悲しい親友とのお別れ
   (中島 節) -2009. 9.19-


 連休いかがお過ごしですか。 といっても「連休」で余り心躍らせることのない年頃になりましたね。 今日は連休に相応しくない話題になってごめんなさい。

去る8月26日、大学時代の親友Mさんの告別式に参列した夕刻、電話が鳴る。 受話器を取ると聞き慣れたD氏からの声。 「良い話じゃないんだけど、実は持田君が亡くなり、、、」にびっくり、応答の声が詰まる。 5月には元気に私達のため叙勲祝賀を兼ねた同窓会をまとめ上げてくれた幹事長であった。 翌日の新聞「おくやみ」欄で記事を再確認し、28日午前12時からの心の準備をした。

ここで持田氏の人情味あふれる最近の思い出を語り、彼への鎮魂にしたい。 新聞で叙勲発表のあった翌30日、「同窓生二人が同時に叙勲受賞とは誠にお目出度いことです。 仲間に呼びかけ是非祝賀会をしたいが如何でしょうか」という内容の電話があった。 とにかく祝賀会をしたいという温かい最初の呼びかけだったので本当に嬉しかった。

謝意を伝え「同窓会は解散したことだし、懇親を主にした会合にしては如何でしょうか」と答えた。 というのも 私達真壁農学校の同窓会は募る年齢を考慮し、3年前喜寿を祝っての会を最後に解散し、 今後の会合は各地区で御随意にということになっていた。 そこで彼は2,3人に諮り 私の生家である旧協和町、 下館市とその周辺の同窓に呼びかけることにしたが、 はたして何人集まってくれるかが彼の最大の悩みであった。

「人数は気にしないで下さい。喜んで集まってくれる人だけで十分ですよ。無理はしないで」 と その後 伝えた。 この電話に彼は大変感動、気楽に事を進めることができました と懇親会の挨拶の中でも述べてくれた。 そうこうしているうちに お隣村のF氏も昨秋 叙勲されていることを知り、 仲間に入れて良いかどうか の連絡が入ったので、「誠に結構な話、三人一緒とは何よりです。 楽しい懇親会になりますよ」と答えると彼も大変喜んでくれた。

その後、何回となく電話で連絡を取り合いながら 無事叙勲祝賀会5月26日を迎えることができた。 有難いことに 市内在住のK氏の申し出で、 会場下館市「つたや」への往復は 彼の温情にすがることになった。 11時からの記念撮影には 全員で19名の方々が収まり、 それに続く挨拶、祝宴、思い出話であっという間に楽しい3時間は過ぎてしまう。 持田氏の挨拶・祝辞は他の二人より時間をかけ 私を紹介し讃辞を贈ってくれた。

後日談によると、この時すでに彼は白血病に侵されていたそうだが、そんな気配は全く感じさせず、 祝杯を飲み交わしていたと記憶する。 彼は農学校を卒業すると間もなく警察官になり、その後 新設された警察予備隊、 続いて自衛隊に編入隊し 定年まで国家防衛に尽し 陸佐まで昇進した 真面目で温厚な努力家であった。

3か月前 あんなに元気だった持田氏と葬祭場で再開するとは 夢想だにしなかっただけに ひとしお悲しいお別れとなった。 人生とは誠に儚いものである。 7月に 2歳年上の兄が亡くなってから急に病状を悪化させたと聞く。 入院期間は僅か数日、我慢強い昔堅気の日本男子の姿が彷彿としてくる。 私達三人のため 最後の友情に花を咲かせ、天国へ旅立ったのであろう。 ここに改めて60余年の友情に深甚なる謝意を表し、合わせてご冥福をお祈りします。 (2009-9-19)