お四国さん遍路 ・・・ 土佐高知編 (後編)



2017年4月 : 三六番 「青龍寺」 〜 三九番 「延光寺」




三八番 金剛福寺


CONTENTS : 再開 一日目 二日目 三日目 四日目 五日目 六日目 七日目 八日目







遍路の再開

 2015年の3月、高知県の 35番札所 清瀧寺に参ったあと、所要があっていったん帰宅。

 すぐさま 39番 延光寺までの、高知県の残りの部分を歩くつもりであったが、わが家のクー猫の脚の調子がおかしくなり、家を空けることができなくなって断念した。

 結局、クーは 2年後の 2017年 3月に昇天。 ようやく自由の身となったわたしは、いざクー猫の弔い合戦に、という訳ではないが、とりあえず 36番 青龍寺から 39番 延光寺まで歩くことにした。

 高知に発つ前の 10日間ほど、トレーニングとして香嵐渓まで歩いてバスで帰ったり (16キロ)、愛知環状鉄道の瀬戸駅、あるいは名鉄三河線の知立駅へ行き、自宅まで歩いて帰ることをした (いずれも20キロほど)。 豊田市営のおいでんバスで小渡温泉 (26キロ) まで行ったときは、乗客はわたし一人であった。

 これまで、徳島でも高知でも、膝の痛みに苦しめられた。 その反省から、今回は歩く距離を1日30キロ以内におさめ、スローペースな行程を組むことにした。 とくに初日と二日目は距離を短くした。 幸いにして痛みは生じず、軽快に歩きを続けることができた。

 今回、驚いたのは、遍路道を歩く外国人の多さである。 アメリカ人、オランダ人、ベルギー人、フランス人と道や宿で出会い、このうちマリ=クレールというフランス人女性とはよく話を交わし、いつかまたパリで会いましょうと、彼女の自宅の電話番号を教えてもらった。 いずれにせよ、四国に来て英語やフランス語で話をするとは思わなかった、

 持参した本は Bonnes Nouvelles Aujourd'hui。 とくに Romains と Corinthiens を集中的に読んだ。 しかしパウロの言うことは、やはりわたしにはよく分からなかった。


 今回の行程は次の通り  全体の歩数は 415,773歩であった。

一日目 4月11日 高知駅からバスで高岡町 〜 土佐市浦ノ内福良  民宿 「みっちゃん」   20キロ 36938歩

二日目 4月12日 土佐市浦ノ内福良 〜 中土佐町   民宿 「あわ」    23キロ 33034歩

三日目 4月13日 中土佐町 〜 四万十市   岩本寺宿坊  28キロ 42124歩

四日目 4月14日 四万十市 〜 黒潮町   民宿 「たかはま」 27キロ 45337歩

五日目 4月15日 黒潮町 〜 土佐清水市   民宿 「安宿 (あんしゅく)」 28キロ 46418歩

六日目 4月16日 土佐清水市 〜 足摺市  (国民宿舎) 足摺テルメ 28キロ 41466歩

七日目 4月17日 足摺市 〜 土佐清水市  民宿 「安宿」 28キロ 42516歩

八日目 4月18日 土佐清水市 〜 宿毛市 32キロ 57968歩  土佐くろしお鉄道・平田駅から高知駅へ







一日目  高知市高岡町 〜 土佐市浦ノ内福良  20キロ 36938歩

 名古屋発の夜行バスは3列シートのリクライニング。 2年前に乗ったのより、ずっと快適性が増していた。

  

 高知駅に着くと雨。 駅から歩いて10分ほどの はりまや橋まで行き、そこの交差点にあるバス停 南はりまや橋で高岡町行きのバスに乗った。 50分ほどで 35番の清瀧寺に近い高岡町に到着。 運よく、雨はすっかり小降りになっていた。

  

 小雨の中、高岡町の市街を歩き出したが、地図を見ても、今どのあたりを歩いているのか分からなくなった。 仕方なく iPhone のマップで道案内をしてもらい、ようやく清龍寺の方向を確かめることができた。 そこここに桜が花を開かせていた。

  

 立派な休憩所を通り過ぎるとトンネル。 高知県の西部はやたらとトンネルが多い。 しかも専用の歩道がないトンネルが多く、車の騒音もさることながら、すぐ脇をダンプカーなどが行き過ぎるたび、ちょっとした身の危険を感じた。


 やがて浦ノ内湾を横切る宇佐大橋が見えてくる。 これを渡ると青龍寺までは約 3キロ。

 橋へ行くには信号を左折するが、その交差点に高知県の強豪スポーツ校、明徳義塾の大きな看板が立っていた。 しばらく行くと、生徒を乗せた明徳の学園バスが、何台も行き来するのが見えた。


 上左は橋の上から見つけた猫。 わがクー猫とは別の、いわゆる八猫 (額の模様が八の字になってる猫) である。 日本には八猫愛好会というのがあるそうで、以前、そのブログをネットで見つけたことがある。  やがて青龍寺に到着。


 上左は山門。 本堂と太子堂へ行くには、そこから長い階段を上らなければならない。 右は途中にある不動明王。


 本堂とその周辺。 本堂の右に太子堂があるが、写真に写ってなかった。 お参りしている人たちはバスでのお遍路さん。


 青龍寺から宿のある浦ノ内福良へ行くには、36番の奥之院不動堂に向かうのが近道。 ほんの500メートルほどの山道だが、この登りがきつかった。 20メートル行っては10秒ほど休む、といったことを繰り返し、やっと自動車道に出た。 そこを間違って左に折れてしまい、40分ほど歩いて、先ほど通ったばかりの青龍寺へ通じる道が見えてきた。 本日の歩数が距離と比較して多すぎるのは、そのためである。


 上は明徳義塾高等学校へ通じる道。 もう10年以上も前になるが、大学サッカー部の部長時代、春の高知合宿中に明徳高校を訪問したことがあった。 父兄が運転する車で行ったので、どこをどう走ったのか、まったく記憶にない。 それがこの入り口を見た瞬間、そうか、あれはここだったんだと気づき、当時のことをいろいろ思い出した。 ジャン=ジャック・ルソーが 『告白』 のなかで、馬上からある花を見つけて一連の記憶が蘇える話を書いているが、あれに似たようなことかもしれない。

 きつい練習に耐えられず、寮を抜け出し脱走を試みる明徳義塾の生徒が、ときたまいると聞く。 人家のある宇佐大橋までは相当の距離を歩かなければならず、脱出行がなかなか容易でないことを今回、わたしは実感として知った次第。

   


 青龍寺からは県道 47号線、別名 横浪スカイラインをひたすら歩く。 左手は太平洋。 絶景の連続で、飽きることがない。

 道路脇の駐車場で小休止していると、外国人が一人、向こうからやってきた。 どこから来たのかと英語で訊くと、ベルギーからだという。 それじゃあフランス語ができますねと言って、少し言葉を交わした。 この人は2度目のお遍路だといい、イヤホンで音楽を聞き、それに合わせて大声で歌いながら青龍寺の方へ去って行った。 なるほど、周りに誰もいないのだから、そういう陽気な歩き方もありだなと教えられた。

 やがて今夜の宿、民宿 「みっちゃん」 がある福良の港が見えるところまできた。 どうやら道路から 200メートルほど下にあるようだ。 急な下り坂が歩いても歩いてもつづく。 明日の朝、ここをまた上らなくてはならないのかと考えると気が滅入ってきて、これは宿の選択を誤ったなと後悔しきりであった。 20分ほどして下に着くと、宿の入り口で小母さんが待ってくれていた。 下ってきた急坂のことを話すと、明日は車で上まで送りますから、と言って安心させてくれた。

 この夜の泊まり客はわたし一人。 小母さんとは食事の前後にいろんな話をした。 かつてスカイラインを爆音立てて走り回ったオートバイ族のこと、漁師のなり手がいなくなったこと、スカイラインまでの急坂が開通する前は船で買い出しに行ったこと、そのため小母さんも船の免許を取ったこと、また急坂開通を記念してみなで桜の木を植えたこと、その桜も植えてから 40年近くたち、衰えが目立ってきたこと、などなど。

 この日、夜行バスであまり眠れなかったわたしは、道を間違えて余計に歩いたこともあって疲れ果てていて、風呂からあがって7時過ぎには寝てしまった。







二日目 土佐市浦ノ内福良 〜 中土佐町   民宿 「あわ」    23キロ 33034歩

 6時半に朝食をいただき、上のスカイライン (県道 47号線) まで小母さんの軽自動車で送ってもらった。 青龍寺から次の岩本寺へ行くには、浦ノ内湾の北を通っても南を通ってもよい。 わたしは南側のスカイラインを選んだのだが、小母さんの話ではこの道路はアップダウンが多いという。 ここを通るお遍路が少ないのは、そのせいだったかもしれない。

   

 歩道のない道路を、ただひたすら歩く。 左側は太平洋。 太陽の明るい日差しの中、その眺めは素晴らしい。

  

 今回、道を歩いていてよく見かけたのが、鳥の巣のような形をした箱である。 上部には必ず石か何かで重しがしてあり、宗教的な性格のものと思われる。 写した写真を宿の人に見せて、それが何であるか、訊こうと思っていたが、そのままになってしまった。 前に高知県を清瀧寺まで歩いた時は、見かけなかったような気がする。 それが青龍寺を過ぎると随所にあるものだから、高知の西部に特有のものかなとも思われる。

  

 須崎市に入ると、これといった特徴のない市街地がつづく。 上左は 「道の駅かわうその里すすき」。 大勢の観光客で溢れていて、遍路姿のわたしは場違いな感じ。 街中を外れて角谷トンネルを過ぎると、また海が見えてきてホッと一息つく。

 そんなに急いで歩いたつもりはないが、今夜の宿 「民宿あわ」 に、午後2時前に着いてしまった。 こんなに早く宿に入るのは迷惑だろうと思い、近くのJR安和駅で3時過ぎまで、Bonnes Nouvelles Aujourd'hui を読みながら過ごした。

  


 民宿あわ では、群馬県、栃木県、岩手県 (この人は女性で、高知までは飛行機で往復) からきたお遍路と一緒になった。 群馬の人は4回目の通し打ちだというからすごい。

 宿のおかみさんは足が悪いようで、食事の世話のときも、小型の手押し車を支えにしていた。 おかみさんの年齢を訊くと、昭和 16 年生まれだという。 それじゃあ同い年だよと群馬の人が返すと、私もそうだと栃木の人が言った。

 昨年、民宿あわ はおかみさんの病気入院のため、休業していたという。 宿を再開した方が健康にはいいだろうということで、退院後、すぐに決断したという。 遍路宿の経営者の高齢化、それに伴う遍路宿の閉鎖というのが、あちらこちらで散見される。







三日目  中土佐町 〜 四万十市   岩本寺宿坊  28キロ 42124歩

 民宿あわ から岩本寺へ行くには通例、二つの峠を越すことになる。 最初の焼坂遍路道は標高 230メートルの峠を越えることになるが、ここは膝のことを考えて敬遠し、アップダウンの少ない県道 56号線を行くことにした。

  

 沿道の桜を見ながら歩き出す。 四国の沿岸地区では至る所、津波への警戒対策が取られている。 上に見るのは、「津波浸水想定区域 ここまで」 という案内板。



 6キロほど歩いて、土佐久礼という町を通過。 ここで昼食用のお握りを買うつもりであったが、コンビニが一つもない。 登校する小学生のためにボランティアとしてであろう、黄色の旗をもって交通案内をしている銀行員らしき人がいたので、近くにコンビニはないかと聞いたら、ずっと向こうまで戻る必要があるという。

 幸い、前日に買っておいたパンが二つ、リュックに入っている。 それでお昼は済ませることにして、大坂遍路道へと歩き出す。


 久礼の町を抜けると、川に沿って 4キロほど、平坦な舗装道路がつづく。 やがて遍路の案内板にしたがって脇道に入ると、徐々に道は上りとなる。



 大雨の時は通行不可、と地図に書かれている辺りを過ぎると、標高 290メートルの七子峠への上り口に。

 久礼からは、そそえみず遍路道というのもあり、こちらの峠は標高 419メートル。 わたしが選んだ大坂遍路道の登りも相当なもので、そそえみずを敬遠したのは正解であったと思う。 写真を撮る余裕もなく、ハアハア言いながらやっと通過した。


 峠越えのあとは、56号線をひたすら歩く。 6キロほど行くと土讃線の線路が見え、それに沿って窪川の駅まで歩くと、岩本寺はすぐそこである ・・・・ はずだが、市街地の歩行は変化がなく、かなり疲れた。 寺まであと2キロという案内を見て喜んでいると、数分歩いたところに、あと2.1キロというのがまたあって、ガッカリさせられたりもした。



 37番札所、岩本寺の山門と本堂。 この日は本堂前にある宿坊に宿泊。

 宿坊の受け付けに誰もいなかったので、入り口横のベンチに座って Bonnes Nouvelles を読みながら、一時間ほど待った。
 宿坊の売店に用があるらしいご婦人がいたので、いま誰もいませんよと声をかけると、じゃあ納経所に行ってみますと言う。 納経所から出てきたそのご婦人はまたわたしのところへやって来て、あそこ (納経所) にいるオバさんはいい加減ですよ、お数珠の値段を聞いたら、よく分からないけどコレコレぐらいでしょ、なんて言うんですから、とのこと。 近頃は評判のよくない納経所が多いですからね、とわたしが言うと、ほんとにそうね、といいながらご婦人は去って行った。
 多分、納経所のそのオバさんは朱印を押すのが仕事で、ほかのことはどうでもよかったのだろう。

 宿坊には7人の遍路客。 そのうちの二人は 「あわ」 で一緒だった人。 フランス人のマリ=クレールとも、ここで初めて会った。







四日目  四万十市 〜 黒潮町   民宿 「たかはま」 27キロ 45337歩

 岩本寺を出ると、国道56号線をひたすら歩く。 アップダウンはない代わりに、車の騒音がうるさくて疲れる。

 

時折り、国道沿いの遍路道に入ると、騒音から解放されてホッとする。

  

きれいに整備された遍路道。 国道から100メートルほどしか離れていないのに、山の中にでもいるよう。

 

高知では、こういう整備の行きとどいた大型の公園を、あちらこちらで見かける。
もっとも、高知県は四国の中でも人口が少ないからか、利用する人はほとんどいなかった。



すでに田植えは終わっており、さすがは南国土佐であるなと感心した。

 

今日の宿は民宿 「たかはま」。 部屋に案内されると、窓の外は太平洋であった。
「こんなに海が近いんですね」 と宿の主人に言うと、「津波がきたら、すぐ高台まで案内しますよ」 と返された。

この宿では洗濯機と乾燥機がフリーで使えた。 履いていた化繊のズボンまで、ここで洗うことができた。







五日目  黒潮町 〜 土佐清水市   民宿 「安宿 (あんしゅく)」  28キロ 46418歩

 今日も終日、自動車道を歩くことになる。 初めの10キロほどは、海岸線に沿って56号線を。 次いで42号線に入る。

 

海岸沿いの、きれいな松並の道。 このあたりはサーフィンのゲレンデで、多くのサーファーが海に浮かんでいた。
ただ波がほとんどないので、遠目には大勢のラッコがぷかぷか、海に漂っているようにも見えた。

  

太陽にジリジリ焙られ、あまり変化のない道をひたすら歩くと、やがて四万土大橋に。
もう少し下流まで行くと渡し船があるそうだが、時間待ちを強いられると聞いていたので、やめにした。

  

四万土川に沿って3キロほど歩いたが、この川は広々としていて、いかにも明るいという感じがした。
今太師寺の前で昼食のお握りを食べ、トンネルをくぐって宿所の 「安宿」 (あんしゅく) に到着。







六日目  土佐清水市 〜 足摺市  (国民宿舎) 足摺テルメ 28キロ 41466歩

38番札所の金剛福寺は足摺岬の突端にあり、39番札所の延光寺とは逆方向。
したがって今日は足摺岬に泊まり、明日、また 「安宿」 まで戻って、改めて延光寺を目指すことになる。

 

四国の海岸沿いはほとんどが海抜5メートルほど。 こうした津波避難所が、各所に設けられている。

 

国道を避けて遍路道を行くと、いったん海岸に出る。 そこから狭い登り道を経て、結局は同じ国道に抜ける。



海からかなり高いところに道路が走っていて、そこから見下ろす景色は見事である。

 

鬱蒼と茂る木立の間を歩いて行くうち、やがて足摺岬の案内板が見えてくる。

 

左に立つのは、中浜万次郎の銅像。 ここは展望台になっていて、快晴のこの日、遠くまで海の景色が眺められた。



足摺岬展望台からすぐのところにある38番札所 金剛福寺。 上はその山門と本堂。



非常にコンパクトできれいなお寺で、庭の池が心地よい調和を醸し出している。



 金剛福寺から3キロほど、きつい上りの自動車道を上がっていくと、今日の宿である国民宿舎、足摺テルメに到着。

 遍路宿より料金は少し高いが、一般客より安いお遍路料金で泊まれるとのこと。 そのため電話で予約したとき、お遍路かどうか、納経帳などで確かめますのでよろしく、と相手は言う。 わたしは納経帳を持っていないのだが、まあ、汗だらけの遍路姿を見せればそれで大丈夫だろうと思ってフロントに行ったら、案の定、何も言われなかった。 メデタシ、メデタシ。



ここは足摺のリゾートホテルで、設備は申し分なかった。 ライブラリーラウンジには高知県関係の図書が勢ぞろい。
アンパンマンの作者、やなせたかし の 『おとうとものがたり』 を読んだ。 戦争で亡くした最愛の弟についての思い出話である。



 落ち着いたロビーがあり、コーヒーや柚子ワインが、セルフサービスで自由に飲めた。

 この足摺テルメの最大の欠点、それは食事の不味さ、である。 夕食はひと品ひと品、懐石料理のように和服姿の係の女性が出してくれたが、そのように体裁を繕いながら、よくもこれだけ不味い料理が出せたものだなと恐れおののいた。 刺身はごく普通の、味も素っ気もないもの。 天ぷらは二、三日前に揚げたみたいで、その衣はカラ揚げのように分厚くて硬かった。 何を食べたか、あらかた忘れてしまったが、これではリピーターとして誰も戻っては来ないのではと、いらぬ心配をしたりもした。

 朝食は七時から。 わたしは六時前に出たかったので、その旨を告げると、お弁当を出しますと言う。 このお弁当はその日、お昼ごはんとして食べたが、昨夜の夕食より、はるかに美味しかった。







七日目  足摺市 〜 土佐清水市  民宿 「安宿」 28キロ 42516歩

 昨日は足摺半島の北側を歩いたが、今日は南側を土佐清水港まで歩き、そこから半島を横切って、元来た道に出ることにした。 清水港の手前で少し迷ってしまい、iPhone で地図を参照して事なきを得た。 お陰で3キロほど余計に歩く羽目に。

  

 足摺岬中学に通う生徒は、この急坂を登って行くらしい。 例によって海を眼下に見下ろす。

 

この辺りで雨が降り出す。 幸い長続きせず、レインコートに着替えることはしなかった。
この先に新しくできた長いトンネルがあるはずで、そこを通って近道をすることにする。



上左は大戦時の防空壕跡。 やがて中浜万次郎生誕の地、中の浜へ。



小高い所に万次郎の顕彰碑。 そして彼を主人公にしたNHK大河ドラマをと、この中の浜では運動中である。



 中の浜を過ぎると遍路道に入る。 かなりの急坂がつづき、その途中にお堂があったので休憩がてら、雨具に着替えた。

 この辺りには、道路のあちらこちらに薪が積んであるのを見た。 温かい地であり、まさか暖炉を焚くためではないだろう、と思いつつ歩いて行くと、謎が解けた。

 あれはカツオを燻してかつお節を作るための燃料であった。 上右の写真ではよく分からないが、大きな建物の窓から盛んに煙が出ているのが見えた。

 「安宿」 に着く2時間ほど前から、雨は本降りになった。 高知に来てからはじめて出くわす、本格的な雨であった。







八日目 (最終日)   土佐清水市 〜 宿毛市 32キロ 57968歩  土佐くろしお鉄道・平田駅から高知駅へ

 「安宿」 で二泊したわけだが、この宿の親父さんの明るさ、それに饒舌さには驚かされた。 われわれの朝夕の食事中、とにかく一人で喋っている。 それでいて嫌味を感じさせないのは、やはりこの人の開けっ広げな人柄によるものであろう。

 この親父さんの持論に、靴の紐の結び方がある。 長い距離を歩くとき、爪先の方は極力、緩くしておき、足首部分のみをきつく締める、というのである。 こうすればマメができにくく、快適に歩ける、という。

 親父さんのこの持論は、ある泊まり客が書いた本の中で紹介され、そのページを見せながら親父さん、客の誰彼なしに推奨の言葉を述べるのである。

 わたしが実際に歩いたところでは、親父さんのやり方は確かに一理ある。 金剛福寺への往復もそれで歩いたが、足指の周りに空間的な余裕ができて、痛くなることから守られるような気がする。



 当初、真念庵を経由して延光寺に向かう予定であった。 地図を見るとかなりのアップダウンが予想された。しかし 「安宿」 の親父さんによれば真念庵の手前を左に折れ、27号線を行く方が楽だという。 なるほど、そこを行くと緩やかな上りしかなく、かなり快調に歩くことができた。

  

道は川に沿っていて、幾つもある途中の橋から、清流を眺めることができた。



 上左はお接待の休憩所。 ここでコーヒーをいただいた。 年配の人の無料奉仕で、まったく頭が下がる。

 もう少し行くと工事現場があり、そこに真新しい工事の案内板が立っていた。 その前を通るとき、カメラを手にした工事事務所の人が声をかけてきた。 その案内板を見るお遍路さんの後姿を、写真に撮りたいのだという。 断る理由もないのでポーズをとると、そのお礼にと言ってくれたのが、写真のチョコレート・ボール。 有難く頂戴した。

  

清水川休憩所で、お握りの昼食。 そしてここにもまた、実によく整備された大きな公園。



なお幾つかの橋を渡り、やがて市街地が近くなってきた辺りに中学校があった。 壁に2000年度の卒業制作。

全卒業生がそれぞれ自分を描いたものだが、数えてみると総勢 21名。 過疎化の現実がよく分かる。



39番札所 延光寺。 山門と本堂。 わたしの他に、自転車で回っている人がお経を読んでいた。



 延光寺を出て土佐くろしお鉄道の平田駅へ行き、そこから高知駅行きに乗車。

 車窓から時折り、これまで歩いてきた道が見えるのが面白かった。 記憶に残る大きな建物や橋も目に入ってくる。 八日間かけて歩いてきたものが、電車では数時間の移動にしかすぎなかった。


 高知駅に着いて食事をしようと思ったが、駅前から はりまや橋の辺りまで、派手な飾りの呑み屋ばかりが並んでいて、一人で入れるような店は皆無であった。 中華料理店も見当たらず、はりまや橋の反対側に、何だかよく分からない風のラーメン屋を見つけただけであった。