お四国さん遍路 ・・・ 讃岐香川編



2017年 9月 : 六五番 「三角寺」 〜 八八番 「大窪寺」 〜 一番 「霊山寺」




八一番 白峰寺にて


CONTENTS : はじめに 一日目 二日目 三日目 四日目 五日目 六日目 七日目 八日目 九日目

 十日目 十一日目







はじめに

 私のお四国さん歩き遍路の、最後の讃岐香川編である。

 今、これを書いているのは、すでに遍路を終えて半年を経た 2018 年の 3 月末。 この最後の遍路旅に出る前、どんな準備をしたのか、一向に思い出せない。 歩数計の記録を見ると、出発前の9月22日、29275歩を歩いたとなっている。 しかしその日、どこを、どう歩いたのかの記憶がまるでない。 余談だが、テレビの刑事ドラマで一般市民が過去の出来事を警官から尋ねられ、「ああ、そう言えば ・・・」 と言いながら通りがかりの誰かの服装の色まで思い出したりして証言する、といったシーンが出てくる。 ああいうのを見るたび、そんなことある訳がないよといつも笑えてくるのは、自分のこうした経験からのことでもある。 実際、それは 『銀の匙』 を書いた中勘助ほどの明晰な頭脳と記憶力がない限り、到底無理な話であろう。

 表題には讃岐香川編とあるが、看板に少々偽りがある。 というのは、今回の最初の札所は六五番の三角寺で、これは愛媛県に位置する。 また最後の八八番の大窪寺から徳島までバスがあるそうだが、やはり歩きで一番 「霊山寺」 まで戻って、四国一周を完結させたいと私は願った。 というわけで、今回の歩きは、愛媛、香川、徳島の三県に跨ることとなった。

 行程は次の通り   全体の歩数は 552,579歩

一日目 9月25日 名鉄バス・松山駅 ⇒ JR新居浜駅 〜 四国中央市    松尾旅館   17キロ 33917歩

二日目 9月26日 四国中央市 〜 三好市池田町   民宿岡田   31キロ 46120歩

三日目 9月27日 三好市池田町 〜 観音寺市   若松屋本店  31キロ 55568歩

四日目 9月28日 観音寺市 〜 善通寺市    善通寺グランドホテル 27キロ 50787歩

五日目 9月29日 善通寺市   善通寺グランドホテル   15156歩

六日目 9月30日 善通寺市 〜 高松市国分寺町  民宿あずさ  28キロ 52024歩

七日目 10月1日 高松市国分寺町 〜 高松市栗林町  BHイーストパーク栗林 30キロ 46032歩

八日目 10月2日 高松市栗林町 〜 さぬき市士度   たいや旅館   25キロ 47440歩

九日目 10月3日 さぬき市士度 〜 さぬき市多和   八十窪 25キロ 47378歩

十日目 10月4日 さぬき市多和 〜 徳島県板野郡  民宿寿食堂  28キロ 48667歩

十一日目 10月5日 徳島県板野郡 〜 鳴門市 ⇒ 高速バス新神戸駅   16キロ 30031歩








一日目  名鉄バス・松山駅 ⇒ JR新居浜駅 〜 四国中央市   17キロ 33917歩

 名鉄の夜行バスで早朝、松山に到着。 このバスの運行主体は伊予バスなので、到着駅は伊予鉄道の松山市駅であった。 駅前から 「ぼっちゃん電車」 に揺られて、JR の松山駅まで移動した。

 松山駅で切符を購入。 前回は伊予三島駅からの特急で松山へ戻ったので、今回もそこを出発点とすべきであったが、もう一つ先の特急停車駅、新居浜駅まで買ってしまった。 まこと、水は低きに流れ、人は安きに流れる、の習いである。


 JR予讃線を新居浜駅で降り、国道11号線に出ようと、とりあえず北の方向に歩き出した。 持っている遍路地図はスペース節約のため北と南が逆になっており、自分の今いるところがよく分からなかった。 三角寺は西に方にあるから、11号線に出るまで、とにかく北西方向に目指せばよかろうを歩いていると、上右写真にある、モダンな集合住宅の表示板が眼に入った。

 そこには 「モンシェ モア」 と書かれてある。 それを見て一瞬、フランス語の動詞にモンシェールというのがあったかな? と考えた。 モンシェ (monchez) がモンシェール (moncher) の命令形のように思えたからである。 しかしすぐに気付いた。

 これはきっと、「私の家」 を意味するシェ・モアに、「私の」 を意味する所有形容詞モン (mon) を被せたもので、これでは 「私のわが家」 とか 「僕の僕んち」 になってしまう。 松山市の周辺でちょっと変なフランス語の名前をつけた店をいくつか見つけたが、ここ新居浜でもそうであった。



 国道11号線を行く。 緩やかな勾配の上りが、ずっと向こうまで続いている。 高松まで94キロの地点。



 伊予三島駅で特急を降りていたら、今日の歩きは25キロとなるはずであった。 それを新居浜まで乗ったものだから、予約していた松屋旅館までは15キロほどしかない。 このまま普通に歩いていけば午前中に宿に着いてしまうかも知れず、どこかに寄り道して時間潰しをする必要があった。

 運よく、途中に池田池公園という緑地公園があったので、そこに立ち寄った。 広い原っぱには、マレット・ゴルフの練習をする人たちがいた。 とくに理由はないが、何か話しかけられるのがイヤだったので、顔を合わさないよう遠くから彼らを避け、池の傍にある東屋まで行き、靴を脱いでベンチに寝っ転がって休んだ。 遍路の白装束がなかったら、ほとんど浮浪者である。 昼食のお握りを食べでそこを出たのは、午後の一時ごろであった。



ところどころで脇道に入る。 国道を行ってもよいが、ここでは車の騒音が聞こえなくなるのがいい。



いま自分がどこにいるのかを教えてくれる案内板。 右の手入れされた見事な筒型庭木は、雀のお宿になっていた。



松山までは琵琶の木が多かったが、この辺りは柿である。 まこと、どこにでもなっている、といった感じ。



 松屋旅館まで1キロほどのところにある、四国別格霊場十二番札所・延命寺。 本尊は地蔵菩薩。

 宿に入るにはまだ少し時間が早かったので、ここで休もうと東屋まで行くと、先客が二人、ベンチに座っていた。 そのうちの一人の持ち物は、スーパーの篭のようなものを収めた手曳き車に加えて、私のより大きくてずっと重そうなリュック。 こんなのを背負って引っ張って、あちらこちらの上り坂をどうやって行くのだろう ・・・・。

 二人の傍まで行ってしまったのでそのまま引き返すこともできず、一応、ベンチに腰掛けて靴ひもを直していると、昔の遍路道はああだった、こうだった、などなどと話しているのが聞こえた。 手曳き車の人はその夜、延命寺の庭にテントを張って野宿するそうで、そうしながら四国の遍路道を、延々と巡り歩いているようであった。 話す口ぶりからしても、またその出で立ちからしても、我こそは歩き遍路の代表なるぞ、とでも宣言しているようなお方であった。







二日目 四国中央市 〜 三好市池田町       31キロ 46120歩

 松屋旅館では昨晩、遅く着いた人がいて、朝食を一緒に取った。 30代ぐらいの坊主頭の人で、私は最初、お坊さんかと思ったが、身体を悪くして仕事をやめ、少しよくなったので体力作りを兼ねて、お遍路をしているという。 腰が悪く、歩くのが遅くて困りますと言ってたが、その日の夜、民宿岡田でまた一緒に夕食を取ることになり、私としては大いに安心した次第。



 目印の石床大師堂。 ここから右に直角に折れ、松山自動車道の下をくぐって、いよいよ三角寺への上り道に取り掛かる。 天気がよく、風はほとんどない。 工場の煙は上にまっすぐ立ち上り、汗をかくこと、おびただしい。




此方遍路道、と書かれた古い遍路石。 やがて三角寺への上りが始まる。



そのうち人家が疎らになり、つづら折りの道に入る。 先ほどの煙突は遥か下。 なおも無風の状態。



途中で脇道の急坂を越え、右は自動車道、左は歩き道の分岐に到着。



この辺りから、道はほぼ平坦になる。 緑の木々が両側にあり、急坂を上ってきた後だけに、すこぶる気持ちがいい。



第六五番札所 三角寺。 その山門前にある、相当に急な石の階段。 70 段ほどあった。



三角寺の山門と本堂。 本尊には十一面観音が安置されている。 ここの標高は500メートルほど。



ここでも例の、小さな箱を見つけた。 後で民宿岡田のご主人に聞いたら、ミツバチの箱だとのこと。



道路脇の、海が見下ろせる場所に素晴らしい展望庭を見つけた。 まこと、羨ましい限りである。



三角寺から国道192号線に出るまで、山道を300メートルほど下っていく。 ときどき視界が開けて快調に歩ける。



平田休憩所がある辺り、道が複雑になっていて迷いかけた。 軽自動車できた人に尋ねて事なきを得る。



昔からの遍路道なのであろう、随所に脇道へと案内する標識がある。 ここには年季を経た石段があった。



小さな滝あり野道ありで、変化に富んだ風景が楽しめる。



やがてまた元の舗装道路に戻る。 手入れの行き届いた畑がずっと続いている。



四国別格霊場十四番・常福寺。 椿堂とも称され、本尊は延命地蔵。 歩き遍路の恰好の目印となる。



 こういう人家の庭にも、例の蜜集めの箱が置かれていた。 国道192号線に入り、道端で休んでいた若いオランダ人と少し話をした。 頭に遍路傘を載せ白装束をまとっているが、下は水泳パンツ一つ。 日本人にはできない格好である。



 向こうまでずっと上り道が続き、やがてトンネルを越えると、民宿岡田がある。 後日、徳島から自転車でこの道を下ったとき、時速50キロほどのスピードが出た。 見た目よりも勾配があり、自分はあのとき、こんな道を上がってきたのかと思うと感慨深かった。







三日目  三好市池田町 〜 観音寺市   31キロ 55568歩

 民宿岡田では夕食時、宿のご主人が手書きの地図を配って、泊まり客に次の雲辺寺までの、険しい上り道の案内をするのが恒例の行事となっている。 それは当のご主人にすれば、もはや生きがいの一つとしてもあるようだ。 何度もこの宿を利用しているらしい客もいるが、その人たちとて、ご主人の説明にときどき合いの手を入れながらも、和やかな面持ちで耳を傾けている。 ともあれ、なかなかいい雰囲気の夕食会であった。



朝の6時過ぎ、ご主人とのツーショット。 宿を出て川沿いに少し行くと、雲辺寺への案内板が。



ずっと上りの舗装路がつづき、やがて石の階段が幾つも見え、ぐんぐん上を指して登って行く。



舗装路が尽きると、これでもかというほどの、きつい上りが始まる。民宿岡田があるのは標高240メートル。
これから向かう雲辺寺は標高910メートルで、四国霊場の中で最も高いところにある。



上左は 「一生水跡」。 行き倒れた坊さんがここでお経を唱えると、水が湧き出したという。 やがて上の舗装路へ。



そこから雲辺寺までは林間コースを行く。 きつい坂を上ってきたので、こうした緩い勾配の道でも結構疲れる。



六六番札所 雲辺寺。 その山門と本堂。 本尊は千手観音菩薩。 徳島と香川の県境に位置する。



上左は大師堂。 お寺を出ると、五百羅漢の像が道の両側に、50メートル以上の長さで並んでいる。



雲辺寺にはロープウエイがあり、それを利用して次の大興寺まで行けるが、私は下りの道を選んだ。



900メートルから下の平地まで一気に下るので、その歩きにくさは相当なもの。 ここで転んで骨折した人もいるという。



周辺で見られる小鳥の案内図。 また遍路道にまつわる各種の案内板。 休みがてら、それらに目を通す。



雲辺寺から下りに下って4キロ余り、やっと下の舗装路に出る。 ここから平坦な道がつづき、途中で雨となった。



六七番札所 大興寺。 その仁王門には、運慶作の巨大な金剛力士像がある。 深い森の中にあるようなお寺。



大興寺の本堂。 脇の事務所には立派な猫がいて、駐車場に捨てられていたのを育てたのだという。



大興寺から観音寺までは 9キロ。 途中、高松自動車道の高架下で小休止する内、雨は止んでしまった。 上は仁王門。



境内には、六八番札所 神恵院と、六九番札所 観音寺が同居。 本尊はそれぞれ、阿弥陀如来と聖観世音菩薩。



写真には写ってないが、有名なお寺だけにお遍路の団体バスが何台も到着し、大勢の人で溢れていた。



上右が観音寺本堂。 その本堂を囲んだコンクリート外壁が上左。 ちょっと見ではヤクザの組事務所のよう。

 境内のベンチに座っていると、若い人から声をかけられた。 京都にから来た学生さんで、自転車で四国を回っているところだという。 興味があったので、日に100キロぐらい走るのかと訊いたら、「いえ、140キロです。 だからきつくて、腿がもうパンパンです」 と言っていた。 フェリーで自転車を四国に入れたのかと訊くと、折りたたみのロードレーサーを列車で運んだと言う。 この若者の話は、私にちょっとした勇気を与えてくれた。 少なくとも後日、長崎へ自転車で行く気にならせてくれた。







四日目  観音寺市 〜 善通寺市     27キロ 50787歩

 朝の5時過ぎに若松屋本館を出発。
 夜明け前のまだ薄暗いなか、1キロ余りほど行くとコンビニの明かりが見えた。 そこで朝食のパンと牛乳を買い、店の前の駐車場に腰を下ろして食べた。



コンビニ前の交差点を渡って財田川に出ると、川沿いに2キロほど、コスモスの花が咲き乱れていた。 目印にしていた JR 予讃線の鉄橋をくぐったあと、河原から道路に出るところを間違え、少し行き過ぎてしまった。 もどって橋を渡り、本山寺に到着。



七〇番札所 本山寺の本堂と大師堂。 本堂は国宝で、そこに安置される御本尊は馬頭観世音菩薩。
このお寺の目印は平地に聳え立つ五重塔だが、残念ながら 「平成大修理」 の真っ最中、工事用の幕で覆われていた。



本山寺を出ると、交通量の多い国道11号線を行く。 途中で本降りの雨となり、道路沿いの家の軒下を借りて雨具を羽織った。 自転車に乗った若い女性が4人、ポンチョをうまく利用していた。 傘を差して乗る大阪のオバちゃんよりずっと安全である。



10キロほど歩いて弥谷寺の参道口へ。 その少し先にお寺の案内標識があり、本堂まであと僅かと喜んだが甘かった。



八丁目大師堂。 本堂まで1キロと案内にあるが、ここの道が緩やかな上りでなかなか大変。 そしていよいよ弥谷寺へ。



山門前の数十段の石段。 次に控えるのが赤い手摺の 「百八階段」。 もちろん、煩悩の数を表したものである。



また別の石段、次いでまた石段、という具合に、本堂までの500メートルは、ほとんど山登りと変わらなかった。



これで終わりかと思ったが、石段はまだ続いた。 最後の細い石段を二つ上がり、いよいよ本堂へ。



七一番札所 弥谷寺 (いやだにじ) の本堂。 本尊は千手観世音菩薩。 山門手前からの道を次の曼荼羅寺へ。 



 どこでお昼を食べようかと思案しながら歩いていると、再び11号線に出た。 その路肩の駐車場にプレハブ造りのうどん屋があり、少し躊躇したがそこに入って、天ぷらうどん定食を注文。 550円と格安だったが、それは私が四国を歩いて食べたうち、最もおいしいと思ったものの一つであった。
 店の主人は私と同い年ぐらいで、加計学園問題の胡散臭さについて、しばらく言葉を交わした。




七三番札所 出釈迦寺 (しゅっしゃかじ)。 その山門と大師堂。 本尊は釈迦如来。 ここはすでに善通寺市である。



上左は本堂。 こぢんまりした境内で、本堂と大師堂はほとんど軒を接するほど。 山門前の参道と大師像。



七二番札所 曼荼羅寺。 その山門と本堂。 本尊は大日如来。 西行が昼寝をしたという 「昼寝石」 がある。



七四番札所 甲山寺 (こうやまじ)。 小さな門の向こうに山門があった。 このお寺の本尊は薬師如来。



上左は本堂。 その後ろに かぶとやま と読む甲山がある。 このお寺の近くで弘法大師の神童伝説が生まれた。



七五番札所 善通寺の仁王門。 金剛峯寺、京都の東寺と並んで弘法大師三大霊場の一つ。 真言宗善通寺派総本山。



善通寺の境内は広大で、東院と西院にわかれる。 その西院に本堂と五重塔がある。 本尊は薬師如来。



御影堂 (みえどう) と呼ばれる大師堂。 上は東院にある五百羅漢。 西院では五百羅漢が境内を囲んでいる。
 







五日目  善通寺市に滞在し、金毘羅宮と栗林公園を見学




琴平駅。 ここから商店街を歩き、入った店の人に勧められてタクシーで、金毘羅山の中腹まで行った。



とにかく石段の連続。 車椅子の人を案内するボランティアたちもいたので、頂上まで自動車で行けるらしい。



旭社。 ここで終わりでなく、「右御本社」 の案内に従い、さらに石段を上って本社へ。



頂上の本社。 船の守り神のお宮で、本社の向こうには船舶関連の会社から贈られた船や写真が飾られている。



好天気のなか、金毘羅宮からの素晴らしい景色が眺められた。 上右は栗林公園。 手入れの行き届いた見事な公園。







六日目  善通寺市 〜 高松市国分寺町    28キロ 52024歩

ホテルの朝食は7時半から。 それを済ませたあと、家人に見送られて JR土讃線の善通寺駅方向に歩き出した。



国道25号線沿いは何の変哲もない市街風景。 4キロ歩いて七六番札所 金倉寺に到着。 山門に仁王像が見えた。



本堂には薬師如来が、大師堂には弘法大師と智証大師円珍 (弘法大師の甥) の像が安置されている。



不動明王像。 境内は掃除が行き届き、きれいに整備されている。 上右に見える大木はソメイヨシノ。



多度津町に入ってから国道25号線を離れ、北に向かって次の道隆寺を目指す。 歩道柵にある道案内は心強い。



香川県には讃岐富士に代表される、お椀を伏せたような山を随所に見ることができる。



七七番札所 道隆寺。 その山門と大師堂。 お寺の本尊は薬師如来。 眼病にご利益ありと伝えられる。



本堂前に観音像が並び、全部で255体あるという。   丸亀に向かう途中、松谷みよ子さんの動物愛護詩があった。



丸亀城を右に見ながら、しばらく国道33号線の大通りを行く。 脇道に入ると、見落としそうな石の道案内があった。



七八番札所 郷照寺。 その山門と本堂。 本尊は阿弥陀如来。 厄除けのお寺として有名である。



大師堂へ上がるこの階段に、歳の数だけ一円玉を置いて厄を落とすのだそうだ。 私は入口の階段に座って昼食を。



坂出市に入る。 地図を見るとこの日、ずっと予讃線に沿って歩いている。 遍路案内板は大通りを避け脇道へと導く。



七九番札所 天皇寺。 寺の名前は崇徳天皇との関係に由来。 高照院とも称される。 本尊は十一面観世音菩薩。



天皇寺は、崇徳天皇ゆかりの白峰宮の神宮寺としてあり、事情に疎い私には両者渾然一体の感があった。



国道11号線を、坂出から高松へ。 山道も疲れるが、車の多いこうした幹線路を何ロも歩くのは、精神的に参る。



11号線を隔てて、予讃線・国分駅の反対側に、八十番札所 国分寺がある。 境内は広く、山門までの敷石道が長い。



枝ぶりのよい松が境内で林をなしている。 その中に、旧金堂の礎石が33個、往時のまま残っている。



国分寺の本尊は十一面千手観音菩薩。 この日の宿選びに少し苦労した。 「あずさ」 は古びた文化住宅のようであった。







七日目  高松市国分寺町 〜 高松市栗林町  BHイーストパーク栗林 30キロ 46032歩

今日は三つのお寺を回るが、最初の二つは山の中。 先ずは海抜400メートルの峠を目指す。



宿を出てからすぐ、道は上りになる。 ここを自転車で下る人を見たが、さぞかし帰りは大変だろうなと同情した。



途中、オリーブ畑があった。 チュニジアで見るような大木はなく、これが日本型なのであろう。 立派に実をつけている。



この辺りは、白、黒、黄、青、紅の土や木で彩られる五色台。 案内図を見て初めて、海の近いことに気づかされる。



やがて舗装路を離れ、峠道にさしかかる。 道のど真ん中にマムシが。 これを踏んづけたら大変である。



3キロの道で400メートルを上るので、かなりの急坂。 視界が開けると、香川特有の円錐形の山が見える。



この登り道で、岡崎からきたという二人連れに会った。 随分と速足で、楽々と私を追い抜いて行った。



やっと上の舗装路へ。 道路を渡って遍路道を500メートルほど行ったが、思い直して戻り、舗装路を行くことにした。



自衛隊演習場を囲む金網を過ぎて進むうち、「下乗」 の標識が見えた。 お寺がもうすぐそこだと分かる。

 

八一番札所 白峯寺。 本尊は千手観世音菩薩。 讃岐に配流され崩御された崇徳天皇を慰める廟所がある。 



白峯寺は石段づたいに上下に延びるお寺。 本堂へと通じる石段の脇に、十二支ごとの守護本尊が祀られている。



 納経所では女性が二人、掛け軸に押された朱印をドライヤーで乾かしていた。
 寺を出て元来た道を引き返すと、峠への登り道で私を追い抜いた岡崎からの二人が向こうからやってきた。 アップダウンが多そうな遍路道を避け、距離的に長い舗装路を私は選んだのだが、これほど時間的な差が生じるとは思ってもみなかった。



国分寺方向と根香寺方向との分岐点。 先ほど、舗装路の向こうの遍路道を選んでいたら、ここに出たわけである。



途中にあった 「陸軍用地」 の標識。 近くに自衛隊演習地があるのは、戦前からのなごりなのであろう。



高野山にあるのは方形柱状の町石卒塔婆。 ここのは地蔵タイプで、町でなく丁 (ともに109メートル) の字が。



やがてまた舗装路に出て足尾大明神を過ぎ、五色台ミカン園前の三叉路の近くに、根香寺に通じる脇道が。



根香寺 (ねごろじ) の仁王門。 この日はお遍路さんを乗せたバスが2台、エンジンを掛けながら停まっていた。



境内は縦に長く、奥の本堂に行きつくまで、大勢のお遍路さんたちとすれ違った。 横に役行者小角の石像。



千手観音菩薩を安置する本堂。 お寺は五色台の、青峰と呼ばれる地に建てられている。



地図では根香寺からすぐ自動車道に出るはずであったが、途中に標識があったので、それに従った。



あまり人が歩いた形跡はなく、クマザサなどが生い茂るなか、僅かに道らしきところを辿って進む。



やがて舗装路に出ると、ずっと下りの道がつづいた。 腰を下ろせる場所を見つけ、お昼のお握りを食べる。



徐々に市街に近づいて行くのが分かる。 予讃線の踏切を越えると、あとは延々、市街地の真っただ中を行く。



八三番札所 一宮寺の山門と本堂。 本尊は聖観世音菩薩。 「讃岐一宮のお大師さん」 として信仰を集める。



そう広くない境内には、大師堂、菩薩堂、稲荷堂などがあり、大きな楠がシンボル・ツリーのごとくに聳えている。



二人の女性からお接待のお菓子をいただいた。 いつも通りそれを観音像の前に供え、感謝の意を示した。







八日目    高松市栗林町 〜 さぬき市士度   たいや旅館   25キロ 47440歩

  下左は琴平電鉄の栗林公園駅 (雨が降っておらず、前日に撮影したもの)。 昨夜はこの駅のそばのビジネスホテルに泊まったのだが、まさか予約したそのホテルが、数日前に訪れた栗林公園のすぐ近くにあるとは、思ってもみなかった。



朝から本降りの雨。 高松市街を雨に降られて歩くのはおっくうだったので、琴電で5キロほど先の、潟元駅まで行くことにした。上右は琴電・志度線の電車。 土日と祝日は自転車持ち込みが可能。 こういうサービスは日本中でやってほしい。



潟元駅を降りて少々道に迷い、郵便局の職員らしい人に尋ねて無事、屋島小学校の横を通って屋島寺の参道に出た。



参道はきれいに整備された石の道だが、それは何度も何度も折れ曲がり、しかも急勾配。 ようやく寺の入り口へ。



霧に煙って薄暗い中、八四番札所 屋島寺の山門が見えた。 当地は源平の壇ノ浦合戦上に近い屋島である。



屋島寺は鑑真和上ゆかりの寺で、本堂は鎌倉後期創建で国の重要文化財。 その斜向かいに大師堂がある。



四国狸の総大将を祀る蓑山大明神。 寺を通り抜けると、朱に塗られた真新しい山門があった。



雨は依然として降りつづく。 屋島寺の標高は280メートル。 ここから下に見える壇ノ浦まで、一気に下ることになる。



 雨に濡れた急坂は滑りやすく、まことに危険。 上左のように要所にロープが張られており、心強かった。一度、スピードのついた身体を止めることができず、このロープに助けられ落下を免れた。 上右の石段は足を滑らせて転んだところ。 右の腿に30センチほどの擦り傷を拵えてしまい、傷痕が消えるまでひと月ほど要した。 運が悪ければ骨折していたかもしれない。



壇ノ浦まで下りて数キロのところに八栗ケーブルの登山口駅があり、急坂の遍路道を行くのは遠慮した。



ケーブルの山上駅から、両脇にいろんな祠が立てられた参道が通じている。 上右は大日如来を安置した多宝塔。



 八五番札所 八栗寺の大師堂と本堂。 本尊は聖観世音菩薩。 上右の本堂には、高松藩主・松平家の葵の紋が見える。
 唐留学の無事を祈願し、大師はこの地に八つの焼栗を埋めた。 帰朝後、それらが木に成長。 寺の名はそれに由来。



なおも雨は降りつづいて坂を流れ落ちたが、3キロほど歩いて琴電の踏切を渡ると、ようやく小止みになった。



国道11号線を、さぬき市に入る。 さぬき市志度が平賀源内ゆかりの地であるとは、ここで初めて知った。



志度寺の手前の寺に、大師像と並んで平賀源内の墓。 上右は八六番札所 志度寺の仁王門。 大きな草鞋が二つ。



本堂と大師堂。 本尊は十一面観世音菩薩。 藤原不比等が妻の墓を作り、死度道場としたのが寺名の由来。



イギリス庭園のような、低い灌木が縦横に広がる落ち着いた感じの境内には、朱色に塗られた五重塔がある。

 この日も宿さがしに苦労した。 民宿岡田でベテランのお遍路から、志度寺のそばの宿がいいと教えられたが、そこに電話をすると、主人が病気のため休んでますとのこと。 経営者の高齢化が進み、今後ますますこうした遍路宿が増えるであろう。

 この日の泊まりは 「たいや旅館」。 電話予約で食事の用意ができないと言われた。 とくに問題はないのでここに決めたが、浴場にタオルや石鹸の類がないのには閉口した。 多分、用意するのを忘れていたのだろう。







九日目   さぬき市士度 〜 さぬき市多和   八十窪 25キロ 47378歩

 宿泊した 「まあめいど」 は朝食を出せないというので、朝の6時前に出発。
 外に出ると、愛媛に来てはじめて雨模様の空。 いつ雨が降り出すか分からないので、ポンチョを手に持って出発。



今日は基本的に予讃線に沿って、変化に乏しい国道を行くことになる。 救いは海が見えること。



道標に小松市と今治市の名前が。 10キロほど歩くと本降りの雨になり、途中の鎌大師でしばし雨宿り。



雨は一時間ほどで止んでしまい、やがて国道は今治市に入る。 。



道路横に接待所。 「菊間町で生まれたぶじかえる。 ご自由にどうぞ」 と書かれてあるが、意味がよく分からなかった。



厄除け大師 遍照院。 中に入ってみると、八八か所のお寺ととくに違いは見られない。



瀬戸内の大きな道路地図。 いま自分がどこを歩することがない。 したがってこういう地図は、われわれの位置感覚を正常に戻してくれる。



海はちょうど引き潮の時刻で、船はみな、係留地に閉じ込められている。































午前中の。







十日目    さぬき市多和 〜 徳島県板野郡  民宿寿食堂  28キロ 48667歩

 。



国道の交差点に、「ようこそ 今治へ タオルと造船の町」 の大看板。 もちろん 「加計」 の二文字はない。



登校中の小中学生とあちらこちらで出会う中、五四番札所 延命寺に到着。 上左は立派な山門。



このお寺では山門が、いかにも重厚で風情があった。 今治城から譲り受けたもので、ここへ移したのだという。



延命寺を出てしばらく、イヤというほど遍路道案内があった。 が、市街に出ると皆無となり、南光坊へは迷ってしまった。



五五番札所 南光坊の本堂と大師堂。 ベンチで休むわたしに小母さんが話しかけてきた。
とてもお遍路はできないので、週に何度か、このお寺の掃除に来ています、とのこと。



高校が立ち並ぶ文教地区を歩き、コンビニでお握りを買ったあと、五六番札所 泰山寺の入り口に到着。



泰山寺の周りは石垣で囲われており、る。







十一日目    徳島県板野郡 〜 鳴門市 ⇒ 高速バス新神戸駅   16キロ 30031歩

 今日は一番札所をお参りして帰るだけなので、朝食後、ゆったりした。



前に歩いたはずの道を逆方向へ進む。 一番札所 霊山寺に着くと、幼稚園児らが門前で記念写真を撮っていた。。



近くの幼稚園の子どもたちで、これから出かけるお遍路に、励ましの手紙、小袋、マスコットを配りに来ていた。



私も園児らに 「行ってらっしゃーい」 の声に送られて寺を出たが、これから帰るのだから妙な気分であった。



坂東駅に着いて着替えをしていると、春日井市にいたというお婆さんに話しかけられ、