最終同窓会  (中島 節) -2008.11. 15-


   最初にひと言: 少し遅くなりましたが 柴田弘道君の国民文化祭陶芸美術部門での入選を同窓一同 心から お喜び申し上げます。「継続は力なり」ますますのご精進を祈ります。笠間にある茨城県陶芸美術館を あまり知らない方が多いと思いますので、柴田君とは別の写真を最後に載せます。6日 鑑賞に当館を 訪れた時、たまたま登り窯が使用されていました。

 五日前の11日(火)、茨城師範学校男・女子部合同同窓会の最終日となった。昭和25年(1950)春の 卒業、大多数の同窓は数え歳80歳、いうなれば傘寿の会を祝っての解散。

 水戸に在った学校は空襲で全焼し、霞ケ浦を見下ろせる土浦の台地に引っ越す羽目になった。私達は 最初からこの地で学んだ、窓ガラスはなく、床板がガタガタする陸軍の気象学校を借り受けたおんぼろ 校舎だった。学制改革で師範学校は廃止され、現在はこの跡地に土浦三高が建っている。

 師範を卒業し 1年間だけ中学校に勤めたが、当時はまだ戦争の疲労、物資不足が後を引きずっていた。 毎日背広を着ていたのは戦地、外地に行かずに済んだ校長だけで、軍服、下駄履きの先生もいた。また 先生方も大半が代用教員という新制中学発足時代でした。1年後 大学に編入し、卒業後は高校、高専の 教師になったから、師範の同窓とは縁遠い関係になった。しかし戦後の苦楽を共にした忘れがたい仲間たち、 60歳頃から なるべく会に顔を出すように努めてきた。

 その同窓会がついに終焉を迎えることになった。男子150名いた同窓もすでに3分の1、また女子31名中 6名が鬼籍に入られ、残った私達がみな健康とは限らない事態になってきた。同窓会への出席者も減り、 幹事達も大役を負えきれなくなり、全会員止むにやまれぬ思いで 会の存続を断念することになりました。 当日の出席者は男子32、女子9名。

 そんな事情もあってか、開会・閉会の挨拶、役員の挨拶の長いこと。総会進行は遅くもたつく。また乾杯の 音頭をとる人、司会者まで長々と思い出などを交える始末。10時開始、記念写真撮影、同窓による民話に ついての話、昼食・宴会、余興(元音楽教師の独唱、合唱)と続き、予定を30分オーバー 午後2時半、万歳三唱で 幕となった。宴会中は親しかった友人全員に酒をついで回り、堅い長い握手を交わし、お互いに今後の健勝を祈り ながら永遠の別れをした。

 この同窓会の特徴はいつも 昼食を挟んでの会合で、なぜか恩師を招待しない。また男女共学だったが同窓会は 別々に開かれ、共催されるようになったのは 10年位前から。最後に残った会費の残金数万円は、会終了後直ちに 茨城新聞社を通じ社会福祉関係に寄付し、同窓会の活動は無事めでたく終了した。 (2008-11-15)