身辺雑記  (宮城 倉次郎) -2007. 6.29-


 小生「三保の暇人」になって、春から2年目に入りました。 振り返ると1年目は、全てのしがらみから解き放たれた開放感が頭にあって、 何をしても楽しい毎日でした。 読書や散歩、赤ちょうちんでのいっぱいやおしゃべりと、自由人の暮らしを満喫していました。

 いい調子で遊びほうけていたところ、秋ごろに突然心臓の鼓動がおかしくなりました。 元々あった不整脈が原因らしいのですが、病院で心電図の異常が分かり、 さらに上級の病院へ救急車で運ばれ、緊急手術で心臓にペースメーカーを埋め込みました。 このときには、さすがに鈍い小生も緊張し、心臓がドキドキして血圧が正常に測れないほどでした。 本当はきわめて臆病なのです。

 しかし 何日かの入院で命拾いし、これからの命は機械の助けがなければ維持できません。 大きな節目なのでしょうが、その後は数度の機能チェックもクリアし、 機械も小生も順調。 むしろ、飲みすぎのあとも心臓は安定し、以前より元気になった気さえします。 ただ、毎日血圧計で脈拍と血圧をチェック、注意は怠れません。

 面白いことに、心臓がおかしくなる数日前、おしっこをしようとトイレに入ったところ、 壁に取り付けた手すりに蛇がからみついているではありませんか。 狭いトイレの中、逃げようがありませんし、おしっこは出てしまっています。 身をよじって蛇を避け、正視しないようにするのが精一杯。 やっと用を足して台所へ行き、 大きなゴミバサミとビニール袋を持って来て蛇を捕獲庭へ逃がしました。 何という蛇かは分かりませんが、細めの若い蛇でした。 網戸の隙間からでも入り込んだのでしょう。

 いまだから淡々と書けるのですが、狭いトイレで居るはずのない蛇にあって御覧なさい。 びっくり仰天とはこのことです。 ただ、蛇を逃がしたのには訳があります。 終戦直後から我が家は当時の福島県平市から旧松岡町手綱(現高萩市)に移り住み、 にわか百姓をしました。 住んだ家は古いのなんの。 風が吹けば柱はきしみ、家は揺れ、時々天井の太い梁をネズミを追って青大将が這い回りました。 中には夜中に落ちてくる青大将もいて、悲鳴を上げる子供たちに向かって お袋が「殺しちゃダメ」と大声で叫ぶのでした。

 青大将は家の守り神だというのです。 このことがあったため、小生はトイレにいた蛇の殺生を避けたわけです。 案の定というか何というか、数日後に小生は命の危機を比較的軽く乗り越えました。 あの蛇が「お前はそのうちびっくりするような目に会うぞ」と教えに来てくれたのではないか、 と思ったりするのです。

 迎えた暇人2年目。何かが変わりました。 5月に息子がハワイで結婚式をやり、出席。 来月には朝日新聞静岡支局の高校野球のお手伝いをします。 予定が無い訳ではないのに、何かつまらない。 何をしても、不満を引きずる。これはいったいどうしたことでしょう。 この無力感や倦怠感はどこから来るのでしょうか。

 少し早めに引退した方々には、「ようやく分かったかい」と笑うわれるような気がします。 理由はなんとなく分かるのですが、いまは自問自答、老後のひとつの壁だと思っておきます。

 とはいえ、何か気を紛らしたいと始めたのが釣りです。 こちらへ来てから毎日のように徒歩か自転車で三保半島を周遊しています。 従って、何所でどんな魚が釣れているか自然に見てきました。 いまはシロギスがあちこちで釣れています。 先日、親類の船で沖へ出たときは、シロギス21匹、シロムツ、カサゴ各1匹。 埠頭からのちょい投げ釣りでは、中型のカレイ3枚、ベラやコチ数匹。 早朝か夕刻の釣りですが、 三保海岸ではサバやソダガツオに追われたイワシの群れが浜に打ち上げられ、 ピチピチはねている光景が見られるのですから、まだまだ豊穣の海といえるのでしょう。

 梅雨明けに向けて、海の家もたちはじめました。 夏だけの小屋とちがって、入り江のいっかくに土曜と日曜、休日だけ、 1年中開いている海の家「キングノット」があります。 目の前の海は日差しを受けてキラキラと輝き、 とくに夕映えの時には黄金の木の葉を散りばめたようになります。 夕日と潮風と輝く海。ビールを傾けながら、 それを粗末な白いテーブル越しに眺めるのは最高の贅沢です。(07・6・29、宮城)