さてこれを機に 私の教師歴と茨城高専での思い出を二つ紹介してみます。 中学校1年、大学卒業後高校16年、高専24年、 退職後大学非常勤8年、計49年教壇に立っていました。 高専での思い出第一は会議室から喫煙を追放したことです。
今でこそ公共の場所での禁煙は当たり前になりましたが、 20数年前のことですから高専にとり画期的なチェンジでした。 冬の寒い日、紫煙ムンムンの閉ざされた会議室での教官会議は誰にとっても不快。
丁度そのころ 京都で禁煙についての国際会議が開かれていました。 この好機をとらえ「会議中の禁煙」の動議を出してみると 以外にも大した反論もなかった。 議事進行を早めるよう努力すれば 喫煙者も納得・我慢できるし 一石二鳥になります と議長は賛成、可決の運びになりました。
これを一番喜んでくれたのが事務方です。 夕方の会議終了後、悪臭プンプンプンの灰皿始末が不要になる。 この快挙を称える私の銅像を立てたいと言ってくれるほどでした。
茨城高専寮の利用率は低く文部省から不評でした。 低率の原因は県のほぼ中央に位置し 通学に便利であるからとされていました。 寮を管轄指導する先生は なぜか1,2年生を担任しない専門科教官から選出されること多かった。 従って3年生以上を担任、専門科に所属する先生方にとり 退寮の原因を突き止める必要性は低く、 これが本校寮の実情、伝統だくらいに感じていたかもしれない。
しかしショックだったのは、入学式を済ませた直後、 ある父兄が私のところに来て「昨日あんなに喜んで入寮したのに、 今朝 合ったらすぐ退寮したいと言われた」と相談を持ちかけられた。 当時の寮はどんなふうであったか 少し述べておきましょう。
大声で最敬礼をしての挨拶励行(上級生は返事どころか ひどい時には見向きもしない)、 入寮当初1週間は夜になると お近づきと称し 自己紹介を兼ねての部屋周り、 特訓と称し 真夜中に招集をかけ新寮生にお説教、 1年生の入浴は最後などなど 前近代的なことが黙認、横行していた。 これ以前にも 受け持ち寮生の顔の青なじみを聞きただし、 安心して夜も眠れない日のあることを知っていた。
3,4人で1年生の寝込みを襲い、 腹にマジックインキで落書き程度ならまあ黙認できるとしても、 その下部にまで悪戯が及ぶらしい。 これが「快従」という実態。 「かいじゆう」の言葉を知っている先生は多いが 怪獣=肝試し と誤解しているようであった。 先ほどの「青なじみ」はベッドから逃げ出し、柱にぶっつけた時できたと真実を語ってくれた。
このような事実をつかみ憤慨していたある年、寮務主事を依頼された。 ここからが第二のチェンジの始まり。
早速寮生全員を集め、寮改革を宣言、協力を求めた。 前主事から「中島さん、そんなことしたら大変だよ」と忠告されたが、 寮生、学校のことを考え一歩も後退することなく前進した。 そして 声をからしての討論が幾晩続いたことでしょう。 校長に寮の実態を話すと、そんなことは全然聞いていなかった、 いったん ここで閉寮しようとまで言ってくれた。 とにかく寮生の父兄会を臨時に開き 改革への理解を求め、着々と長い茨の道を歩いた。
私の在任2年間では 改革も道半ばであったが、後任は私の考えに同調、 協力してくれたお陰で、間もなく退寮者はなくなり、入寮者の急増に繋がった。 私の退職後には他高専から変容した茨城高専をモデルにしたいと参観に来るようになったと聞く。 小は家庭生活から大は政治、経済などに至るまで制度疲労を起こさないよう時々 点検、チェンジしなければなりませんね。
では薫風の五月、鯉幟のように元気に過ごしましょう。 (2009-5-1)