身辺雑記  (宮城 倉次郎) -2008. 4. 8-


 春を迎え、風がかわりました。皆さんはお変わりありませんか。 小生の散歩コース、三保半島(静岡市清水区三保)の先端部は、冬、海岸線 の道路を三保の松原から富士山に向って歩いて行くと押し風。春になると向 かい風にかわります。雪を冠った富士山の雄大な姿が真正面に見えるのは、 冬の澄んだ空気の間だけ。桜の季節が終わるこのごろは、かすんだ姿しか富 士山は見せてくれません。

 土地の古老たちは、くっきりした富士山が見られることの少なさを嘆きま す。濃淡はありますが、たしかに写真に撮りたいような富士山を目にするの は1年を通じて数えるほどしかありません。これは4月で三保在住3年目に 入った小生の実感です。

 ややオーバーかもしれませんが、そこには我々を含めた人間が駆け抜けて きた歴史、営みから来る厳粛な環境問題があって、「避けては通れませんよ」 と警鐘を鳴らしているのかもしれません。

 それでも人間様は貪欲で、清水港の一番の観光スポット「ドリームプラザ」 には、今夏、大きな観覧車が登場します。なんだか地元PRの片棒をかついで いるような感じですが、賑やかになることへの地元の期待もわかるし、観光客 が大挙してやってくればもっと松枯れがひどくなりはしないかなど、いろいろ な価値観が頭をよぎります。

 心臓にペースメーカーを埋め込んでから1年半。おかげで、長続きしたこと のない日記が、朝晩の検温・血圧測定をきっかけに続いていて、最近は「昨年 の今頃何をしていたか」のぞき見るのが楽しみです。そのためきれいに書こう と気をつかい、天気や起床時間など、短いながらデータが豊富になっていきま す。1日分でたった7行、5年連記のダイアリーですが丁寧につけるようにな りました。今なら、小学校の矢代先生(若くて美人の最初の担任)にもほめら れたでしょうね。

 こんな風に、昔を懐かしんだりへんにまじめぶったりすると「一貫の終わり (命)」かもしれません。これは照れですが、明日にも東海地震が襲うかも知 れない当地の人たちは、「その時はその時」とよく言います。喫茶店や居酒屋 で交わされるセリフなのですが、みんなそうして命や地震襲来について腹をく くっているようです。

 長らく、囲碁と麻雀(現6段)で小生の相手をしてくれたパソコンが、とう とう寿命になって立ち上がらなくなりました。急きょ、秋葉原まで出かけて在 宅作業(朝日新聞の明治大正データベース作成)に欠かせないXP対応のパソ コンを買ってきました。使い始めると待っていたように、旧パソコンは完全ダ ウン。カミさんが言うには、「機械にも魂があって持ちこたえていたんだか」 (「だか」は静岡弁)。やさしい気持ちがそんな言葉になったのでしょうが、 そろそろ神がかりの境地や温和になって、へんだなーと思うのが小生。

 ちなみに、今年も浅草・隅田川の満開の桜をついでに堪能しました。江戸近 辺の人たちも、政治や経済が混迷するなかだからこそか、にぎやかに行く春を 惜しんでおりました。(了)