歴史講座で学んだこと  (中島 節) -2010. 9. 1-


 前にもちょっと触れたように、土浦市立博物館長茂木雅博先生の講座を妻と一緒に受講しています。 特に歴史が好きというわけではなかったが、彼の熱弁、脱線に惹かれ古代史、天皇陵などに関する講座をもう3年近く聞いています。 市外からも聴講者が見え、約40名近い高齢者男女が毎月第3日曜日午後2時からから1時間余の講義を楽しんでいます。

 今年は平城遷都1300年にちなみ「飛鳥の遺跡」を取り上げています。 受講料は無料ですが、今年になりプリント代として50円納入することになりました。 さて今回はその中で興味のある二つを取り上げて見ます。

 その1は、神仏習合(神仏混淆)から廃仏毀釈への大転換です。 仏教の伝来してきた飛鳥時代は神道との間に何かと問題は起こりましたが、日本の神々は護法善神との自負の念も高まってきた。 そして 遂に奈良時代になり神仏習合の思想が芽生え、世にも珍しい神仏融合の日本に発展しました。 しかし明治時代に入り仏教排撃運動が始まり、1868年に神仏分離令が出ました。

 これを機に国内の神道家などを中心に各地で寺院、仏像の破壊が始まり、僧侶へ改宗を強制的に迫りました。 これが今でも無残な首無し仏像をあちこちで見かける廃仏毀釈の結果、 残骸です(10数年前、南房総の古刹で沢山の首無し仏像を初めて見たとき、浅学にも現代人のひどい悪戯と思いました)。 しかし 住職の努力で、お隣り船橋の醫王山神宮寺市、諏訪市の中川神宮寺などの寺が日本各地に誕生し、生き延びてきました。 これは私の推測ですが、廃仏毀釈は光圀編集の『大日本史』の影響だと思います。

 その2は、『大日本史』です。 徳川光圀は神武天皇から後小松天皇までの歴史書を民間の手で編集した偉い大名、学者とだけ学んできた。 それまでは 奈良時代に書かれた不完全な勅撰の『日本書紀』しかなかった。 これを不満に思った光圀は1657年に編集を開始し、没後の1906年(明治39)に新しい日本史が完了した。

 しかし編集の目的は、萬世一系の天皇制を謳歌し後世に残すためのもので、大変不正確で不備が多いようです。 例を挙げると 足利尊氏、義満時代の1330から60年続いた南北朝では南を正統として、幕末の勤王思想に多大の影響を与えた。 また天皇の存在すら確定していないのに天皇と天皇陵を無理矢理結びつけ、 現在も○○天皇陵と認定し祀られている陵はたくさんあるらしい。

 茂木先生によると神武天皇の存在も怪しく、 存在の確定しているのは漢字が日本に渡来し記録に残っている33代の推古天皇からとのことです。 それ以前の天皇の在位年数を調べても不自然さが目につく。 インターネットで「皇室系図(2010−02−10)」を見ると、 推古天皇以前に75年以上在位した天皇が神武天皇をはじめ6名いたことになる。

 6代の孝安天皇に至っては102年です。はたして10数世紀前に、こんなにも長命な方々が日本に生きていたでしょうか。 神話の中で活躍された天皇? 一方、在位年数2〜5年の短命天皇は推古天皇前に9名もおられたのも気になる。 この一事をとっても、いかに無理な『大日本史』であったか、想像がつくでしょう。

 この秋は茂木先生の引率で古墳見学(筑西市関城)のバス旅行が予定されています。 来年度も講座は続けるとのこと。専門外に首を突っ込むのも楽しいものです。

 最後に もう盛りは過ぎましたが、庭先に咲いていたクレオメ(風蝶花)をお見せします。
記録ずくめの今年の猛暑、今月もまだまだ暑さは続くようです。
お互い熱中症には最大の注意を払いましょう。 (2010-09-01)


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