お四国さん遍路 ・・・ 伊予愛媛編



2017年6月 : 四十番 「観自在寺」 〜 六四番 「前神寺」




四十番 観自在寺にて


CONTENTS : 事前準備 一日目 二日目 三日目 四日目 五日目 六日目 七日目 八日目 九日目

 十日目 十一日目 十二日目







事前の準備など

 4月に高知県最後の延光寺を済ませたあと、しばらく休んで愛媛を歩くつもりであった。 5月は天候もよく、お遍路には絶好の季節であったが、庭仕事やらなにやら、いろいろ雑用があって、そのうち6月になってしまった。

 梅雨入りが懸念されたが、6月12日の夜行バスで高知へ行くことに決め、24日に松山から夜行バスで名古屋に帰るプランを立てた。 終わってみれば四国はカラ梅雨で、雨に降られたのは二日間のみ、それも合わせて 3時間ほどであった。

 直前のトレーニングとして三日間、20キロを目安に歩いた。

  6月9日  石野地区周辺  28733歩
  6月10日  力石インター周辺 21573歩
  6月11日  小戸温泉 45673歩

 こういうトレーニングはやはり必要で、とくに二日目に力石まで行ったとき、大腿部に痛みを覚えて、歩くのに大いに苦労した。 これまで ふくらはぎ に痛みを感じることはあったが、大体の筋肉がオカシくなるのは初めての経験。 何もしないで愛媛に出かけていたら、途中で歩けなくなっていたかもしれない。

 持参した本は前回と同様、 Bonnes Nouvelles Aujourd'hui。 今回は Matthieu と Marc を改めて読みなおした。


 行程は次の通り   全体の歩数は 552,579歩

一日目 6月13日 土佐くろしお鉄道・宿毛駅 〜 観自在寺  愛媛県愛南町   山代屋旅館   17キロ 33917歩

二日目 6月14日 愛南町 〜 津島町   BH アイリン   26キロ 46120歩

三日目 6月15日 津島町 〜 宇和町   民宿・兵頭  31キロ 55568歩

四日目 6月16日 宇和町 〜 大洲市   ふるさと旅館  30キロ 50787歩

五日目 6月17日 大洲市 〜 内子町   ふじや旅館 26キロ 44422歩

六日目 6月18日 内子町 〜 久万高原町  (国民宿舎)古岩屋荘  28キロ 52024歩

七日目 6月19日 久万高原町 〜 松山市浄瑠璃町  長珍屋 30キロ 46032歩

八日目 6月20日 松山市浄瑠璃町 〜 松山市堀江町   リゾートイン まあめいど   30キロ 47440歩

九日目 6月21日 松山市堀江町 〜 今治市大西町   あさひや 30キロ 47378歩

十日目 6月22日 今治市大西町 〜 今治市湯ノ浦  ホテル・アジュール汐の丸 28キロ 48667歩

十一日目 6月23日 今治市湯ノ浦 〜 西条市  ビジネス旅館小松 20キロ 30031歩

十二日目 6月24日 西条市 〜 伊予西条駅 32キロ 50139歩  予讃線で伊予西条駅から松山駅へ







一日目  土佐くろしお鉄道・宿毛駅 〜 観自在寺 (愛媛県愛南町)   17キロ 33917歩

 朝方、高知市内を走る名古屋発の夜行バスから、県立博物館が見えた。 前に善楽寺を参拝したあと、膝の痛みに足を引きずりながらこの大きな道路を歩いたことが思い出された。 痛みに耐えかねコンビニに入って休憩したこと、そのあとバイクに乗った人から500円玉のお接待を受けたこと、などなども思い出されて懐かしかった。

 高知駅 8時30分発の特急で中村駅まで行き、そこから土佐くろしお鉄道に乗り換え、10時30分に宿毛駅に到着。


 本来は、前回の終りであったくろしお鉄道の平田駅から歩き出すべきであったが、夜行バスを降りて初日のこともあり、平田駅から宿毛駅までの6キロ、1時間30分は、パスさせてもらうことにした。



 空はどんよりと曇っているが、雨が降りそうな気配はない。 さっそく、観自在寺への案内板が。



 松尾峠を越す前に、50メートルほどを上ったり下ったりの道がつづく。 見事な百合の花に迎えられる。



草原に出たかと思えば、また林の中のアップダウンへ。 登っては下り、の繰り返し。



 やがてまた人家が現れ、だだっ広い畑地を抜けると、いよいよ松尾峠への登りが始まる。



この峠道には立派な松並木があったが、戦時中、燃料としての松脂をとるため、ほとんどが切り倒されたという。



きつい上りが続く。 ここでは12000歩行くのに、2時間を要した。 時速にして、2キロ以下、である。



茶屋跡。 それは往時、この峠道が重要な役割を果たしていたことの証しでもある。



汗まみれで、ようやく松尾峠に到着。 ここは高知と愛媛の県境で、それを示す石柱が立っている。



さきほどの峠で昼食休憩をとる間、明後日の宿を電話で予約した。 ここからは下りばかり。



峠のこちら側は道がよく整備されている。 逆打ちで回ると、こうした坂や階段を上ることになり、そう考えるとゾッとする。



やがて里山に出る。 この辺りの稲穂は、すでの30センチほどの高さになっている。



そして松山市まで通じる国道56号線へ。 長いトンネルを二つくぐると市街地に達する。



四十番札所 観自在寺。  左は山門で、右が本堂。



観自在寺に宿坊があるとは、ここに来てはじめて知った。 素泊まりだけのようだが、それもまたいい。



広い境内の一角に、芭蕉の句碑があった。



観自在寺のすぐそばにある山代屋旅館。 ここの夕食は豪華で、部屋までカメラを取りに戻り、食べる前に写した。







二日目 愛南町 〜 津島町      26キロ 46120歩

 宿を出てコンビニで、お握り二つと水を購入。 登校途中の小学生や中学生が、おはようございます、と挨拶してくれる。



 今日は難所の柏坂を上る。 そこまでちょっとしたアップダウンがあるが、柏坂の登り口は海抜5メートルほど。
山が近くまで迫っているのに海抜は低い、というのが、この辺りの地理的な特徴である。



 室手海岸への入り口を過ぎると、眼前に山が迫ってくる。 これからあそこを越えるのかと思うと、気が滅入ってくる。



 ちょっとした市街地を抜けると、郵便局横に柏坂への案内板。 しばらく行くと登り口で、その向こうは薄暗い。



 山代屋旅館でもらった 「柏坂越えの図」。 2キロの距離で、一気に500メートルを登る。



時速2キロ以下で進む。 こういう道を行くと、このまま永遠に坂が終わらないのではと、弱気になってくる。



「松の並木のあの柏坂 幾度涙で越えたやら」 ・・・・ 200メートルおきに、野口雨情の詩碑が立っている。



途中で視界が開け、自分は愛媛の海沿いにいるのだと気づかせてくれる。 清水大師の休憩所で昼食。



清水大師からは、長い長い下り。 里山まで下りてくると、ほっとする。
逆打ちの高村逸枝はこの長い下りを逆に上ったのだが、「さほど苦もなく」 と書いていて、ちょっと驚かされる。



愛媛では、たわわに実をつけた琵琶の大きな木が、どこにでも見られる。
手に届くのを取って食べてみると、チュニジアで売られていた琵琶よりも、よほど美味しかった。







三日目  津島町 〜 宇和町   民宿・兵頭  31キロ 55568歩

 昨夜はアイリンというビジネスホテルに宿泊。 食事はついておらず、夕食は近くの喫茶店で済ませ、朝は5時半に出発。



歩き出して20分ほどで国道のトンネルへ。 どちらを行くか迷ったが、せっかくだからと、左の峠道を選んだ。
そんなに長い距離ではなかったが、やはり登り坂は苦しい。 峠から500メートルほど歩くと、道が途絶えて行き止まりに。
思い切って引き返すと、ちゃんと案内板があって、別の方向を指していた。 こういう不注意はよく経験した。



看板に 「悪代官共から遍路道を守れ」 と書かれている。 看板の向こうに見えるのは、採石工場とその事務所。



遍路笠の内側に乗せたタオルが、額の汗ですぐびしょ濡れになる。 それを乾かしながら、国道をひたすら歩く。



四一番札所 龍光寺。 上左は道路から山門に通じる石段。 上右が本堂。
20人ほどのバスお遍路と一緒になったが、年配のお婆さんたち数人は上まで行かず、下がら拝んでいた。



大師堂の前にある鐘突き堂の、日陰に腰をおろして昼食。 リュックに入れたチョコボールは、見事に溶けてオジャン。



龍光寺から一時間ほど歩いて、四二番札所 佛木寺の山門へ。 こういう、長い石段のないお寺は助かる。



本堂と大師堂。 先ほど龍光寺にいたバスお遍路たちがお経を読んでいた。 邪魔にならぬよう、わたしは早々に退散。



佛木寺を出てすぐの歯長峠も相当の難所。 自販機がどこにもなく、ここから10キロほど、水なしで過ごす。



やがて県道の舗装路に出る。 少し歩いてトンネルをくぐると、あとは下りばかり。



この階段から、垂直に下るような感じの道がつづく。 こんなに下るのなら、いっそ上らなければよかったのに、とも思う。



 空梅雨のせいもあり、この日の日差しは強かった。 とくに宇和島市街や県道の舗装路では、相当の暑さであった。

 予約していた民宿兵頭は、場所が少しわかりにくく、知らぬ間にそこを通り過ぎていた。 地図を確かめると、先ほど見た道引大師 (上左) の手前にある。 それで引き返して無事、宿を見つけたが、なるほど、さすがは道引大師であるなと感じ入った。

 洗濯をしている間、庭で Bonnes Nouvelles を読んでいると、宿の奥さんがボンタンをサービスしてくれた。 もうすぐ風呂が沸くので、それを食べて待っててちょうだい、とのこと。 こういうお接待は本当に有り難い。







四日目  宇和町 〜 大洲市   ふるさと旅館  30キロ 50787歩

 不思議なことに、この愛媛では歩き遍路をほとんど見かけなかった。 梅雨が心配される6月だから、であろうか。

 それでも、四一番の龍光寺で埼玉からのお遍路 T さんと会い、しばらく話を交わした。 誰ともフランクに接する、非常に話好きの好人物。 奥さん連れであったが、彼はわたしと同様に一人歩き。少し肥満気味の奥さんは、専らバスやタクシーで移動していて、 なるほど、そういうやり方もありだなと感心した。 その後も抜きつ抜かれつの形となり、結局 T さんとは、四五番の岩屋寺で握手をして別れた。



登校途中の小学生たち。 一人ひとりが挨拶をしてくれる。 右は彼らを見守る交通安全祈願大師。



少し道が複雑になり、iPhone の地図を参照して無事、四三番札所 明石寺に到着。 参道を上って本堂へ。



明石寺の裏から宇和町に抜ける遍路道があったが、400メートルほども上ることになるので敬遠。
山門から朝来たルートに戻って、風情ある宇和の商店街を歩いた。 登録商標 「タルト大師餅」 というのが面白い。



ここでもトンネルを行くか、峠道を行くかの二者択一。 峠道は倍の時間がかかり、トンネルを選択。



その後、国道を離れてまた遍路道に入る。 数百メートルにわたって、シイタケ栽培の木が置かれてあった。



この遍路道も結構な高さにある。 そして荒れ果てたままの番外札所。



また56号線に入り、公園の東屋で昼食。 草刈りの仕事をしているオバさん方としばし談笑。



やがて大洲の、昔ながらのたたずまいを残す家並みが見えてくる。



大洲にサッカーの強豪高があることは知っていたが、その町がこんなに美しかったとは驚きであった。 



ただ、市街地に入ると大洲も平凡な町。 我慢しながら歩いて、弘法大師が一夜を過ごしたという十夜ガ橋へ。



橋の下に、布団をかぶせた弘法大師の寝姿があった。 畏れ多いが、それを見てクー猫の最期の姿を思い出した。

この日の宿は、十夜ガ橋から十分ほどの、ふるさと旅館。 ここでも遍路客はわたし一人であった。
 







五日目  大洲市 〜 内子町   ふじや旅館 26キロ 44422歩

 今日の行程の大半は国道と県道。 日差しが強いなか、単調な舗装路を行くのは心理的に辛いものがある。



通学の高校生が主な客の予讃線。 四国では珍しく、電化されている。 松山まで44キロの地点。



途中、内子町に向かう遍路道に入る。 緑の草地や木々の間を行くので、心地よい。



内子運動公園では、高校生が野球の練習をしていた。 しばらく歩いて、予讃線のガードをくぐると内子町。



かの有名な内子座。 大洲と同様、落ち着いた雰囲気の家並みが見られる。



内子町を出ると、川に沿って走る379号線を、ただただひたすら歩く。



道路は海抜700メートルの久万高原に向かっていて、徐々に上りはじめる。 高知でよく見た謎の箱をここでも発見。



この辺の小学校や中学校では校舎の外壁に木が使われていて、周りの景色によくなじんでいる。

 この日の宿泊は ふじや旅館。 チェックインは午後3時と言われていたので、手前にある A Coop に立ち寄って時間を潰した。 翌日はコンビニなど一つもないコースを行くので、そこでお握りとパンを購入。 お握りは安全のため、梅干しのものだけにした。

宿には埼玉の T さん夫婦も泊まっていて、一緒に夕食を取った。 また今回、iPhone の充電コードを自宅に忘れてきてしまった。 前夜のふるさと旅館ではガラケーしか使っておらず、ダメもとでふじや旅館の若奥さんに聞くとあるとのこと。 ここでフル充電にし、地図などを参照するたび、電源を切るようにした。 お陰で無事、松山で帰りの夜行バスに乗るとき、ネット乗車券を係の人に提示することができた。







六日目  内子町 〜 久万高原町  (国民宿舎)古岩屋荘  28キロ 52024歩

 ふじや旅館の所在地は内子町小田。 ここから四四番札所の大寶寺へ行くのが順序であるが、 そうすると四五番の岩屋寺まで、打ち戻りの道を行くことになる。 相当のアップダウンが予想されるのでそれは避けて、先に四五番を回ることにした。

 朝食は取らずに、午前5時半に宿を出発。 本当は5時に出る予定であったが、なぜか目覚ましが鳴らなかった。



緩やかな上りがつづく380号線。 朝が早いこともあって、車はほとんど通らない。



道路脇の駐車場に伊予路の案内板 (車用) があり、どんどん上っていく様子がうかがえた。 右は三島神社。



三島神社を過ぎると急勾配の遍路道。 舗装路の1キロ余りを300メートルに短縮。 代りに100メートルの登り。



 新真弓トンネルを過ぎたあたりに集落があり、道路脇で草刈りをしていたオジさんがわたしを見て、ここからなら四四番でなく、先に四五番へ行きなさいと、親切にアドバイスをくれた。 もともとそうする積りであったが、とてもそんなことは口にできなかった。 ありがとうございます、じゃあ、先に四五番に行くことにします、と答えておいた。



越の峠に日陰があったので昼食。 傍に旧土佐道という細い道があり、舗装道路ができるまで使われていたらしい。



岩屋寺まで6.5キロの地点。 しばらくして日の出橋の分岐。 ここから槇の谷の難所がはじまる。



こんなところまで、どうやって石仏やコンクリート板を運んできたのだろう。 遍路道を歩いていて、いつも不思議に思う。



そこいらじゅうに野いちごが、赤い実をつけている。 いろは坂のような、くねくねと曲がった上りの道がつづく。



標高730メートルの八丁坂に到着。 大寶寺から岩屋寺へ行くときも、ここを通ることになる。 



いったん標高760メートルの峠を越えると、標高670メートルの岩屋寺まで、岩場のような道を下る。



岩屋寺のすぐ手前にある不動明王の祠。 般若心経らしきお経を書いた文字板が、その前に立てられている。



四五番札所 岩屋寺本堂  この辺りは岩場が多く、ここでも巨大な岩山が、お寺に覆いかぶさらんばかりである。



 赤い橋を渡って、国道12号線へ。 逆に、この橋から岩屋寺本堂へお参りする場合、長くて急な石の階段を、20分ほどかけて上らなければならない。 幸い、わたしは裏口から入ったので、ここまでは下りだけであった。

 この日の宿は国民宿舎 古岩屋荘。 大浴場があって、ゆっくり休むことができた。 売店でお土産を自宅に発送。







七日目  久万高原町 〜 松山市浄瑠璃町  長珍屋 30キロ 46032歩

 古岩屋荘でも朝食はパスして、午前5時に出発。 外に出ると辺り一面、深い霧で覆われていた。



霧の中を4キロほど歩いて、峠御堂トンネルに到着。 トンネルのすぐ横から、大寶寺に通じる遍路道がある。



すぐさま急な上りとなり、少し行っただけで、トンネルの入り口がずっと下に見下ろせた。



大寶寺までは1.5キロほどの距離だが、途中の峠までの高低差は130メートルある。



深い林の中を過ぎて、四四番札所 大寶寺の山門へ。 バスで回る人には、この参道もきついことであろう。



大寶寺本堂。 車でお参りする人が本堂前で蝋燭に火をつけていた。 ほかに誰もおらず、寺は静寂に包まれていた。



お寺を出て国道33号線へ。 標高700メートルの三坂峠に向かうので道は上り調子。 草むらに峠を下る案内板。



峠から次の浄瑠璃寺まで、下り道を行く。 ここを上った逆打ちの高村逸枝に敬意を表したい。 上右の家は坂本屋。



坂本屋は昔の遍路宿で、保存会が管理している。 水道とトイレがあったので、ここで休んで昼食。
途中で枇杷の実に手が届いたので、幾つかを失敬した。



上左は網掛け石。 大師が投げた網に掛かった大きな岩。 その表面に細かい網の目が見える。 



四六番札所 浄瑠璃寺。  この日の宿所、長珍屋旅館は、このお寺のすぐ前にあった。



浄瑠璃寺から600メートルのところにある、四七番札所 八坂寺。 明るい感じのきれいなお寺。







八日目    松山市浄瑠璃町 〜 松山市堀江町   リゾートイン まあめいど   30キロ 47440歩

 宿の長珍屋旅館にはバスでの団体遍路のほか、歩き遍路が二人、マイカー遍路が一人いて、一緒に夕食と朝食を取った。 マイカーの人は、かつての歩き遍路があまりにも苦痛で、車に切り替えたという。 歩きの二人は、かなりの健脚らしかった。

 今回、首から下げる輪袈裟を忘れてきたので、宿の売店で般若心経が書かれたのを購入。 これで3本目である。



昨日お参りをした八坂寺を通過。 さらに2キロほど行くと、文殊院がある。



文殊院を過ぎると札始大師堂。 お大師信仰に熱心な人は札所だけでなく、こうしたところへもお参りする。



立派な遍路石に導かれてしばらく行くと、国道の傍に 四八番札所 西林寺の山門が現れる。



西林寺の本堂と大師堂。 境内には女性が一人、ベンチに座っているだけで、ひっそり閑としていた。



 途中、キ・エ・ラ という喫茶店があった。 フランス語で 「そこにいるの、だれ?」 という意味。 小さく書かれた カフェ・エ・ヴェール・エ・アンティキテ の、二つ目の 「エ」 (and) は不要。 それを入れるとダサくなる。 またここで言う 「ヴェール」 (green) は野菜か? それとも緑茶か? それらとアンティキテ (骨董品) との組み合わせも、何とも奇異な感じがする。



ここにも 「右へんろ道」 という遍路石。 それにしたがって脇道を歩いて行くと、四九番札所 浄土寺山門に到着。



仁王門の阿形像。 この像の眼玉が盗まれたというが、見てもよく分からなかった。 境内では十数名がお参り。



この辺り、フランス語の店が多い。 もう少し先に 「ポワル」 (フライパンの意) があるが、ここでは ラ・ヴィー・スクレ。
ただ、ヴィー (生活) は女性名詞だから、形容詞スクレも性数一致で、後ろにもう一つ、e をつける必要がある。



五一番札所 石手寺。 松山の人が単に 「お大師さん」 と呼んでいる、愛媛きっての名刹。



境内にこんなに大勢の参拝者を見るのは、四国を歩いてきて、ここが初めてである。
「殺すな」、したがって 「戦争をするな」 という仏教の教えを大書した看板が、あちこちに立っている。



道後温泉本館の前を通り、松山大学の近くを行くと、チュニジアでよく見たジャカランダが花を咲かせていた。
松山の市街では多くの人から、「お疲れさま」 「お気をつけて」 と声をかけられた。
自転車の人はわざわざ降りて、一握りの飴玉を手渡してくれた。



五二番札所 太山寺の山門。 山門の右にバス道があって、ここから300メートルほど急坂を上って本堂に至る。



均整のとれた太山寺の本堂は国宝である。 鎌倉時代に河野氏が再建したもの。



太山寺は松山市郊外にあるが、深山にいるような風情がした。 そして今日の最後のお寺、53番札所 円明寺。



民家に囲まれ、庶民的な感じのする寺。 ここに左甚五郎作の龍があると聞いたが、よく分からなかった



本日の宿所、リゾートインまあめいど。 名古屋の瑞穂区で長く暮らしたという、年配の上品なご婦人が経営者。
以前は窓から海が眺められたが、宿と浜辺の間に家が立ち並び、すっかり変わってしまったという。

 この日、石手寺で空腹を覚え、参道横にある店でざる蕎麦を食べた。 また太山寺の手前にあるうどん屋に入って昼食を取り、そのため元来が少食であるわたしは、まあめいどであまり食欲がなく、出された夕食のほとんどを残してしまった。


 PS ・・・・ 五十番札所の繁多寺を通り越してしまった。 四九番の浄土寺を出て市街路をどんどん上っていくと、目印とする池があり、そのそばに遍路の大型バスが停まっていた。 五十番札所はこの辺りに違いないと注意しながら歩いていると、道はやがて下り出し、アレ、おかしいなと思っているうち、五一番札所の案内板が出てきて、ああ、これは通り過ぎてしまったなと観念した。 いま思い返すと、池を過ぎたところに細い道があり、繁多寺へはそこを行くのだったと思う。

 残念だが、御朱印集めのスタンプラリーをしているわけではないので、前を通ったことでお許しを願おう。







九日目   松山市堀江町 〜 今治市大西町   あさひや 30キロ 47378歩

 宿泊した 「まあめいど」 は朝食を出せないというので、朝の6時前に出発。
 外に出ると、愛媛に来てはじめて雨模様の空。 いつ雨が降り出すか分からないので、ポンチョを手に持って出発。



今日は基本的に予讃線に沿って、変化に乏しい国道を行くことになる。 救いは海が見えること。



道標に小松市と今治市の名前が。 10キロほど歩くと本降りの雨になり、途中の鎌大師でしばし雨宿り。



雨は一時間ほどで止んでしまい、やがて国道は今治市に入る。 。



道路横に接待所。 「菊間町で生まれたぶじかえる。 ご自由にどうぞ」 と書かれてあるが、意味がよく分からなかった。



厄除け大師 遍照院。 中に入ってみると、八八か所のお寺ととくに違いは見られない。



瀬戸内の大きな道路地図。 いま自分がどこを歩いているのか、よく分かって有難い。 しまなみ海道もすぐ近くにある。

 わたしが参照する遍路地図はスペース節約のため、南北が逆表示される場合が多い。 それゆえ、感覚的にはいつも眼の前の道をまっすぐ歩いているだけで、右に行こうが左に曲がろうが、四国の中を東西南北、どの方向に向かって進んでいるのかは、ほとんど認識することがない。 したがってこういう地図は、われわれの位置感覚を正常に戻してくれる。



海はちょうど引き潮の時刻で、船はみな、係留地に閉じ込められている。



午前中の雨が嘘のようで、空はすっかり晴れ上がった。 瓦の生産地、菊間町をあとにする。

 港に近い太陽石油菊間製油所の横で、足指にバンドエイドを貼り直していると、従業員らしき人から、ペットボトルの水をお接待としていただいた。 あまり冷えてませんが、と言われるので、大いに恐縮してしまった。


 今日の宿は、あさひや旅館。 早く着いたので、星の浦海浜公園の東屋ベンチに寝ころび、靴も脱いでしばらく居眠り。

 そのあと旅館に向かうが、大井浜の港から行くのがよかろうと地図を見て早合点し、結局は迷ってしまった。 宿は予讃線・大西駅のそばにあるので、自転車に乗った中学生らしい女の子に道を聞き、無事、到着することができた。

 夕食までの時間、ここで洗濯を済ませることができた。 宿の部屋のポットに入った冷たい麦茶が、実に有難かった。







十日目    今治市大西町 〜 今治市湯ノ浦  ホテル・アジュール汐の丸 28キロ 48667歩

 午前6時に朝食をとり、支払いを済ませたあと、すぐあさひや旅館の玄関を出た。 すると宿のご主人が後を追ってきて、モリノさんと声をかける。 振り返ると、わたしの黒い財布を手にしていた。 支払いのとき食卓に置き、そのまま忘れて出てしまったのだ。 早く気付いてくれて、本当に助かった。



国道の交差点に、「ようこそ 今治へ タオルと造船の町」 の大看板。 もちろん 「加計」 の二文字はない。



登校中の小中学生とあちらこちらで出会う中、五四番札所 延命寺に到着。 上左は立派な山門。



このお寺では山門が、いかにも重厚で風情があった。 今治城から譲り受けたもので、ここへ移したのだという。



延命寺を出てしばらく、イヤというほど遍路道案内があった。 が、市街に出ると皆無となり、南光坊へは迷ってしまった。



五五番札所 南光坊の本堂と大師堂。 ベンチで休むわたしに小母さんが話しかけてきた。
とてもお遍路はできないので、週に何度か、このお寺の掃除に来ています、とのこと。



高校が立ち並ぶ文教地区を歩き、コンビニでお握りを買ったあと、五六番札所 泰山寺の入り口に到着。



泰山寺の周りは石垣で囲われており、寺の周辺にも、弘法大師による河川堤防構築の伝説が残る。



遍路道の無縁仏を集めた一角 (左)。 道路を左に折れて遍路道に入り、しばらく水田の横を歩く。



五七番札所 栄福寺の本堂と大師堂。 次の札所へは300メートルほどの上り。 ここで足指のバンドエイドを貼り直す。 



道路はかなりの急勾配。 途中に仁王門があり、そこからはさらに勾配が増す。 横を通る車もエンジン全開。



五八番札所 仙遊寺の本堂と大師堂。 駐車場に5、6台の車。 境内には足腰の弱い高齢者が多かった。
大師堂の前に親子と思しき三人の女性が立ち、年長のお婆さんの先導で般若心経を唱和していた。
三人ともお経を空で覚えていて、声は大きからず小さからず、心地よいハーモニーを奏でていた。



今度は急勾配の下り。 丸い石を蹴飛ばしたら、ずっと下まで転がって行った。 途中で遍路道に入る。



この遍路道はトレッキングコースともなっている。 しかし勾配が急すぎて、そこを往復するには相当の覚悟を要する。



仙遊寺から下って4キロほど行くと、遺跡の発掘調査現場に出くわした。 平安時代の遺跡らしい。



五九番札所 国分寺の本堂と大師堂。 バスのお遍路たちがお参り中なので、わたしは早々に退散した。



上右は今日の宿所、今治湯の浦温泉にあるホテル・アジュール汐の丸。 いわゆる四つ星リゾートホテルである。







十一日目    今治市湯ノ浦 〜 西条市  ビジネス旅館小松 20キロ 30031歩

 今日の歩きは20キロのみ。 六十番 横峰寺は700メートルの高みにあり、明日、そちらを回ることにしたためである。
 それゆえ朝はホテルの大浴場に入ってゆっくりし、朝食は7時過ぎ。 ホテルを出たのは8時30分であった。



強い日差しの中、国道を行く。 車の騒音がひどく、その上に暑いので疲れる。 やがて小松まで1キロの中山川大橋へ。



上左は、六一番札所 香園寺への参道。 境内に立つコンクリート製寺院。 一階に大講堂、二階に本堂と大師堂がある。

 香園寺の参道に 「四国八八カ所霊場会 六二番礼拝所」 という案内板が立っている。 なぜ六一番の敷地に、六二番の 「礼拝所」 があるのか、このときは意味がよく分からなかった (すぐ下の、六二番の項参照)。



 先ほどの中山川大橋の手前で、後ろからお遍路さんと声をかけられ、お接待をいただいた。 お茶と砂糖菓子、それに九〇歳のお婆さんが拵えたという爪楊枝入れであった。 折角なので境内のお地蔵さんの足元に供え、掌を合わせることをした。



六二番札所 宝寿寺の本堂。 ここは安産祈願で名高いお寺。 本尊は十一面観世音菩薩。

 納経所に張り紙があって、「昼休み 午後一時に開きます」 とある。 それで漸く、六一番札所の看板の意味が呑み込めた。 この「昼休み」 の件で、宝寿寺は四国八八カ所霊場会から訴えられたのである (裁判の詳細はネットで知ることができる)。

 現在、宝寿寺は霊場会から脱退しており、したがって、ここを 12時から13時まで訪れたお遍路たちは、納経所で朱印を受けることができない。 怪しからん、これではスタンプラリーに支障が生じるではないか、というのが霊場会の言い分である。

 ただ、それにしても、だからといって六一番札所に六二番の 「朱印所」 ならいざ知らず、「礼拝所」 を設けるというのは行き過ぎであろう。 そこへ寄って朱印を受ければ、もう宝寿寺にお参りする必要はない、ということにもなるのだから。

 それではもう宗教でなく、ただの商売の話である。



六三番札所 吉祥寺。 四国霊場のなかで唯一、毘沙門天を本尊とするお寺。 こじんまりとした境内。


 上左は香園寺にあった、「四国八八ケ所巡拝 全札八八回満願 報恩謝徳の碑」。
 上右はもっとすごくて、「弐百回結願の碑」。 こちらは上の吉祥寺で見つけた。

 歩きで全札所を巡るには、少なくとも50日は必要である。 したがって88回なら単純計算で4400日、毎日休みなく、せっせと歩いたとしても、あしかけ12年かかる。 これが200回となると、実に32年という年月を要する。 はたしてこの88回、200回というのは、歩きで達成されたものなのであろうか?

 長珍屋旅館で見た新聞記事には、車で300回まわったという人が紹介されていた。 それによると、車なら1週間で全札を回れるという。 なるほど、これなら、88回、200回もあり得るだろう。 仮に歩きで88回、200回を達成したとすれば、それは多分、働く必要のない、ヒマを持て余した人による所業であろう。 でも、そんな人って、この世にいるのかしら。



今回の遍路旅の最後の宿所は、ビジネス旅館小松。遍路宿と言っても、精進料理が出るわけでない。

 これまで遍路宿で、もっぱら愛媛新聞を読んできた。 東京新聞や神戸新聞と同様、愛媛新聞も加計問題などで厳しく政府を追及している。 わたしはよくネットでも、よく愛媛新聞の政府糾弾記事を読んできた。

 ビジネス旅館小松のロビーには、読売新聞が置かれていた。 わたしがこの新聞を読んだ記憶はほとんどないが、その一面記事をざっと見て、へへえぇと驚いた。 そこには国政と関係のない、しかも当たり障りのない社会面のような記事ばかりが並んでいた。 さすがは政権ヨイショの新聞であるなと、改めて感じ入った。







十二日目 (最終日)   西条市 〜 伊予西条駅 32キロ 50139歩  予讃線で伊予西条駅から松山駅へ

 今日は石鎚山中腹の、標高750メートルに位置する横峰寺に挑戦。 往復16キロの山道。

 へんろみち保存協会編の地図では、横峰寺へは、香園寺の横から伸びる道を行くことになっている。 ビジネス旅館小松の親父さんが渡してくれた手書きの地図では、別ルートになっている。

 とりあえず、往きはビジネス小松ルートを行き、帰りは保存協会ルートを取ることにした。



宿を出てしばらく行くと、向こうに山が見えてくる。 おそらくあの山のどこかまで登るのだろう。。



砕石工場を過ぎると山の中。 道の勾配はいや増し、息が切れて休み休みでないと前に進めない。



やっとの思いで4キロ地点の休憩所に到着。 遺憾ながら、ここからは200メートルほど下り、また上がることになる。



山の中を、上ったり下ったりの道がつづく。 合計すれば、1000メートルほどの上り下りとなろう。



ここいら辺はビルの階段を上るのと同じ。 上右はお寺まで1.2キロの、自動車道との合流点。



坂を上りつめたところにある参道から、六十番札所 横峰寺の本堂へ向かう。



なかなか明るく、色彩豊かなお寺。 こんな山の上まで、昔の人はどうやって建築資材を運んだのだろうと思う。



先ほどの合流点まで戻り、来た道を引き返す。 こうした鉄材も、誰かが背負って人力で運んだに違いない。



 遍路道には多数の石仏が置かれている。 また上右の石段の下部は自然石だが、上部は人の手で並べたものである。 こんな風に人の手で整備された遍路道や、苦労して運ばれた石仏を見ていると、ここを無為に歩いているだけのわたしが苦しいなどとホザいたりするのは、ただただ罰当たりなことのように思えてくる。

 とは言え、保存協会ルートの下りは単調で、しんどかった。 歩いても歩いても草深い景色はまったく変わらず、これならビジネス小松ルートを下ったほうがよかったかなと、実際のところはよく分からないが、そんな風な後悔ばかりしていた。



 香園寺、宝寿寺、吉祥寺と、昨日回ったと同じコースを経て、最後の札所、前神寺に向かう。 上左は石鎚神社。 そこから10分ほど歩くと、六三番札所 前神寺の山門に至る。 ここは真言宗石鉄派の総本山。 なるほど、その敷地は広大である。



 この寺には、上から水が流れ落ちる苔生した御滝不動尊があって、その壁面に一円玉を投げて貼りつけば、ご利益があるという。 見ればなるほど、そこいらじゅうに一円玉が転がっていた。 しかしアルミの一円玉が日本で造られたのは昭和 30 年 (1955年)のこと。 じゃあそれが現れる前は、どうやって人々は御利益を得ていたのだろうと思うと、どうでもいいことだけど、いい加減だなぁという気がしてならなかった。

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 愛媛の最後の札所は六四番の三角寺であるが、今回の遍路はその30キロ手前、六三番の前神寺で終了とする。

 夜行バスが出る松山まで戻るべく、前神寺から3キロ先の予讃線・伊予三条駅まで歩いていると雨が降り出した。 前日、横峰寺への上りを考えてリュックを軽くしようと、雨具も含めて不要と思われるものを自宅まで郵送していた。 雨は土砂降り。 駅まではまだ2キロほどあり、とても歩いてはいけない。 最後の最後で不信心の罰が当たったかと、観念するほかなかった。

 運よく、国道沿いに車の修理会社があり、屋根つきの車置き場に逃げ込んだ。 しばらく雨宿りしていると会社の社長さんが軽自動車で戻ってきて、雨具はないのかと訊く。 事情を話すと親切にも、じゃあ、駅まで送ってあげましょう、と言ってくれた。 こんなに降ったら、どうせ仕事はヒマになりますから、ということであった。

 駅までの車の中で社長さん、歩いてお寺を巡って何か御利益がありますか、と訊く。 いえ、とくに何も、とわたし。 しかしそのあとですぐ、でも今日だけは別です、だってこうして車に乗せてもらえましたから、と付け加えた。

 高知では膝に痛みを抱えたわたしを、金剛頂寺の上り参道の手前でオジさんが軽自動車に乗せてくれた。 車に乗せてもらうのは今回が二度目で、しかも大雨のさなか。 まさにこれこそが御利益だと考えるべきであろう。

 松山では坊ちゃん電車に乗り、道後温泉本館へ。 二階の風呂につかって汗を流し、ゆっくり休むことができた。