人生編〜幼稚園〜

幼稚園の頃の僕は体が丈夫な方ではなく休みがちでした。よく母に病院に連れられて行き甘い薬を飲まされては脳波の検査など、様々な検査を受けていた記憶があります。そして、卒園式にも出れず、独りぼっちの卒園式をしました・・・。当時は『仕方のない事』と諦めていたのですが卒業アルバムを見ると独りぼっちで写る写真が物悲しく載っています。
今でこそマシになりましたが、当時は人見知りが激しく打ち解けるまで時間のかかる子供でした。おとなしい性格だったので喧嘩などもあまりしませんでしたそれでも、友達は結構多かった方ですね♪
あ、そうそう喧嘩をした時に友達にあごを蹴られて顎が外れた事がありました(笑)


人生編〜小学生〜

小学生の僕は少人数の友達とつるむようになり、決して学校どころかクラスの中でも目立つ存在ではなかった。小学生の頃って、皆さんも経験があると思いますが【勉強】が出来たり、【スポーツ】が出来たり、何か人より優れているものがあれば人気者になってたりしますよねぇ?!
僕は何が得意とかじゃなく、言うなればホントに人並みだったので、特に目立つ存在ではありませんでした。
でも、負けず嫌いの性格は小学生から表立っていて喧嘩も幾度となくしました。初めて殴り合いの喧嘩をしたのは3年生だったと思います。
今の小学生の子達とは違い遊ぶ事と言えば、当時は【メンコ】だったり【ドッチボール】だったり、今の子達とは全く違う遊びをしていましたねぇ〜。僕の家庭はそれほど『勉強、勉強!』というほど教育方針じゃなかったので、自由気ままに遊んだりして『何処を受験するか』とか全く考えもせずに、このまま楽しい日々が続くと思っていました。
いつの時代にもイジメがあるように僕が小学生の時にも暴力的ではなかったにしろ、言葉のイジメや避けたりとかがありました。誰かが始めれば皆が始める・・・。今、思い返せば僕もその中の一人だったと思います。そうする事が当たり前のように思っていたんだと思います。今、振り返れば悲しい事ですが・・・。
6年生の時にスケボーにはまり、学校から帰るとすぐに友達と練習しに行ったりしてました。結局、練習中に左手首にヒビが入り途中で止めたんですけど(^^;
球技大会のバスケットボールが近くて、その怪我のために・・・欠場。5年生の時に準優勝だったので凄く出れないのが悔しかったです!
卒業前になるとクラス全員でお互いに手紙を出し合ったんですけど、皆その時の事を一緒に残念がってくれました。今でもその文集にした手紙は持ってますけどね♪


人生編〜中学生〜

中学生ではここに書く事が出来ないほど様々な出来ことがありました。
持ち前の明るさと協調性で友達は割りとすぐに出来ました。特に仲の良かった友達が二人いて、毎日のように遊んでいました。
『ずっと、この楽しさが続くんだ。・・・一生、コイツ等と友達でいるんだ!』
そう思っていました。けれど、それも中学卒業とともに崩れていく事となるのですが・・・。
僕が通っていた某中学校はとても柄が良いとは言えない学校で、他校との暴力事件などが絶えない学校でした。
そんな学校で僕はバスケット部に入部しました。ですが、入部当初は20人以上いた新入生も先輩クラブ生の必要以上の後輩イジメにより7,8人になりました。
『ただ、好きなバスケットがやりたいだけなのに・・・』
そう思っていた自分はついに先輩クラブ生の引退とともに退部しました。
普通に考えれば先輩がいなくなれば天下になるはずなんですが、そんな嫌な思い出しかないバスケ部に嫌気がさし、当時の僕は逃げたんだと思います・・・。
そんな楽しい想い出も、辛かった日々の想い出も今となっては全てが懐かしい日々なんですが・・・。


人生編〜高校生〜

高校受験の時期になり、僕はある決意をしました。当時、仲の良かった親友に別れを告げ、公立高校ではなく、一人私立高校を受験し、別の道を歩く事にしました。
そして、某私立高校に合格し、入学した僕はいつしか地元の友達と距離が開き、親友だと思っていた友達との間にさえも壁ができ、孤立している感じになりました。
・・・あたかもそれが当然だったかのように。
高校2年生の時に出会った友達は僕にとって、それまであった友達のイメージを覆す存在でした。
『いつも同じことで笑いあえて、一緒にいて楽しい』
そう思っていた僕にはまるで出会ったことのない刺激でした。いろんな事を学び、いろんな意味で僕を成長させてくれました。
おそらく、中学の時の友達の中でずっと埋もれていれば、ここまで僕は変われなかったと思います。今思えば、高校時代が僕の転機だったのかもしれません。
学校が男子校だったせいもあって、友達は男だらけでしたが・・・(笑)
グループ交際をしたり、飲みに行ったり(笑)
高校生という多感な時期に得たモノは大きかったと思います。


人生編〜大学生〜

・・・大学生。
本来は《将来の仕事のため》《興味があることを学ぶため》そういった目的があって通うべきはずの場所なんですが、僕は内部試験だけで、ほぼエスカレート式に大学に入学しました。
当時を振り返れば・・・
『ただ何となく合格したから行く事にした。その方が親も安心するだろうし・・・。』
そんな中途半端で曖昧な気持ちでした(^^;
けれど、そんな気持ちで迷い込んだ大学生活のなかで、僕は学校では学べないような事を経験し、学ぶ事となるのです。
同じ様に、合格した高校の時に仲の良かった友達に入学式当日、一本の電話を入れた事から僕の・・・いや、僕達の青春ドラマのような(?!)大学生活が始まる事となるのです(笑)
偶然にも同じ学部を合格した友達と二人で入学式を終え、最初は広いキャンパスとこれから始まる大学生活にドキドキしていた僕達も、一人・二人と高校の時の友達が集まって来る事により自分達の居場所を確立していきました。後に『サークル』を結成♪
入学当初に各サークルの勧誘を受け、某サークルの新入生歓迎コンパに行った僕は“サークル”というものの楽しさを知りました。
入学後、しばらくして仲間だけで夜中に車で海まで行きました。暗闇の砂浜ではしゃぎ、酒を飲み、皆で見た朝日のキレイさは今でも忘れません☆
数日後、学校帰りに居酒屋でその話で盛り上がっていると、

『あれだけの人数が集まればサークルみたいやなぁ』


その誰かが発した一言が僕達を“サークル結成”に向かわせました。
もともと何かに縛られたり、押さえつけられる事がイヤだった僕達は、どのサークルにも属さずに自分たちだけの自由なサークルを創る事を決意しました。(勿論、学校公認ではなく、非公認ですが。)
そして結成されたのが

【闇サークル“プ〜”】

です。
初めて行われた僕達のサークル“プ〜”のイベントは飲み会でした。30人という、思いもよらないほどの人数が集まり、最初のイベントは大成功に終わりました。
そして2回目のイベントのキャンプも成功に終わり、勢いづいたかに見えました・・・が、回をますたびに参加メンバーが減り、いつしか主力メンバーの志気も鈍るようになりました。
成功させる事にこだわりすぎて、本来の自分たちが楽しんでする喜びを忘れていた時期でした。
それでもバラバラになりがちに見えた僕達にみんなの結束を固める事が起こったのです!!
新入生、女の子2人を含め、僕達は夏恒例のキャンプに行きました。そしてキャンプも半ば、残り一泊を目前にして大雨が降り、テントの中では過ごせない状況になり、みんなの頭の中に中止の文字が横切りました・・・。
しかし、誰もそんな不安をことばにせず、雨の中、穴を掘り、大木を拾ってきてブルーシートで屋根を作り、女の子がその下でカレーを作り、みんなが一丸となって成功させたのです♪(ホントに感動でしたよぉ!!)
その夜、みんなで見た蛍の大群が更に感動をあおりました♪(笑)
その後、非公認サークルから一人のメンバーの頑張りにより、公認サークルになった僕達は名前を

【P&You】

に改め、再指導することとなりました!文化祭では焼き鳥屋の屋台を出したり、更に新入生を加え、新歓コンパを大人数で成功させたり様々なイベントを行いました。
そして卒業を控えた僕達は最後のキャンプと題した引退イベントを行いました。引退・・・それは僕達一代で築いたサークルにとっては解散を意味するものであり、今はもうP&Youの名前も、陣取っていた食堂の一角も跡形もなく消えました。

最後の淡路島キャンプ・・・・解散・・・・
いろいろ大変な事もありましたが、いろんな経験をし、いろんな感動を与えてくれた大学生活はこれで幕を閉じたのです。


人生編〜社会人〜

僕の社会人としてのスタートは23歳からでした。
就職活動もろくにしなかった僕は、大学生活を終え、当時アルバイトをしていた某スーパーに就職する事になったのです。

『僕には何もなかった・・・目指すべき道も・・夢も。』

ただぼんやりと生きてきた・・・そんな人生の中で1つの決断を迫られる事となりました。
大学卒業後、父親が死去。
もともと体を壊して入院していた父は、永くもたないだろうとの事でした。
それでも、僕達家族はショックを隠しきれませんでした。
兄が結婚していて家を出ていたため、母親と二人で暮らす事になった僕は、(家庭を支えなければならないプレッシャーと父親の若くしての他界。それが僕の中で何かを変えたかのように)就職の決心をしたのです。
アルバイトから正社員のギャップは相当なもので、朝早くから夜遅くまで働き、『若いから』といってナメられないために必死に勉強しました。もぅ毎日毎日が数字(売上)との戦いでしたね(笑)
あの頃を振り返ると、新しい発見の毎日で忙しさのあまり時間の経つのがとても早く感じました。
そして、就職してから半年後くらいに人事異動により店長となる事が決まり、更にツライ立場に追いやられていきました・・・。
仕事とは【ヤル気・向上心】そう社長にアルバイト時代から教わり、育ててもらった事も忘れ、僕は店長としてのプレッシャーからか知らず知らず自滅へと向かっていたのです。
僕の下で働いていた後輩が他の店舗でメキメキと力をつけてきて、僕は蹴落とされる事に脅えていたのでしょうか?!正直、焦っていたのは事実です。

そして、僕は逃げたのです

あの頃、社長の言っていた、いや社長だけじゃなく周囲の様々な人が言っていた数々の言葉の意味が今になって、ようやく理解できるような気がします。そして何も言わず見守っていてくれた母親の温もりも。
そして、現在・・・
僕は新しい人生を歩もうとしています。