バラマキ政治は国家衰亡への道
   (稲植 俊雄) -2010. 6.20-


国際派日本人養成講座というタイトルで
メールマガジンを発行している伊勢雅臣氏の記事です。
まさしく伊勢氏の主張の通りだと思います。

1.日本のアルゼンチン化?

 イギリスの評論誌『エコノミスト』の表紙が話題を呼んでいる。 表紙は "Leaderless Japan (指導者なき日本)" とのタイトルに、 日の丸から赤い太陽が ずれ落ちたイラストを用いている。

 国旗に対する侮辱だ、という反発もあるが、ここ4代の首相が、安倍366日、福田365日、 麻生358日、鳩山266日と、毎年変わっているようでは、『エコノミスト』誌に反論もできまい。

 政治の混迷が その国の衰退を招くという道は、歴史的な前例があることを、 京都大学大学院教授の中西輝正氏は指摘している。

   アルゼンチンはかつては南米随一の経済先進国であり、 イタリアやスペインよりも ずっと高度な生活水準を誇っていた。 しかし、第二次大戦後、左派リベラル路線のペロン政権が、 バラマキ政策を展開したために財政の大崩壊を招く。

 以後、アルゼンチンは 数十年にわたる国家デフォルト(債務不履行)と軍事政権の繰り返し、 という混乱の中で、果てしない衰退の道を歩んでいった。 バラマキ戦術による 政権奪取、財政の崩壊というコースは、 不気味なほど現代日本の状況に似ている。

2.バラマキ戦術でドイツを破滅に陥れたヒトラー

 中西教授は、バラマキ戦術は 衰退だけでなく、破滅に至る道でもある事を指摘している。

 1920年代、ドイツでは大量の失業者が発生していた。 ここで ヒトラーのナチス党は、自分たちが政権を取れば 年金支給額や失業保険を大幅に増やすと訴えた。

 財源まで 詳しく詰められていたわけではないが、大衆はそんなことにはお構いなく、 熱狂的にナチス党を支持した。 この選挙戦術で ナチス党は勢力を拡大し、 年金問題が 争点となった1930年の総選挙で107議席を獲得し、 一躍、国家的な大政党にのし上がった。

 ヒトラーは「ユダヤ人の陰謀論」やドイツを苦境に落とし込んだ 「ベルサイユ条約」の打破も唱えていたが、これだけで熱狂したのはごく一部の若者だけだった。 真に大衆を惹きつけたのは、バラマキ戦術あった。

3.バラマキ戦術は有権者への賄賂

 ヒトラーのバラマキ戦術が ドイツの民主主義を破壊したという反省から、 ヨーロッパでは年金を政治の大テーマとしない、という知恵が生まれた。 年金制度の改革をするときは、与野党の協議体を作るなどして取り組む。

 フランスの1950年代の大きな年金改革は、長期にわたる与野党の協議を通じて行った。 スウェーデンでは 1991年から年金財政が崩壊し始めたとき、 与野党の超党派による協議体を作り、数年かけて年金制度の青写真を描き直した。

 中西教授は、 「年金問題を政治テーマ化することは民主主義の最大の『恥部』に触れるきわめて危険な行為」として、 次のように説いている。


 「私の政党に票を入れてくれれば、年金をこれだけ差し上げますよ」というのは、 有権者に賄賂を握らせ、国民全体に総買収を仕掛けるような効果をもつのである。

 このような浅ましい手法は、人間道徳の根幹を腐らせ、 民主主義の基礎を壊すことにもつながりかねないのである。



4.「大きな政府」の恐怖

 年金に限らず、ある政党が選挙でバラマキ戦術をとると、他党も対抗せざるを得ず、 選挙はバラマキ合戦となっていく。 そして 有権者は賄賂の大きい方に投票する。 こうして、国民一人ひとりが国全体のあるべき姿を考える、という民主政治の理想は吹っ飛ぶ。

 その結果、アルゼンチンのように財政崩壊を通じて衰退の道を歩む。 あるいは ヒトラーのような宣伝の天才が 独裁政権を作ると、国民を隷従と破滅の道へと歩ませる。

 こうした反省から、ハイエクなど 20世紀の先賢が論じたのが、「大きな政府」こそ、 お金のバラマキによって 国民の健全な判断を誤らせ、その結果、民主主義は崩壊し、 全体主義につながる、だから「大きな政府」は恐ろしい、という事であった。

 我が国では「大きな政府」の問題が論じられるとき、 もっぱら その「非効率性」だけが議論の焦点となるが、 「大きな政府」はバラマキ戦術を許し、民主主義を崩壊させるという根源的な危険を持つ、 という点を忘れてはならない。

5.禁じ手で勝利した民主党

 民主党の政権奪取は、まさにバラマキ戦術という禁じ手を使った勝利であった。

 同党は、平成19(2007)年の参院選の際、「消えた年金」問題の追い風を受けて、 「生活が第一。」とのスローガンのもとで 年金制度改革案を唱え、 81議席から109議席へと勢力を伸ばして、参院第一党の地位を獲得した。

 昨22(2010)年の衆院選では、一人当たり年31万2000円の「子ども手当」、 月額7万円の最低保障年金、農業の戸別所得補償制度、高速道路の無料化など、 徹底したバラマキ政策を売り物にして、 308議席という単一政党としては史上最高の議席数を獲得して、念願の政権交代を実現した。

 しかし「子供手当」の半額実施など、そのマニフェストの一部を織り込んだだけで、 平成22(2010)年度予算は92兆円と史上最高規模に達した。

 しかも 実際の税収入は37兆円と40%に過ぎず、新たな国債発行が44兆円にも達した。 それでも 不足する分は「税外収入10兆6千億円」で補うが、 このほとんどは 財政投融資特別会計の積立・剰余金などの「埋蔵金」を使ったもので、 いわば 過去のへそくりを取り崩したものだから、一度限りのものである。

 民主党は 子供手当などの財源は、予算の無駄削減で手当てできるとして、 「事業仕分け」という大々的なショーを行ったが、 それによる歳出削減額はわずか1兆円程度に過ぎなかった。

 バラマキ戦術をとった民主党は、両院で第一党の座を勝ち得たが、 それによって 我が国は財政崩壊の瀬戸際に立たされている。 この先にあるのはアルゼンチン型の衰退か、ナチス・ドイツ型の破滅である。

6.小沢一郎が民主党をバラマキ政党に変質させた

 もっとも 民主党がはじめからバラマキ戦術をとっていたわけではない。 小沢氏が代表となる以前の前の菅直人、岡田克也、鳩山由紀夫、前原誠司の4氏が代表の時は 「消費税を上げる」という公約を外さなかった。

 しかし 小沢氏が平成15(2003)年に民主党入りすると、菅代表は「年金未納問題」で辞任、 岡田代表は郵政選挙で大敗北を喫して退き、 続く前原代表は「偽メール事件」で退くなど、 次々と信じられないような凡ミスで失脚していった。

 小沢氏が 真打ちよろしく平成18(2006)年4月に代表となると、 その途端に 民主党は「消費税」を完全に引っ込めて、徹底したバラマキ戦術をとり、 平成19(2007)年の参院選、22(2010)年の衆院選と大勝利を続けて、 ついに政権を獲得するに至る。

 中西氏は「小沢氏が代表になるまでの民主党は、いわば汚れを知らない 『うぶな民主党』だった」と指摘している。 小沢氏こそ、民主党を危険なバラマキ政党に変質させた張本人だったのである。

7.「古い自民党体質」と「古い社会党体質」のドッキング

 小沢氏が自民党の田中角栄派のプリンスとして将来を嘱望されていた人物であることを考えれば、 民主党の変質は理解できる。 田中角栄は、 地方公共工事などの地元利益誘導によって票を集めたバラマキ戦術の先駆者であった。

 そして その「利権社会主義」によって、大規模かつ非効率な公共投資が繰り返され、 その結果、それまでの高度成長が急停止し、赤字国債の発行が始まる。

「コンクリートから人へ」という民主党のキャッチフレーズの本質は、 実は角栄流の「コンクリートへのバラマキ」から、 一郎流の「人へのバラマキ」への移行だったのである。

 そして「人へのバラマキ」は、かつての社会党の本領だった。 階級闘争による富者から貧者への富の再配分、あるいは組合活動による労働者の権利確保、 というのも、利得で票を買うというバラマキ戦術が 本質であることには変わりない。

 小沢氏は「古い自民党体質」と「古い社会党体質」をドッキングさせて、 民主党を変質させたのである。

8.消費税問題こそ「脱小沢化」の踏み絵

 野に下った自民党が参院選公約に「消費税率10%への引き上げ」を掲げ、 それに対抗して 菅新首相も突然、消費税引き上げを言い出した。

 これに対し、民主党内の反小沢派は菅首相を支持し、親小沢派は批判して波紋が広がっている。 「うぶな民主党」時代の公約であった消費税を引っ込めたことが 小沢流バラマキ戦術の第一歩だったことを思い起こせば、 消費税問題こそが 民主党が脱小沢化できるかどうかの踏み絵になる事がわかる。

 いや民主党だけではない。 消費税問題は、国民をバラマキ戦術の幻覚から目を覚まさせるテーマである。 福祉というサービスを得たければ、その対価として税金を払わなければならない。 どれだけの税金を払って、どのようなサービスを受けたいのか、 という理性的な判断を国民は迫られる。

 アルゼンチン型衰退か ナチ・ドイツ型破滅への道を、 ここで踏み止めることが できるかどうかの瀬戸際に我々は立っている。 消費税問題を踏み絵とした「脱小沢化」は、国民全体の課題なのである。

9.フランスの国家崩壊

 衰退と破滅への道は必然ではない。 その道を引き返して再生した例は少なくない。 たとえば マーガレット・サッチャーによるイギリスの再生は、その見事な例である。

 ここでは、もう一つ、中西教授が紹介している1930〜1050年代のフランスの事例を見てみよう。

 1920〜30年代のフランスは、第一次大戦で 多くの国民が戦死して、経済は破滅的な打撃を被った。 そのため、共産主義が跋扈し、風俗は乱れ、伝統的価値観は転倒した。 国民が 将来への希望を失ったため、少子高齢化が進み、人口は純減傾向を見せ始め、 「このままではフランス人は地上から消えるのではないか」と言われた時代だった。

 1930年代、ヒトラーとの戦争が迫ってきても、 フランスの若者たちは「国家のために死ぬのは野蛮な行為だ」などという風潮に浸っていた。 そして 実際にヒトラーのドイツ軍が侵入してくると、多くの若者は銃をおいて戦場から脱走した。 その結果、パリは4年以上にわたるナチス・ドイツの占領下におかれ、 フランス人は国家崩壊の悪夢を見た。

10.ドゴールによる再生

 ここに登場したのが、ドゴールである。 「こちらはロンドン。私はフランス亡命政権のリーダー、ドゴールです」と、 ロンドンから抵抗運動を呼びかけた声が、フランス人に電撃的なショックを与えた。 この時から始まった「フランスの再生」は、まさに精神面の再生から始まった。

 1950年代に ドゴールが大統領の座につき、 「イギリスに負けるな。西ドイツなどに追い越されて良いのか。 アメリカのいうことを唯々諾々と聞いていてはいけない」と国民を叱咤激励し、 それまでの外交を 大きく転換して「ゴーリズム」という「フランス第一主義」を掲げた。

 キューバ危機のような ギリギリの危機に対しては、アメリカと一糸乱れぬ協調行動をとったが、 ふだんは 独立自尊の旗を高々と掲げていた。 経済的にも「われわれには近代工業を運営する能力がない。農業国がフランスの本質なのだ」 という弱気に沈むフランス経済界の尻を叩き、 激しいグローバル競争の風にさらす という自己改革を迫った。

「国家の栄光」を第一義におき、植民地を切り捨て、核武装をした。 こうして 経済が再生し、外交も独自の力を発揮して、 フランスは 押しも押される世界的大国の地位を回復した。 ヨーロッパにおいても、中核国として欧州統合を引っ張っていった。

 国民が自信と将来への希望を持ったことは、出生率の上昇となって現れた。 少子高齢化を「成熟社会の必然」と見るのは間違いで、 それは 国の未来への希望が見えなくなった時に現れる現象なのである。

11.国家再生の出発点

 アルゼンチン型衰退や ナチス・ドイツ型破滅が、 バラマキ戦術による国民の精神的堕落から始まり、 逆に フランスの再生が ドゴールの呼びかけによる国民の精神的覚醒から始まったことは示唆的である。

 民主主義においては、政治の質は国民の良識のレベルによって決まる。 優れた政治的リーダーを選ぶのは 国民の良識である。 経済的な発展も、国民の創意と努力によってもたらされる。 少子高齢化傾向ですら、国民の未来への気概に左右される。

 まずは 我々一人ひとりの国民が、選挙において、バラマキ戦術に目を奪われることなく、 国全体を考える公共心と、優れた政策とリーダーを選択する見識に基づいて票を投ずることが、 日本再生の出発点である。 (文責:伊勢雅臣)


Topへ戻る