アルコールとカナダ  (中島 節) -2011. 4. 1-


 東日本大震災から、暗く息苦しい3週間が過ぎました。 そろそろ 明るい桜便りが 待ち遠しい昨今です。 桜から元気を貰え、励ましあって 新しい日本の再興に知恵と努力を傾注しましょう。 さて 今回の短文は、 私の所属する 川柳の土浦芽柳会会報誌3月号に埋め草用として投稿した文章に 多少手を加えたものです。

 平成5,7,17年と3回カナダへ旅行しました。 1回目は 某旅行社主催、「秋のカナダ旅行」に参加。 ある日の夕方、 「明日はコロンビア氷河見学ですから ウイスキーを用意されていかれるとよろしいですよ」とガイドから説明があった。 ホテルのフロントで酒屋の在り処を尋ねると、すぐ近くにあるが もう5時を過ぎているから閉店しているとの返事。 カナダの酒屋は国営で、普通の公共機関と営業時間が同じであることを知る。 翌日 氷河での水割りを満喫している他グループの客が羨ましかった。

 第2回目は2年後の春、土浦湖沼会議メンバーでの五大湖ツアー。 このツアーのお土産は トロントでカナダワインを買うことに決めていた。 帰国当日の朝食後、ホテル近くのショッピングモールに行ったが酒屋が見つからない。 仕方なく 化粧品店の女主人(初老)に「酒屋はどこにありますか」と尋ねると、 「朝からアルコールを買う人には教えられません」という手厳しい。 事情を説明すると「分かりました、では教えましょう。この3軒隣なりです」と優しく教えてくれた。

 これから 10年後の平成17年秋、写真同好会のメンバー3名と3週間のカナダ・ドライブに出た。 ケベックのユースホステルに泊まった時の出来事。 意外なことに ここの食堂にバーがあり、若い美貌の女性が 笑顔を見せながらサービスしていた。 夕食の準備できるまで、持ち込んだウイスキーをこっそり持ち出し飲み始めた。 いつの間にか「ビンは下に」の鉄則も無視され ビンはテーブルの上に鎮座していた。

 これを目ざとく見つけた彼女は さっと私達のところに飛んできて、 「ライセンスを取って営業していますから、営業の邪魔をされては困ります」ときつく注意された。 しかし 私達70歳代の観光客に遠慮してか ビンを取り上げるということはなかった。 夕食をテーブルに運んでくれた時、彼女を歓談の輪に誘い入れた。 20台前半と思われる美人の令嬢は「明晩は お稽古事で残念ながらお会いできせん」と言ってカウンターへ戻った。 精算時、アルバイトで働く可憐な女性の穏便な措置に再度お礼を述べ、固辞する手にチップを差し込み部屋に引き揚げた。

 それから 2,3日後 アルゴンキン、湖畔のほとりの静かな宿に1泊した。 アルコールを求めて二人で街へ出かけたが、酒屋を見つけるのに一苦労。 途中で2度、道を尋ねたが どうも酒店が見つからない。 結局スーパーに入り 助けを請うと 道を隔てた向かいの店が酒屋だと教えられた。

 店に入ると、先ほど道を教えてくれた女性がレジにいて、 「あなたたちは 店頭を通り過ぎ どこへ行くのかと思っていましたよ」と大笑い。 日本人感覚で看板目当てに行っては 絶対に見つからない。 帰り際、入口の頭上を見ると 縦20センチ、横80センチ位の小さな板に LCBOと書かれてあった。 このイニシャルの意味は「オンタリオ州アルコール管理委員会」とのこと。 それ以降、別の街に移動したときは この横札を探し、獲物を簡単に入手することが出来た。

 そしてカナダ旅行最終日の夕方月曜日、前日ウイスキーを買い求めたスーパーに出かけると 店は閉まっていた。 入口近くにたむろする労働者風の人に閉店の理由を尋ねると、 「今日は感謝祭で休業ですよ」との返事にびっくり、がっくり。 ノーアルコールでカナダ3週間の旅行に幕では余りにも味気ない。 宿で尋ねてみると 民営の酒屋が3ブロック先にあると教えられ、元気を取り戻し 街に出た。 値段は少し高めだったが、それよりも現物にありつけたことに大満足、 その晩は 旅を振り返りながら楽しく飲むことができた。

アルコール 飲んでカナダを 学ぶ旅
旅先の 地酒の味は ワンダフル

備考:お隣のアメリカには1920から1933までアメリカ連邦禁酒法がしかれていた。 しかし 批准していた州は全部でなく 48のうち36州。 また ミシシッピ州は1966、カンザス州では1987までバーでのアルコール提供は禁止していた。

最後に、地植えのチュウリップが早々と25日に一輪だけ開花。 寒さのせいか 草たけ10センチと小振り。 でも「必ず希望の春は来る。悲観、焦燥感に取りつかれている沢山の被災者、そして日本人に頑張れ」 のエールを送っているようです。


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