あの日あの時  (中島 節) -2012. 3. 1-


 平成23年3月11日午後2時46分。あの悪夢のような地震、津波が東北・関東を襲ってから間もなく1年が経ちます。 日本観測史上最大マグニチュード9を記録した巨大地震、多くの人々、建造物、町・村まで呑み込んでいった想定外の大津波、 原発の水素爆発を思い出すだけでもぞっとする。

 冷静になった今、犠牲者の冥福を祈りながら、 あの日あの時の様子を回想し簡潔に記録してみるのも意味あることと考え一筆撮ることにしました。

 あの日あの時、午後のお茶にとLPガスで湯を沸していた。 あの長い強震に、冷蔵庫が倒れては大変と咄嗟に両手で押さえた。一体いつになったらこの大揺れが止まるのだ。 築後40年余の我が家は耐えられるのか! 私たちの命は?

 備え付けの食器棚からは器が飛び出してくる。 器の割れる音。転倒防止をしていた食器棚の上からはラジオが落下。 数メートル先の廊下にいた妻は テーブル上の花鉢が倒れてしまうと、悲鳴をあげている。

 たいした被害もなく激震がやっとおさまったところで、直ぐTVにスイッチを入れたが停電。 書斎棚からポータブルラジオを持ち出し、ただならぬ地震であることを知りびっくり。 水道の蛇口をひねると給水の圧力は下がり初めていた。 取り敢えずバケツ、飲料水用ビニ・ペール(カルキ抜きのため常時使用)に貯水。

 ラジオに耳を傾けながら、さっさと 壊れたガラス、瀬戸物などの器を袋に詰める。 掃除幾は使用出来ないから、微細な破片は古はがきを使い入念に処理。 (破損物を手早に片付けたので、何がどのように壊れたのか 妻は分からなかったと妻は後日ぼやく始末)

 お勝手兼食堂を一通り片付けてから、書斎に入ると幸いなことに 本はほとんど落下していなかった。 作り付け書棚の為か? また寝室のブラウン管テレビは1.2メートルの高さから絨毯敷き床に落下していたが無事。 その後 余震は何度かあったが、心に少し余裕も出来最初ほどの恐怖を感じることはなくなった。

 過日、土浦市民会館で柳田邦男氏の講演「こころの時代」を感銘深く拝聴した。 その中で「書くことは生きることです」の一言が印象的でした。 この忘れがたき3.11一周年を機に数行でも結構ですから、皆さんも「あの日あの時」何をしていたかを書いてみませんか。

 では東日本大震災復興2年目に向け元気に生きましょう。 (2012- 3- 1)


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