この事件の歴史的評価は定まっておらず、殺す側、殺される側のそれぞれの倫理もあったことと思いますが、司馬遼太郎は 「暗殺という政治行為は、史上前進的な結果を生んだということは皆無に近いが、桜田門外の変だけは歴史を躍進させた例外 である」とも書いています。
さて、千波湖畔のオープンセットもほぼ完成の記事を読んで、偕楽園の観光ボランティアの今年の活動には、この話題も入れ なくてはとぽかぽか陽気の1月30日土曜日に見てきました。
ちょうど千波湖側はセットの裏側で、大名屋敷の門の裏だけが並んでいますが、南側に回るともう室内での撮影が始まっており、 大勢のスタッフが立ち入り制限の仕事をしていました。柵の外からの撮影ですが、写真の右側手前が桜田門(高さ15m)、 奥の赤い門が彦根藩井伊家の上屋敷の赤門、手前はこのために掘ったお堀です。
実際は赤門を出て桜田門に曲がるまで500m位 だったようですが、セットでは総延長600m(東京ドーム1個分)の中に納められております。それでも近江彦根藩、安芸広島藩、豊後杵築藩、出羽 米沢藩と並ぶ大名屋敷と桜田門の石垣はその威容に圧倒されました。何か2億数千万かかったとか、撮影後約1年間一般公開の 後はどうするのでしょうか?もったいない!まもなく例の雪の襲撃シーンの撮影が始まるそうですが、曇の日を選んで行い、雪 は70トンの寒水石をパウダー状にして敷き詰めるということでした。
さて偕楽園はこの襲撃の19年前の1841年の開園、春に先駆ける梅の花を愛した9代藩主斉昭公もこの事件の要因に少なか らず影響を与えたと思いますが、この襲撃や天狗党の騒乱などで水戸の志士たちは時代に先駆けて散っていきました。そしてこの 7年後が明治維新、日本は近代化に向かって大きく舵を切りました。
ところで園内はもう早咲きの八重寒紅など何本かは満開、平成維新を掲げた何とか党は、藩主Oの金権問題で足踏みが続いて いますが梅はやはり先駆け、今年も開花は俄然早まりそうです。