常陸大田市の古墳  (中島 節) -2011.12. 1-


 和気あいあいの楽しかった3/6クラス会、どうも有難うございました。幹事の尽力に改めてお礼申し上げます。
さて 今回も小難しい話になりますが、歴史に興味のある方は ちょっと目を通してして頂ければ有難い。

 11月20日、土浦市市立博物館主催・館長案内の「史跡めぐり 常陸太田市の古墳」に参加してきました。 常陸太田市の史跡と言えば西山荘となるが、貴重な古墳の存在は一般にあまり知られていないし、 また「茨城県万能地図」茨城新聞社にも載っていません。 常陸の国は、その昔、大和朝廷に服従しない蝦夷(えみし)防衛の最前線で、政治的に非常に重要な位置にありました。 日本の三大官幣大社の一つが鹿島大神宮として鹿島に造営されたのはそのため。 県内のあちこちに古墳が存在しているのもこのような理由からのようです。

 日本考古学会会長の土浦博物館館長は、大田市の前方後円墳・梵天山古墳(県指定史跡)は形状、 規模や現存状態から見て 充分に国指定史跡の価値ありと認めています。 この古墳は太田駅から南西約4キロの島町にあり、大昔から信仰の塚、禁足地として保存されてきた。 現在は宝金剛院所有地となり戦後は杉(古墳には形状維持のため落葉樹が植えられる)が植林され杉林の塚になっているが、 未発掘墳らしくほぼ原型を留めている点でも日本では極めて珍しい古墳。

 全長約160m、後円部直径約100m、同高約14mと規模も大きい。 埴輪(片)はないが、墳丘表面から土師器片は採集されている。 築造時期は茨城県史に5世紀中葉と載っているが、古墳の形状から3世紀後半から4世紀中葉と思われると館長は力説した。 この周辺には古墳が数十箇存在しているが、資料はなくこの古墳は誰のものか不明だが、 久自(久慈)国造(現在なら県知事級?)、時の権力者の墓と推測されている。

 順が逆になりましたが、この前に約100m隣の高山塚稿古墳(県指定史跡)を見学した。 全長130mと やや小ぶりでしたが、わが国稀有の形をした円墳に特色があるとのこと。 11年前の測量時に164個の円筒形埴輪片が採集されているが、これらは800度で焼いた酸化炎焼成の陶器で、 今までの炭焼きでない新技術が導入されたことになる。 築造は梵天山より新しく5世紀前半と推定される。

 最後に 梵天山から西へ約700m離れたところの星神社古墳を尋ねた (墳頂には星神社があり、3・11の大地震で崩壊、再建を開始)。 全長約100m、後円部径約54mと見学した三古墳の中で一番小さかったが 特殊な土製の台形器や壺片が採集されている。 前方部と後円部の構造から、近年再調査された奈良県桜井市の茶臼山古墳に似ているという。 4世紀初頭の築造。 とにかくどの古墳も盗掘された形跡はほとんどなく、また公園化されることもなく 原姿を留めている点が素晴らしいと館長は称賛していた。

 後日、茨城県つくば美術館で茨城県出身の榎戸庄衛(1908〜1994)展を見たとき、 常陸太田市の土器や埴輪が この画家の作風に大きな影響を与えたことを知り驚きました。 敗戦後 太田市に数年間、生活したとき体験した強烈な印象から生まれ抽象画、 風刺画が全出展数60点の三分の一を占めていたことを書き添え終わりにします。 (2011-12- 1)


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