お四国さん遍路 ・・・・ 阿波徳島編


2014年11月 : 一番 「霊山寺」 〜 二三番 「薬王寺」




四番 大日寺 山門


CONTENTS : はじめに   一日目   二日目   三日目   四日目   五日目   六日目






はじめに

 2014年7月、チュニジアから帰国した。

 帰国後、まず、スペインのコンポステラ巡礼路の、まだ歩いていないフランス側のサン・ジャン・ピエ・ド・ポールから、以前のスタート地点であるブルゴスまでを歩くつもりでいた。 しかしちょっとした計算違いがあって別のことに時間を費やし、そのうち、彼の地の気候の関係から時機を逸してしまい、その計画は先送りとなった。 いずれまた折りを見て、ということである。

 その代わりに、というわけでもないが、お四国さん遍路に挑戦することにした。

1) 遍路地図
  コンポステラ巡礼では、とにかく西に向かって歩けばよく、基本的には地図なしでも行ける。 しかし広大な市街地や山中深く分け入る四国遍路の道はかなり複雑で、地図を持っていてもよく迷うと聞いていた。 ずっと前に高群逸枝 『娘巡礼記』 (岩波文庫) を読んだときも、著者らが道に迷う様子について触れた記述に出くわすたび、こりゃ自分には無理だなと思っていた。 それなのにこのたび、まあ深くも考えず、とにかく徳島県の部分だけでも歩いてみようということになり、出発した次第。

 四国遍路の体験サイトはネットに溢れている。 関連の本も多い。 それらを読んでもいいし、読まなくてもいいと、今になって思う。 ほかの人がどこをどう歩いて何を感じたかは、こちらが歩きだした途端、関係なくなってしまうし参考にもならない (私がここに書いていることもそうである)。 最低の必携品は地図で、これについては、へんろみち保存協力会編 『四国遍路一人歩き同行二人[地図編]』 がある。 なぜか私は数年前、この本をすでに購入しており、今回もそれを持参した。

2) 四国遍路今昔
  高群逸枝が 『娘巡礼記』 を書いた時代 (大正7年)、四国遍路は主に 「死に場所」 を求めてする歩きであった。 治る見込みのない重病者、借金で夜逃げをした人、何らかの事情で国を追われた人、等々の ・・・・。 そういう人たちには、宿屋もなかなか部屋を貸さなかったという。 もちろん今は明るい雰囲気の観光旅行と化し、多くは自家用車や団体バスで寺に乗りつける。 「お遍路さん大歓迎」 という宿の案内板も、遍路道のそこここに立っている。 かくして四国八十八カ寺巡りはいまや、四国の重要な産業の一つにさえなっている。

 ともあれ、これまで私はずっと、ほとんど足腰が立たなくなってから四国遍路をするのが先人たちに対する礼儀であろうと、心の端でそう思ってきた。 それがこうして、有体に言えばほとんど長距離遊歩のスポーツ感覚で遍路道を歩くことになり、まあ、ちょっとした申し訳なさを感じている次第である。

3) 納経帳と朱印
  私は弘法大師には満腔の敬意を表するものだが、とくに真言宗を信仰しているわけでない。 その高野山真言宗のボスには数十億円の使い込みの嫌疑がかけられ、また名古屋・八事の真言宗・興正寺は中京大学に土地を百億円で売り、それを主導した梅村という住職も金まみれの状態にある (この梅村住職は中京大を経営する梅村家と関係あるのかないのか、それも興味深い)。 まさに神も仏もない有り様で、寺や宗教にまつわるそうした金銭がらみの薄汚れた噂話を考えると、少なくとも私にとっての四国遍路は、神や仏に何かのご利益をお願いするためのものでは初めからなかった。

 というわけで、私もお寺でときどき般若心経を読むことをしたが、そのたびにウソっぽい真似ごとをしているみたいに感じられて、我ながら気恥ずかしい思いがした (ちなみにイエス・キリストは、祈るときは隠れて祈れと教えていている (マタイ 6-5)。 私が唯一、福音書で共感を覚える部分である)。 お寺で大きな朱印を納経帳に押してもらうのも、なんだか流行りのスタンプラリーをしているように見えて、私としては遠慮せざるを得なかった。 いずれ死んだとき、あれと一緒に焼かれるのは不本意だし、かといって納経帳だけを残しても、その始末に家族は困るであろうから ・・・・。

 高村逸枝の 『娘巡礼記』 には、納経帳や朱印、それに般若心経の話は一つも出てこない (彼女が唱えたのは光明真言である)。 それに納経とは本来、自分で写経したお経を寺に納める行為を言うのであって、300円払って、いわゆる 「納経帳」 に押してもらう朱印が有難いとは、私にはどうしても思えない。

4) 費用
  ところで今日の時代、資金なしで四国遍路はできない。 一日当たりの費用から考えると、余計に日数のかかる歩きより、バスやタクシーでお寺を手っ取り早く回る方がよほど安上がりである。 歩き遍路では、日に1万円ほどの経費となる。 そのうち宿泊費 (2食付き) は 6000円から7000円。 私の場合、1日の出費は昼食代を入れて 8000円ほどであった。 これにもちろん往復の交通費が加わるが、四国までは高速バスを利用するのが最も経済的である。

5) 行程
  下に示すのが実際の行程一覧で、徳島県では23の寺を回った。

 私の場合、平地は100メートルを150歩で歩く。 1時間に7000歩と少し歩くから、時速は約5キロである。 これが登りになると、2キロ以下に落ちる。 実際、急坂では20歩ほど上ると、両脚に乳酸が満ち溢れてくるのが分かって、そのたびに10ほど数える間、膝に手をついて休むことを余儀なくされた。 同じペースでずんずん上って行く人もいるから、つくづく登りに弱い自分が実感された。 徳島の歩きはほとんどが山の中で、日に500メートルの山を二つ、上り下りすることもあった。 こうして結果的に、以下に示す歩数と距離の関係は、計算がうまく合わなくなっている。

11月16日(日) 0740 名鉄バス 1245 徳島 →JR→ 坂東    寿食堂 14キロ 28165歩

11月17日(月)   ふじや本館旅館 24キロ 36893歩

11月18日(火)   植村旅館 23キロ 46130歩

11月19日(水)   民宿ちば 33キロ 60192歩

11月20日(木)   坂口旅館 29キロ 46094歩

11月21日(金)          29キロ 50489歩   JR日和佐駅→徳島→高松→岡山→名古屋

 合計で152キロ、自宅を出て戻るまで、総計 267,968 歩であった。

 道中、一度も雨に会わず、快適な天気がつづいたのは幸いであった。帰宅してから半月ほどして、徳島県に大雪が降り、大勢の人たちが孤立状態に陥った。あのとき歩いていれば、確実に遭難していたことであろう。

 最後に、上の行程は通常より一日短い強行軍だったらしく、とくに下りを急いだせいで膝とアキレス腱を痛めてしまい、帰宅してから一週間ほど、肢体不自由者をやっていた。 もちろん、不信心のバチが当たったせい、だったかも知れない ・・・・。


一日目   二日目   三日目   四日目   五日目   六日目







1日目  霊山寺 極楽寺 金泉寺 大日寺 地蔵寺     14キロ + 迷い道 4キロ 28165歩

JR徳島駅から高松行き各駅列車で坂東駅下車。 坂東は第一次大戦のドイツ兵捕虜収容所があったことで有名。



いよいよ歩き出して、道に迷わないかと案じたが、随所に大小の案内標識があって心強かった。



一番札所 「霊山寺」   ここで菅笠、白衣(半袖)、輪袈裟、経本、納め札を購入。合計7220円。
金剛杖は、持つと歩きにくいと思って買わなかった。 持っていないお遍路さんは見当たらず、いずれ買うかもしれない。



二番札所 「極楽寺」     どこのお寺もそうだが、境内はきれいに整備され、掃除が行き届いている。 そしてみごとな大木が ・・・。



寺に着くと、本堂までこういう階段があることが多い。 疲れている時、これがけっこうこたえる。



三番札所 「金泉寺」  二番の 「極楽寺」 で見かけた白衣のお婆さんは、私より早く三番に着いていた。 バスでの移動だから、である。



本堂の前でこれから巡拝をするお遍路さんたち。   道の要所に案内版があり、それを見つけるとホッとする。



コンポステラ巡礼路と同じで、迷いそうな、ここぞという所に順路標識があって助かる。



こうした標識は、「へんろみち保存協力会」 の人たちが、ボランティアで維持管理している。



古い標識石には江戸時代からのもあり、風化して字の読めないことが多い。 そして道沿いに並ぶ墓石。



四番札所 「大日寺」     本物のお坊さんかと見紛うばかりの、立派なお遍路装束に身を固めた人も見かけた。



五番札所へは、裏手にある五百羅漢から向かった。 時間がなかったので、羅漢像は見ていない。



一つ上の右の写真にある石に、「百菜に優る遍路に出でにけり」 とある。 作者の名は失念した。



右は五番札所 「地蔵寺」 の山門     地蔵寺を出て右折するところを直進してしまい、宿に着くのが1時間ほど遅くなってしまった。







2日目    安楽寺 十楽寺 熊谷寺 法輪寺 切幡寺     24キロ 36893歩






7時15分に宿を出て、六番札所 「安楽寺」 に到着。 中に入って本堂で一礼、すぐ表に出て歩きだした。



七番札所 「十楽寺」    8時着。 安楽寺とよく似た山門だが、微妙に違う。 朝が早いので人気がない。



誰もいないと思っていたら、バスのお遍路さんらが本堂前でお経を読んでいた。 沿道のお花畑は、実際の方がはるかに美しい。



八番札所 「熊谷寺」 山門の仁王門。高さ13メートル。 ここから本堂まで、道路を横断して1キロほど歩く。



境内に入ると、お経を読む大きな声が聞こえた。 どこで誰がと目で探していたら、スピーカーからだと分った。



本堂と大師堂。 弘法大師の像は、寺ごとにそれぞれの特徴があって面白い。



九番札所 「法輪寺」     こじんまりしたこのお寺に階段はなかった。 ここでトイレを借り、山門前の売店で饅頭を購入。



右九番左十番の道案内。 やがて十番札所の門前通りへ。切幡寺をお参りしたあと、またこの道に戻ってくる。
そのため、そこの売店の人がリュックを預かりますよと声をかけてくれたが、お礼を言って断った。 あとで少し後悔した。



高速道路の高架をくぐって案内板に従って行くと、十番札所の山門が向こうに見えてきた。



山門を入ってしばらく行くと、ここから三百三十三段の階段がはじまるとあった。 本堂へ辿り着くまで悪戦苦闘。



こんな階段が幾つもつづき、やっと本堂前に。 手洗い場のベンチに座って休んでいると、横手の道から大勢の遍路さんが現れた。
すぐそばにバスの駐車場があるらしい。



本堂の横にある大師堂。 階段を下りでまた門前通りに戻り、その交差点を直進、地図に従って吉野川を目指す。
右写真の橋はよくテレビで映される、いわゆる絵になる遍路ポイントである。 そこは渡らず、川に沿って土手道を延々と歩いた。



吉野川の標識を過ぎて阿波中央橋へ。 長ーい橋で、渡るのに10分ほど要した。 この日の四国三郎は穏やかであった。



線路柵との僅かな場所に、大根が見事に育っていて驚かされた。 JR鴨島駅前のふじや本館旅館へ14時過ぎに。 ちょっと早く着きすぎた。







三日目     藤井寺 遍路ころがしを経て 焼山寺     23キロ 46130歩






6時50分に宿を出て、十一番札所の山門まで50分の道のり。 途中、山に向かって歩いているのが分かった。



四国ではこうした案内板を随所で見かける。 右が十一番札所 「藤井寺」 の本堂。 何度も火災に会ったという。



7時40分。本堂の横から 「遍路ころがし」 と呼ばれるアップダウンがはじまる。 それぞれの急坂にナンバーが振られ、1から6まであった。
今はこうして整備され、横木で階段状になっている。 昔はそうでなく、転んで下までずり落ちたのかもしれない。



上りはじめて1キロほどは、祠やお地蔵さんが道沿いにつらなっている。 森の中は薄暗い。



藤井寺から焼山寺までは12キロあるが、そのうちの大半はこうした上り道。



すぐ横を見下ろすと、ぐんぐん上に上っているのが実感できる。 時に視界が開け、絶景を目にすることができる。



ときどき短い下りもあるが、せっかく上ったのにと恨めしくなる。 こうした平坦な道は珍しい。



いったんバス道に出、また山に分け入って最後の上り。 右は十二番札所 「焼山寺」 の本堂に通じる階段。 13時着。



焼山寺から植村旅館 (16時20分着) に向かう道。 このあとアスファルトのバス道が延々とつづいた。
途中、長戸庵、柳水庵、浄蓮庵、杖杉庵といった大師なじみの名所があったが、なぜか写真に撮ってない。
日のあるうちに宿に着こうと、先を急ぐのを優先したからである。

アスファルトのバス道を歩きながら思ったが、辺りに人影が見えない。 どの家もシンとして、人の声が聞こえない。
これといった産業がなく、若者は都会に出ていくしかないのだろう。







4日目     大日寺 常楽寺 国分寺 観音寺 井戸寺 恩山寺     33キロ 60192歩




十三番 「大日寺」    6時40分に宿を出て、川に沿った国道を黙々と歩いた。 ここへは9時15分に到着。



十四番 「常楽寺」   この日、歩いたのは主に市街地。 その日の分の地図をポケットに入れ、ときどき見ては迷わないようにした。



境内に無縁さんの墓石を集めた一角があり、そこで般若心経を。      そして住宅街にある十五番 「国分寺」 へ。



自家用車で巡拝する人も多く、輪袈裟に白衣姿でハンドルを握る車に、この日は何度も追い抜かされた。 右は十六番 「観音寺」



十七番 「井戸寺」  11時25分着。 手水場に置かれたベンチで休んでいると、隣にいたお婆さんから煎餅をもらった。 いわゆる接待である。



16時、民宿ちばに到着。 そこにリュックを置いて、十八番 「恩山寺」 へ。 少々疲れ気味で、本堂まで1キロほどの距離が長かった。







5日目     立江寺 鶴林寺 太龍寺     29キロ 46094歩

今日は500メートルの山を2回、、上り下りする。鶴林寺に12時30分着、太龍寺に15時20分着
宿泊の坂口旅館には16時30分着の予定を立てた。



19番札所 「立江寺」     宿を7時ちょうどに出て、平坦な県道を4キロ歩いて7時35分に到着。 予定より30分、早く着いた。



 本堂前の階段下にいると、いかにもベテラン信者といった感じの夫婦連れが車でやって来た。 でっぷり肥ったダンナの方がさっさと階段を上り、手なれた様子で鈴を鳴らすと、まさに傍若無人、びっくりするほど大きな声で、すでに暗記している般若心経を空で唱えだした。 ほかの寺でもこういう唯我独尊の御仁を見かけたが、彼らの大音声を耳にするたび、自分がなんだかよそ者のように思われたものであった。

 きっと極楽という有難い所は、こういう人たちで満ち溢れているのに違いない。

 途中でお茶を買った時、自販機のレバーの上でアマガエルが一匹、のんびり昼寝をしていた。




歩きながら、こうした鳥をよく見た。 ここでもそうだが、置物かと見紛うほど、じっとして動かない。
そしていよいよ鶴林寺まで500メートルの上り。 その次の太龍寺へは下に見える川までいったん下って、また上ることになる。



二十番札所 「鶴林寺」     11時20分着。 寺までは上りの連続で、山門をくぐってから本堂までの階段がまた長かった。



バス巡拝のお遍路たちはおらず、境内は静寂そのもの。 並び立つ杉の木の太さに圧倒される。



二十一番札所 「太龍寺」    鶴林寺からまた下って再度上り、14時35分、本堂前着。 山門から本堂まで、急な上り道がずっとつづく。
ここへはロープウエイが通じていて、遍路の多くはそれを利用するらしい。 しかしそのことは後になって知った。



ここの境内もほぼ無人であった。 坂口旅館には15時45分到着。
この日、500メートルを二度、走るようにして下ったことで、左膝とアキレス腱を痛めてしまった。







6日目     平等寺 薬王寺   JRで帰宅     29キロ 50489歩

左膝がおかしくなり、左足のつま先を外側に向けないと歩きづらくなった。 山道の下りを急ぎすぎたせいである。



6時30分出発。 平等寺まで平坦な道ばかりと思っていたら、すぐ大根峠の上りが。 えー、またぁ、と言いつつ時速2キロで進行。



二十二番札所 「平等寺」  8時30分着。 ここには写ってないが、山門から本堂までまっすぐ100段ほどの階段。 痛い足にこたえた。
山門を入ってすぐ横のトイレを借りた。 ウオッシュレットつきで清潔そのもの。 トイレ代にお賽銭を上げないと申し訳ない。



次の薬王寺まで、国道55号を行くか、海岸側の道に出るか思案したが、結局、アップダウンがなさそうな国道を選んだ。
トンネルを二つ越えたあたりにある食堂は廃業して空き家、次のドライブインは貸切で入れず、結局、昼食抜きの歩きとなった。



二十三番札所 「薬王寺」  これといった特徴のない国道を5時間歩いて到着。 JR日和佐駅の前で、そこのうどん屋に入った。



この薬王寺で徳島県は終了。 次の二十四番札所 「最御崎寺」 (ほつみさきじ) は75キロ先、高知県の室戸岬にある。
平地はとくに気にしなくてよいが、今後、山道はペースを落として、日に25キロまでと決めるのがよい。