨハネ通り。そして本屋のショーウインド。



人が行き交うこういうシックな通りを歩いていると、スペインの不景気が信じられなくなる。



道路の段差を利用した、いかにもヨーロッパ的雰囲気の一角。



海岸通りのカフェに入ってコーヒーを飲み、車を置いた駐車場まで戻って帰途についた。







6月10日 オリンピック海岸通り

 ペドロを車で迎えに行き、途中のパーキングから歩いて市の中心部へ。
ペドロはこの日、用事があってすぐに帰ったが、次の日、私がチュニスに帰るので、わざわざ来てくれた。



バルセロナの市場を覗いたあと、オリンピック用に整備された海岸通りの歩道を歩いた。
驚いたことに、ここにも茂みに隠されたゲイ専用の一角があり、素っ裸の男女がシャワーを浴びていた。



世界的な観光地、バルセロナの市街はいつも人でいっぱいである。



左にマヌエル。右のペドロは奥さんから頼まれた果物を買い、ついでに私にも大粒のブドウを買ってくれた。



ヨーロッパの市場で目を惹くのは、商品の種類と色の多様さ、その華やかさである。



われわれには珍しい南国の果物が並んでいる。 肉屋のディスプレイにも圧倒される。



こうしたカフェのたたずまいも、チュニジアのそれとはまったく異なる。すごぶる行儀がよい。



ご存知、市内観光バス。一日券を買えば、これを足代わりに使える。そしてヨットの列。



オリンピック通り。ジョギングやインライン・スケートをする人が絶えず行き交っている。



さすがはヨーロッパ、という感じ。同じ地中海でも、チュニジアではこうはいかない。



こういう風景を見ていると、ここが本当に不景気に苦しめられているスペインかと思う。



浜辺の屋外レストランで食事。私がカメラを右の手すりに置くと、そこは危ないからとウエイターが注意してくれた。
大勢の人出で賑わっているバルセロナであるが、やはり失業者が多くて、治安もいま一つらしい。