お酒を飲まないことぐらいは、いまの私にとって何でもない。 つまり、ストレスにならない。 ところが、このお腹のそれぞれの症状は、「転移」の危険がある癌細胞の高い数値(手術時)と重なって、臆病な私に恐怖を覚えさせる。 もちろん、いつも暗い顔をしている訳ではない。 面白いテレビをみれば夢中になるし、笑うし、泣かせるドラマには弱く、 家の前を通って浜へ行く幼稚園児たちのにぎやかさには癒され、バスや電車で乗り合わせる幼い子供たちは見るだけで心がなごむ。
とうとう、このままいくと胃がもたないのでは、 例えば穴が開くとか食べ物を受け付けなくなるのではなかろうかとの思いが強くなった。 考え出すと、おさまらない。抗癌剤を飲み続けるより、胃の負担を軽くして「正常」にするほうが先なのではないかー。 そして ついに3月10日、あと3日分の抗癌剤を残して、自分勝手に抗癌剤の服用を中止した。 実は、今回は祝日がはさまる関係で、医師の診察を受ける日までに2週間の余裕がある。 この間に、胃を治そう。まったく、自分だけの理屈なのだがー。
3月11日、東日本大震災1周期。パソコンでの在宅作業(新聞社のアルバイト)を午後早く打切り、街へ出た。 なんだか 心身ともに解放感に満たされていく。 大震災の被害者には相すまないような気持ちになる。 そして、記述するのも恥ずかしいが、行きつけの居酒屋に寄って泥酔してしまった。 ところが こののち、胃は不思議に違和感が取れて行き、便も毎回のように出る。苦しみながらではあるが。
以上の経緯から、とても穏やか気持ちには離れない状態で、もっと言えば恐いような気持ちで、医師の診察日を迎える。 3月27日、癌の数値が跳ね上がっていたらどうしよう、「転移」もあるだろうか。前夜はなかなか寝付けなかった。
「やぁー、どうも」。市立病院の医師が私にちらっと目を向ける。覚悟して話しだした。 「抗癌剤を3日残して、飲みきれませんでした。胃の状態が悪くなってきたからですが、どう説明したらよいか分かりません。 それに、おへそのまわりがぽこっと」。医師は直前の採決結果について、まず話す。 「心配していたんですが、癌の数値、栄養状態、その他も正常です」。 そして、いつものように寝台であおむけになり、お腹を出す。触診しながら、医師は同じことを2度いう。 「ああ、これですね」。そうですとも何とも言えない私。「これは脱腸です」。ええっ! 私は面食らった。
まったく「想定外」だった訳ではない。排便するとき押さえると、すごい力が加わることは分かっていたから。 「筋肉の間から、腸が顔出してきたんですよ。手術で簡単にとめられるし、いかようにもできますが、様子をみましょう。 なるべく デバラないようにしてみてください」。 「抗癌剤は3週に短くしましょう。胃酸をとめたり、胃の粘膜を保護する薬も出しておきます」−。 医師と言うのは素晴らしい、私が単純なのかもしれないが、私の思っていたことの全てが理解されたことになる。 が、「脱腸」とは驚きだ。(了)
手術後の経過を詳しく発表して頂き有難う。
拭いきれない再発への懸念、体の不調との格闘振りが、手に取るように伝わってきます。
とにかく薬に副作用のない薬はないそうですから、不調を感じたら、直ぐ、遠慮せず診察を受けて下さい。
それに腹部の手術をするとヘルニアになり易いことは、2004年1月に私が経験談を載せておきました。
とにかく短気は損気、ゆっくり散歩、読書、カラオケ、作句でもしながら過ごして下さい。