|
2015年3月 : 二四番 「最御岬寺」 〜 三五番 「清瀧寺」 ![]() 三一番 竹林寺 五重塔 CONTENTS : 遍路の再開 一日目 二日目 三日目 四日目 五日目 六日目 七日目 八日目 |
2015年3月の八日間、高知県の遍路道を歩き、24番札所・最御岬寺から35番札所・清滝寺まで巡拝した。 39番の延光寺までと、高知県の全札所を一気に歩きたかったが、私のような無職失業中の者にも用事はできるもので、一旦帰名した。 高知の残りの部分は、また日を改めて歩くこととした。 前回の反省から、強行スケジュールはやめにして、この度はかなりゆったりしたペースで歩いた。 真言宗という、伝統宗教の権化とも言うべき寺々を巡りながら、持参した文庫本は新宗教のルポルタージュである 『日本ばちかん巡り』 (ちくま文庫)。すでに一度読んだ本だが、宿に着いてからの無為の時間に、改めてこれを面白く再読することができた。 こういう異端・異教の本を読んでも、度量のある弘法大師は決して気を悪くしないであろう。 そうであるからして、次の機会には新約聖書でも持参しようかと、ますます罰当たりなことを考えている。 今回の行程は次の通り 全体の歩数は 331,556歩であった。 一日目 3月8日 日和佐駅〜海部町 みなみ旅館 27キロ 43886歩 二日目 3月9日 海部町〜東洋町 民宿徳増 33キロ 52206歩 三日目 3月10日 東洋町〜室戸市 金剛頂寺宿坊 22キロ 41642歩 四日目 3月11日 室戸市〜安田町 浜吉屋 31キロ 54418歩 五日目 3月12日 安田町〜芸西村 土佐ロイヤルホテル 25キロ 37782歩 六日目 3月13日 芸西村〜高知市一宮東 レインボー北星 30キロ 34245歩 七日目 3月14日 高知市一宮東〜同市長浜 民宿栄光 20キロ 36383歩 八日目 3月15日 高知市長浜〜土佐市 16キロ 30994歩 タクシーで土讃線伊野駅まで |
徳島編で巡拝を終えた23番・薬王寺から再開。 前日、午後11;00の名古屋発夜行バスに乗り、5時過ぎに徳島駅着。 ちょうど5時47分海部町行きの始発があり、それに乗って7時15分、日和佐駅に到着。 四国ではディーゼルのワンマンカーが基本的。 「安全運転のため、運転士に話しかけないでください」 というアナウンスが可笑しかった。 私の好きなフランス小噺ではマルセイユのバスに貼り紙があり、「運転士が話しかけても返事しないでください」 と書かれている、というもの。
![]() 駅前の道路案内板に、室戸まで81キロとあった。 室戸岬までは2泊の行程。 途中に札所はなく、ただひたすら歩くのみ。
![]() 高知県では国道55号線が遍路道の大部と重なる。 幸い天候に恵まれ、朝はこうして自分の影を前に見ながら、西を目指して歩いて行く。 ひたすら西を目指すコンポステラ巡礼も、やはり自分の影を見ながら歩く。 国道55号線にはトンネルが多く、そこの騒音は相当なものだ。
![]() コンクリートの道を歩くと疲れるという人がいるが、私はとくにそうは感じない。 ただ、情緒に欠ける嫌いはある。 1キロごとに、室戸までの距離を示す表示があり、歩くペースを知る上で役立つ。 ここは歩きだして2キロの地点。
![]() 国道に沿って、のどかな農村風景がずっとつづく。 ヤギを連れた人がいてチュニジアを思い出した。
![]() 国道を通る車の数はそう多くない。 前を行くお遍路の背中が見えてきた。 彼らとはこれから、抜きつ抜かれつの仲となる、
![]() 国道ながら、歩道が途中でなくなったりする。 「動物注意」 の案内板が多い。 車に轢かれたタヌキを何度か目にした。
![]() 歩道のない部分には、お遍路用にグリーンラインが引かれている。 前を行く白い服の人とは、いつもどこかで一緒になった。
![]() その意味がよく分からないが、ときどき遍路道には、遍路姿をした人形が置かれている。 そしてお地蔵さんの祠。
![]() 牟岐町を流れる牟岐川。 橋の上から自分の影を撮影。 この川では鯉が放流されている。
![]() 牟岐町を少し過ぎた路上で、お接待を受けた。 道路を横断してきた若い娘さんが私に声をかけ、ポカリスエットとチョコボールの袋を 手渡してくれた。 そして手で向こうを指しながら、「あちらにいる母からです。足が悪いので・・・」 と言う。 初めての体験、 ということもあるが、このとき私は一瞬、身体に電気が流れるようなショックを感じた。 私ごとき者になぜ、という思いからである。 お接待を受けると納め札を返すのが作法だが、それはリュックに入ったまま。 ただ手を合わせて感謝の意を示した。
![]() 12時ごろ、鯖大師に到着。 ちょうどその前に饅頭屋を兼ねた食堂があり、そこで昼食をとることができた。 そうこうするうち、太平洋が見えてきた。 徳島では海側を歩かなかったので、遍路道で初めて目にする海である。
![]() 国道を左に折れて遍路道を行くと、国定公園になっている美しい白砂の海岸に出る。
![]() 遊ぶ人は一人もおらず、ウエットスーツを着た漁師が海に潜って何かを採っていた。
![]() やがて遍路道からは海が見えなくなり、また単調な国道歩きがつづく。 本日はあと6キロほど。
![]() いよいよ海部町に入る。 道路沿いに石碑があり、「語り継ぐ 昭和二一の年の暮れ 津波たけりし あの日のことを 行人」 とあった。 四国の太平洋側は、0 メートル地帯に等しいところがずっとつづく。 津波への警戒については、また後述することになる。
![]() 四国ではトンビによく出くわす。 上昇気流に乗って優雅に空を漂っているが、うまく写真に収めるのはかなりむずかしい。
橋を渡ったところを左に折れ、300メートルほど行くと、この日の宿、みなみ旅館に到着する。 |
この日は6時間ほど、雨の中を歩いた。 これでもか、というぐらい、雨は盛大に降ってくれた。 お遍路が頭にかぶる笠はビニールカバーで覆われていて、これとレインコートを併用すると、傘は不要。 うまくできているなと感心した。 ただ、新しく購入したリュックサックは防水だと思っていたら、そうでなかった。 これが大誤算で、宿に着いたらリュックの中身は何もかもがずぶ濡れ。 結局、私は雨水も一緒に運んでいたことになる。 宿のエアコンをフル回転してそれらを乾かし、紙幣も一枚ずつ、畳の上に立てて並べた。 そうして翌日、機能停止状態であったカメラも無事、元に戻った。 次回の遍路では防水のリュック・カバーを用意しなければならない。
![]() 宿屋がある通りにあった津波避難場所案内板。 徳島県と高知県の海岸沿いの、あらゆる場所でこれを目にした。
![]() 上の案内板では神社が避難場所になっている。 多くの神社は高台にあり、過去の津波を生き延びてきたからである。
![]() ここはまだ徳島県。 曇り空のなか、このまま雨が降らないでほしいと願いながら歩いた。
![]() 最御崎寺がある室戸岬まで48キロの地点。 サーフィンやダイビングを教えるスクールが、ぽつぽつと国道沿いに現れる。
![]() 白い灯台を過ぎると県境のトンネルがあり、そこを抜けて高知県に入ると雨が降っていた。 ここでレインコートを羽織る。
![]() こうした休憩所が数キロごとにあり、土砂降りの雨のなか、なるべくそこで小休止を取るようにした。
![]() 途中にある東洋大師。 ちゃんとしたお遍路さんは、こういう場所でもお経をあげ、丁寧にお参りをすると聞いている。
![]() 雨のせいで、カメラのレンズが曇ってしまった。 雨宿りのバス停で写したくちなしもピンボケ状態。 このあとカメラは動かなくなった。 ![]() この日、沿道に食堂を見つけることができず、みなみ旅館がお接待で用意してくれたおにぎりで昼食を済ませた。 海岸の休憩所でおにぎりを食べながら思ったものだが、もしそれがなければ一大事であった。 ちなみに、上のポカリのボトルは昨日、お接待でいただいたもの。 これに水を入れて持参。 |
この日の午前中の歩きで、膝に痛みを感じるようになった。 私は子どものころ、正座すると膝関節が脱臼したみたいに、伸びなくなることがよくあった。 医者に診てもらうと、オスグッド・シュラッテル氏病と診断された。 のちに整形外科の教科書を見て、これが膝の軟骨に関わる有名な病気 (発育不良) であることを知った。 サッカーをしていたときも接触プレーで、ときどき脱臼をした。 大学を出ると世はジョギング・ブームとなったが、走ると膝に痛みが出る私はそれをせず、自転車ランを選んだ。 膝にショックを与えない自転車は私に向いており、以後は本格的なロードレーサーであちこち走りまわった。 おそらくこの、昔の膝の持病がぶり返したのだと思う。 昨日、雨の中を長距離歩いたことも影響したであろう。
![]() 昨日の大雨から一転、快晴の朝を迎えた。 しかし風が強く、遍路笠の紐をしっかりくくらないと飛ばされそう。 右は私の影。 9時半ごろ、遍路笠からパラパラと音が聞こえ出した。 空は晴れているので何かなと思っていると、アラレだった。 これも狐の嫁入りか。
![]() 人家の庭に黄色い花を見つけ、アッと驚いた。チュニジアでよくみた花である。 名前を聞こうと思ったが、辺りに誰もいなかった。
![]() 青年大師像。下にあるのは3階建ての家で、その大きさは相当なもの。 もう少し行くと売店があり、仁王像の向こうに大師像が見えた。
![]() 強風に荒れる海を見ながら歩いていくと、やがて室戸岬と記された石柱があった。 ここら辺は荒々しい岩が突き立っている。
![]() 若き日の弘法大師が荒行にいそしんだという御蔵洞。 そのすぐ先に、最御岬寺への参道口があった。
![]() 遍路石に寺まで690メートルとあった。 久しぶりの上り道である。 その横で、目に特徴のある、ちょっと神々しい感じの猫に出会った。
![]() どこのお寺もそうだが、こうした急坂が境内まで続く。 右は大師が奇蹟を行ったという 「捻り岩」。 この登りで右膝の古傷が痛み出した。
![]() 途中の休憩所から、木々の間を覗き見た海。 風が台風並みに、ますます強くなってくる。
![]() 二四番札所 最御岬寺 (ほつみさきじ) 山門と本堂。 奥に遍路センターがあり、そこで金剛杖を購入した。
![]() お寺を通り過ぎると、室戸岬の向こう側に出る。下に海を見ながら下りて行き、ちょうどそこにあった食堂で昼食をとった。
![]() 『土佐日記』 の紀貫之が京へ帰るのに、ここから船に乗った。 右は茂ったエンドウ豆。わが家のはまだ10センチほどなのに・・・。 沿道に室戸岬小学校、室戸岬中学校があった。 付近の案内板では、単に岬小・岬中と呼ばれていて、なるほどなと思った。
![]() 二五番札所 津照寺 (しんしょうじ) 山門をくぐると本堂まで長い階段があり、膝が痛いので上るのは遠慮した。 津照寺の1キロほど手前で道を間違えた。 そのまま進むと行きすぎるところで、お遍路が一人、向こうから来た。 どこかで会った人だと思って 「やあ」 と声をかけ、少し話をした後、私が方向違いに歩いていることを教えてもらった。 後でよく考えると、その人とは初対面であった。
![]() 二六番札所 金剛頂寺 山門と本堂。 15時45分着。 この寺へも、急坂を600メートルほど登らなくてはならない。 はたして無事に行けるかと案じていたら軽トラックが停まって、オジさんが私に声をかけた。 寺まで乗っていけと言うのである。 これは天の助けと、すぐさま助手席に乗り込んだ。 こうして声をかけるけど、お遍路10人のうち、8人ほどは断って歩くね、とオジさんは言っていた。 オジさんはお接待の積りで声をかけていて、私が応じたことに、いかにも満足そうであった。
![]() 今日はここが泊りなので、ゆっくり境内を見て回った。 このお寺もきれいに掃除が行き届いていて、いかにも古刹という感じであった。
![]() この日の泊まり客はバスの団体客が60人ほど。 それに歩き遍路がちょうど10人。 宿坊ながら、夕食はどこの民宿で出されたのよりも豪華で、少々驚いた。 聞けば、野菜や魚など、いろんな食べ物を近所の人たちが持ってきてくれ、それを夕食に出しているのだという。 鯉が泳ぐ池も宿坊にはあって、まあ、ちょっとしたホテルである。 そこのホールで新聞を読みながら缶ビールを注文し、お金を払おうとすると、会計は明日の朝、一回だけです、と言われた。 つまりはセルフサービスの信用払いで、何を飲んでも、すべては翌朝、泊り客が申告するのだという。 たしかに、お寺で食い逃げをするお遍路はいないであろう。 宿坊に泊まると、必ず朝のお勤めに参加しなければならない。 最初、団体客だけがそれに参加するものと思い、宿坊を差配するおばさんに私も出るのですかと尋ねたら、ここに泊まる人は必ず出なければなりませんと叱られた。 それで翌朝6時に勤行所に行き、坊さんの説教 (というか世間話) を聞いた。 全体で30分ほどのお勤めであった。 |
この日は午前と午後に二度、坂道を歩くことになった。膝が痛むので休憩を入れながら、ゆっくりペースで行った。 金剛頂寺の宿坊を出ると、さっそく下りの急坂がはじまり、膝にショックを与えないよう、注意して下りた。 このとき、最御岬寺で購入した金剛杖が役に立った。 杖を持つと歩きにくいと思っていたがそうでもなく、とくに下り坂で体重を支えるのに力を発揮してくれた。
![]() 宿坊の急坂を下りたあと、国道55号線に沿った住宅街の道を延々と歩いた。 途中、大正15年建造の郵便局があった。
![]() そのままずっと平坦な道がつづくと思っていたら、案内板があって、どうやら峠越えの遍路道を行くらしい。
![]() それからはずっと上り坂。 自動車道に出ると、それを横断してまた遍路道に入る。 そういうのを何度も繰り返した。
![]() 膝が痛いのでしんどかったが、この道を拓いた人たちは私より、もっとしんどかったことであろう。
![]() ようやく上の原っぱに出て、少し行くと海と国道が見えた。 この旧道に大師ゆかりのものはなく、国道沿いに歩いてもよかったのである。
![]() 所どころで、「網元の家」 というのを見た。 写真にあるのは昭和10年に建てられたもの。
![]() しばらく海岸沿いに進む。 風はそう強くないが、太平洋の荒波が絶えず打ち寄せている。
![]() しゃも (軍鶏) は、闘鶏、観賞、そして食用に供されるニワトリの一種、高知県はその主要な育成地の一つである。
![]() 「尊王攘夷」 の運動を誓ったが土佐藩の公武合体論に妨げられ、1864年に殉死した二十三士の墓。 維新の4年前、である。
![]() 泊りの民宿にリュックを預け、神峯寺まで片道3.5キロを往復。 まずはアスファルトのバス道を行き、途中で急勾配の遍路道に入る。
![]() マムシ注意とある。 いまは3月だからいいが、夏の遍路は大変である。 本堂まで906メートルと、やけに細かい表示の遍路石。
![]() 南無大師遍照金剛の石柱。 右の石には 「ありがたや 八十八の霊場を 大師は今にめぐりまします」。 愛知県西尾市の人の名があった。
![]() 27番札所 神峯寺 (こうのみねじ) 山門と納経所。 この辺り一帯、桜の名所だという。 花がなくても境内は緑で美しい。
![]() 本堂へ行くには階段をいくつも登らなければならない。 左は本堂と大師堂に通じる最後の階段。 ここは標高470メートル。
![]() 左は泊った民宿・浜吉屋。 前の田圃に、鉄骨だけの構造物が建っている。 四国の低海抜地帯でよく目にする津波避難所である。 |
![]() 宿を出て国道55号を行く。 次の大日寺までは30数キロ。 曇り空ながら、雨の心配はない模様。
![]() この辺り、千本松原がしばらく続く。 よく見ると松の一本ごとにラベルが貼られ、丁寧に管理されている
![]() やがて護岸堤防のサイクリング道に入り、そこを延々と歩く。 自動車の騒音がないのがよい。 右は竜馬鉄道のワンマンカー。
![]() 定年退職を機に浜松市からきたお遍路の M さんに写真を撮ってもらった。 そして安芸の、誰もいない海。 こういう遍路姿で名古屋や豊田の町を歩くと奇異の目で見られる。 四国ではそうでなく、それが 「文化」 というものなのだろう。 PS : 5月の末になって、この浜松の M さんからハガキをいただいた。 その後、4月25日に八十八ケ所を巡り終えて一番札所の霊山寺に打ち戻り、さらに5月20日、高野山に上って無事、結願を果たしたという。 並みの体力や精神力で八十八ヶ所の通し打ちはできるものでない。 三十五番どまりの私としては、感嘆と尊敬の念を禁じ得ない。
![]() この辺りの海抜も数メートル。 津波時の避難用に、高台へと通じる階段が設けられている。
![]() 土佐ロイヤルホテルは高台にあり、その入口まで歩いて行くのに骨が折れた。 ここには室戸深層水の大浴場があり、朝風呂にも浸かって、少しゆっくりする予定である。 部屋に利用客の意見を聞くアンケート用紙が置いてあり、それを見ると、ホテルの利用目的に 「遍路」 というのがなかった。 スペインのコンポステラ巡礼路には 「パラス」 という、昔の貴族の居城などを改装した豪華なホテルがあり、よく巡礼者に利用されている。 四国遍路では弘法大師にならって、安宿に泊まるのがよいとされるのだろう。 こういうホテルは遍路道沿いにあっても、泊まり客にお遍路たちはいなかった。 |
土佐ロイヤルホテルでは朝風呂のあと、7時半から朝食。 ロビーのWiFiで久しぶりにメールを開き、ゆっくりついでで、8時過ぎに出発。
![]() 膝の調子は相変わらず。 出発を遅くしたため、ホテル前の西文駅から竜馬鉄道で、野市駅まで行くことにした。
![]() ホームで大阪生まれというオバさんと話をするうち、ディーゼルが到着。 車輛の左 (海側) に、展望用の回廊がついている。
![]() 「サイクル プラス トレイン」 ・・・ 竜馬鉄道に自転車を乗せてのサイクリングで、羨ましいアイデア。 駅ホームは津波の避難所でもある。
![]() 車窓から見たチューリップの公園畑。 野市には大学サッカー部の春合宿で毎年来ていたが、駅前に立つのは初めて。
![]() 合宿のとき、移動の車の中から毎日眺めていた丘の上のレストラン跡。 やがて大日寺に通じる道へ。
![]() 28番札所 大日寺。 その山門と納経所。 この山門を見て、合宿中に選手父兄の案内でここまで来たことを思い出した。
![]() 本堂。 野市は私の思い出の地であり、そこにある大日寺に敬意を表しての記念写真。
![]() 大日寺を出るとすぐ、「高知県立青少年センター」 の看板に出くわした。 選手の合宿所がお寺の前だったとは知らなかった。
![]() 3月ながら、高知ではすでに桜が開花。 そこここに野の花が咲いていて、自然の豊かさに心動かされる。
![]() お地蔵さんを見ながら右の農道を少し行くと、29番札所 国分寺の山門に到着。
![]() このように、石段のないお寺だとホッとする。 右は本堂。 バスでの団体遍路がおらず、静けさに包まれていた。
![]() 左は大師堂。 お遍路が一人、般若心経を唱えていた。 お寺の前にある遍路石。 次の善楽寺までは7キロ。
![]() 国分寺を出てから渡る川を間違えたようで、軽自動車の女性があちらですよと教えてくれた。 あとはずっと市街地を歩く。
![]() コンビニで昼食を済ませたあと、国道を離れて脇道に入る。 ヘンロ小屋 (五号) の案内
![]() こういう道を行きながら、電柱に貼られた遍路のシートや案内版を見つけるとホッとし、実際、血圧が下がるような思いをする。
![]() 左が 「ヘンロ小屋 (五号)」。 大学で建築を教える先生が資金集めをし、少しずつ増やしているという。 そして30番札所 善楽寺に到着。
![]() このお寺にも石段はなく、私としてはヤレヤレであった。 この日の宿は近くの民宿で、その名を 「レインボー北星」 と称する。 その民宿は場所が分かりにくく、探すのに少し苦労した。 着いてみると部屋が二つか三つあるだけの、まさに大阪で見る文化住宅そのもの。 どういう理由で 「レインボー北星」 なのか、由来を聞いてみたかったが家主のおばさんは耳が遠く、話がうまく通じなかった。 3人の泊まり客の一人が、大阪から来た真面目そうな大学生。 高校1年のときから少しずつ四国を歩いていて、今回が5回目だという。 私が高校生だったころ、四国遍路そのものを知らなかったから驚いた。 将来は教員になりたいと言っていた。 |
レインボー北星を午前7時に出発。 交通量の多い国道を歩くうち道が分からなくなってしまい、途中のタイヤ店で地図を見せて確かめると、西に1キロほど迷い込んでいた。そのあと幾度か水路を越えたりして、何とか本来の道に合流したが、右膝の痛みがどんどん増してきた。 九〇分ほど歩いて県立美術館の横に来たとき、右足を前に出すことができなくなるほど、膝の痛みが激しくなった。 仕方なくコンビニに入り、軽食コーナーの椅子に座って十分ほど休憩。 また歩き出したがさらに痛みが増し、一時はお遍路を中断することも考えた。 しかし、何がどうなったのかよく分からないが、三〇分ほど歩くと何とか持ち直して、普通に歩けるようになった。 そして舟入川の橋を渡ると、私を追い越したバイクが前で停まり、三〇代の男性がこちらまで歩いてきて 「お接待です」 と言いながら、500円硬貨を手渡してくれた。 このときも納め札をポケットに持っておらず、手を合わせて感謝の意を示すのみであった。
![]() いよいよ竹林寺への参道がはじまる。 600メートルの上りで、右膝に負担をかけないよう、ゆっくり上った。
![]() 石段に続いて現れる飛び石の道。 誰がこうして道を整備してくれたのかと、つくづく思う。 途中で視界が開け、高知の街並みが臨めた。
![]() やがて高知県立牧野植物園の入り口に出る。 植物の解説板が道沿いに、数多く設置されている。
![]() 道から見ただけだが、園内は美しく整備と管理がなされている。 右は高知県が生んだ偉人、牧野富太郎博士の像。
![]() 31番札所 竹林寺。 その山門と本堂。 はりまや橋でかんざしを買ったのは、この竹林寺の坊さん、という話もある。
![]() 遠くからも眺めることのできる五重塔。 山門を出ると急な下り坂があり、一気に下の道路まで降りる。
![]() 下の道路から仰ぎ見る五重塔。 2キロほど歩いたところからも、小さく五重塔を見ることができた。
![]() 単調な道を歩いて禅師峰寺への上り口まで到着。 はじめはコンクリート舗装の上り坂。
![]() やがて土の道になり、カーブを繰り返しながら、上へ上っていく。
![]() 32番札所 禅師峰寺 (ぜんじぶじ)。 最後の石段を上って、山門に辿り着く。
![]() 左は山門横の不動明王。 石柱に峰寺とあるが、これは みねんじ と読むという。 右は本堂。
![]() 本堂前は展望台のようになっていて、桂浜や浦戸大橋を遠望することができた。 金剛頂寺で一緒だった、主にバスで移動するご夫婦とここで再会し、コーヒーをいただいた。
![]() 上った坂をまた降りて、桂浜に向けて歩き出す。 ここにも津波避難所が設けられていて、最上部は20メートル。
![]() 途中の神社に 「世界が平和でありますように」 のピースポール。 遍路のお寺でも、スペインのフィニステラでもこれを見つけた。
![]() 無料のフェリーで浦戸湾を渡った。 午前中と比べて、膝の調子はかなり回復。 歩く速度はほとんど元に戻っていた。
![]() フェリーに乗るのに時間待ちもあろうかと、この日は歩く距離を意識的に短くしたのだが、杞憂であった。
![]() フェリーは1時間ごとに1往復。 所要時間は片道5分の往復10分。 見ていると後の50分間、係員はいかにも暇そうであった。 浦戸大橋ができたとき、この 「種崎の渡し」 は廃止される予定であったが、地域住民や全国の遍路の嘆願で存続となった。
![]() 33番札所 雪蹊寺 境内には野菜・果物やお菓子を売る露店があり、ほかのお寺とは違う明るさが感じられた、
![]() 白装束に身を固めたバスでの団体お遍路さん。 法螺貝を吹きならす坊さんに先導され、全員で唱える般若心経は心地よい合唱のよう。
![]() この日は民宿栄光に宿泊。 私が予約の電話を入れたあと、小中学生の団体の予約が入ったとのこと。 うるさくなるかもしれないが、どうぞお許しをと、民宿の奥さんから言われた。 予約の順序が逆だったら、私は断わられていたかもしれない。 幸い、小中学生は静かに寝たようで、夜中には雨音が聞かれた。 この日、民宿へは早く着いたので、奥さんから聞いた近くの喫茶店へ行き、風呂の用意ができるまで、時間を過ごすことにした。 コーヒーを飲みながら新聞を読んでいると、ママさんがお茶を運んできて、こう私に言った −− 「あちらのお接待で、コーヒー代はいただきました」。 見ると30代の小太りの男性で、お礼を言おうと思ったが、そのうち、さっと外へ出てしまった。 四国の人はすごいなと感じ入った。 この日いただいた、二度目のお接待であった。 |
天気予報では雨は次の日からであったが、完全に外れて夜中から雨模様。 そんなに大した降りでないので、傘をさして歩くことにした。
![]() 野球の小学校チームには母親らも付添っていた。 バスケットボールの女子中学生チームも同宿。 そして小雨の中を出発。
![]() 途中で国道から脇道の農道に入り、以後は水路に沿って歩いて、34番札所 種間寺に到着。 このお寺にも石段はなかった。
![]() 本堂と大師堂。 ここにはバン型のタクシー2台で運ばれたお遍路が参拝。 鉦を交えてお経をあげていた。
![]() 雨は止みそうで止まない。 リュックが濡れないよう、そこに遍路笠を縛りつけて被いにし、傘をさした。
![]() やがて雨は本降りになり、ズボンが濡れ出した、 高速道路の橋桁まで寄り道して、レインコートを羽織った。
![]() 35番札所 清滝寺の参道入り口。 ここから本堂まで長い坂道。 途中、何台もの車やタクシーに出くわし、そのたびに道を譲った。
![]() カメラのレンズも曇ってしまい、ピンボケの写真ばかり。 運よく境内に空車のタクシーがいて、土讃線の伊野駅まで運んでもらった。 PS 名古屋への帰りは高知駅からでよかったのだが、勘違いをして、名古屋ー徳島の往復夜行バス・チケットを予約していた。 そのため土讃線の普通列車で阿波池田駅まで行き、そこから徳島線の特急に乗り換えて徳島駅に向かった。 徳島駅での待ち時間が長く、ドバイ経由の飛行機でヨーロッパへ行った時の時間待ちを思い出した。 幸い、土建屋風にして浮浪者風ながら、徳島や四国のことをよく知っているオジさんと徳島駅の待合所で親しくなり、その人と2時間ほど話をしながら、楽しく時間を過ごすことができた。 帰宅してから数日後、腰の様子がおかしくなった。 とくに右側の調子が悪く、靴下をはく姿勢が容易にとれなかった。 といって、どこを抑えても痛みはなく、歩くのにもまったく支障がない。 こういう状態が二週間ほど続き、「四国遍路・徳島編」 の冒頭に記したように、大手を振って遍路道を歩く資格が私にもできたかと思っていると、そのうち、何ともなくなってしまい、また元の身体に戻ってしまった。 右膝をかばって歩いたことで、腰の部分が金属疲労のような状態になっていたのだと思う。 次回は高知県の残りの寺、三十六番の青龍寺から三十九番の延命寺までとなるが、やはり一週間ほどの行程になりそうである。 |
|
|
|
|