五木寛之の講演 『いまなぜ親鸞か』
   (宮城 倉次郎) -2010. 2.18-


 同級生のみなさん、中島先生、ごぶさたしています。 お変わりありませんか。またたく間に年が明けて2月もなかば過ぎ、遅ればせながら今年もよろしくお願いします。

 みなさんは『仏心』について考えたことがありますか。 以下は、その『仏心』についてのわたくしの近況報告です。

 いま五木寛之作の『親鸞』(上下2巻)が書店の店頭にならんでいるのをごぞんじでしょうか。 先にことわっておきますが、わたくしの家は神道。 両親の葬儀は神主さんにとりおこなっていただきました。 しかし家には先祖代々の位牌をおさめた仏壇があって、宗派は浄土真宗。 『南無阿弥陀仏』の門徒でもあったのです。

 わたくし自身は都合のいい(悪い)ときのみトイレで手を合わせるような、雑駁な信仰しか持ち合わせていません。 『神様、仏様、どうぞ助けてください』ーーーというような調子でした。 したがって『親鸞』を読んでみようと思ったのは、浄土真宗を開いた親鸞さんに義理立てしたわけでは決してありません。

 ある日の新聞に、『親鸞』(講談社)の本の宣伝と東京、 名古屋で開く五木寛之の講演『いまなぜ親鸞か』の広告が出ていました。 (すでに本を読んだ方、講演をお聞きになった方はご容赦を)

 『本を読んで講演を聴くのも面白いかも』が、わたくしの実にいいかげんな『仏心』の動機。 本を買い、コンビニでチケットを手に入れ、3日で本を読みおわりました。 そして2月6日、名古屋・中京大学市民文化会館での講演(午後7時開演)を聴き、新幹線で帰ってきました。

 本には親鸞が9歳で比叡山に上がるところから、 34歳で師の法然とともに配流(流罪)になるところまでが描かれています。 親鸞は結婚の事実(1203年)が歴史年表にのっているように、妻帯した僧侶です。 妻はともに『南無阿弥陀仏』の念仏同人の恵信尼。 当時の比叡山は法然、栄西、親鸞、道元、日蓮らの高僧が輩出した仏経のメッカです。 気を失うほどの厳しい修業や学問に打ちこんでもなお、『仏教とは何か』とまで悩んでしまう親鸞。 特にその煩悩の苦しみは深く、なかなか迷いは去りません。

 山を下り、やはり当時の仏教に疑問を抱いて山を下りた法然の元で、ようやく自分の居場所をみつけます。 そして法然とともに、念仏を心をこめて唱えれば善人も悪人も救われるという教えにまいしんすることになります。 庶民が願っていた信仰でした。結婚もこの時でした。 しかし、『悪人救済』は世上の誤解と批判をうけ、さらに念仏宗の広がりは鎌倉幕府の権威の妨げとなり、 流罪となってしまうのです。

 小説でわたくしが胸を打たれたのは、法然と親鸞の問答のくだりです。 親鸞が先輩・法然の説くところの専修念仏(ただ念仏すればよいと説く)について、 『真実の言葉を語れば、かならず周囲の古い世界と摩擦をおこします。 (中略) それが真実だからこそ危うい。 危うければこそ真実だとわたしは思います』と激しくぶつかり合う場面です。

 作者は早稲田大学露文科出身ですが、いちじ作家活動を休止して京都の龍谷大学で仏教史を学んでいます。 文章は平易ですが、奥の深いやりとりをいくつもの場面で展開しています。 一方、仏教をわからずに読んでも十分たのしめる本でもあります。

 この念仏宗(阿弥陀如来)信仰は、混乱した平安末期に光をはなち、庶民の間にひろく根をはっていきます。 戦国時代になると織田信長に迫害を受け、越前では大勢の門徒が殺されます。 しかし現在、京都の東本願寺(大谷派)、西本願寺(本願寺派)に見るように、 大谷派だけでも全国の550万人という門徒に支えられ、大伽藍を誇ります。

 もう少し続けます。 ご承知の方も多いと思いますが、歴史年表(吉川弘文館)や広辞苑によりますと平安末期はとても世の中が乱れた時代でした。 疫病(疱瘡)の流行と合わせて飢饉や大火が毎年のように起こり、都(京都)は「死者巷に満つ」とあります。 いまは風情いっぱいの鴨川の岸辺は、死体の捨て場だったとか。 平家と源氏の戦いを経て、政権が朝廷から鎌倉幕府へとうつり、主を失った都は荒れ果てていっつたのです。

 芥川龍之介の「羅生門」も、当時の京都が舞台です。 こうした時代を背負って、若き仏教徒らがもがき苦しみ青春を送ったのが当時の比叡山だったとも解釈できます。 悩みや苦しみ抜く青春には、いかなる社会の壁もそんざいしません。

 親鸞は赦免のあと、常陸国の稲田郷(水戸の先)で浄土真宗を開いた(1211年)とされています。 つまり、わたしたちにも大変深い縁があるのです。 著書としては『教行信証』や弟子の書いた『歎異抄』が有名です。 特に後者は、現在も一定の読者があるロング・ベストセラー。親鸞は90歳で亡くなっています。

 講演での五木寛之。後ろの席で、婦人たちが『五木さんてめちゃくちゃハンサムなんだよね』。幸せなひとです。 枕にふったのは、お釈迦さまでもイエス・キリストでも、さらにソクラテスでも書物、 字に書いたものを残していないということでした。 それでは聖書やあまたの仏典や経典はどうしたのかいえば、口伝えに聞いた弟子たちが著したものだそうです。 つまり『口伝』。『非常に記憶力のいい弟子が一字一句間違えずに記録したのだろう』と作者。

 長くなるのではしょりますが、書物偏重への危惧もさることながら、 本当は『口伝』というものすごい作用について思いをめぐらすようすすめたのではないかと思います。 『語るひとがいて、聞くひとがいる。その間に何かがある』と云うのです。 わたくしたちが忘れている語り合い、人と人のつながりや信頼について指摘したのではないでしょうか。

 難しい言葉は一切つかいませんでしたが、著書にある『他力』や『信仰』について、じわりと伝わってくる講演でした。 さすがに、そして僭越ですが、『風に吹かれて』の名手です。 1、2階で千人は入る会場は満員でした。 『メモするような話ではありません』と、のっけにクギを刺されてしまったので、 帰りの新幹線でビールを飲む前に懸命にメモをしました。

 わたくしの報告はこれでおしまいです。 少しはお汲とりいただけたでしょうか。 わたくしたちの心に、どんな仏様か神様かは分かりませんが、少しづつ巣食いはじめているとは思いませんか。 ちなみに、我が家に神様と仏様がまつられているのは珍しいことではなく、歴史的に世間ではよくあることのようです。 (宮城倉次郎)