短い日記を毎日書いている。これは2006年11月、左肩下にペースメーカーを埋め込んだのち、 朝晩簡易血圧計で血圧、脈拍を測定、体温計で体温をはかるようになって以来、続けているわたくし の健康記録とともにその日の出来事を書くようになったものである。それから6年余、古希を通り越 した年齢を思うと、長く重い時間だったのだがもう取り返せない。
昨秋以来、日記は手術を受けたS字結腸癌の記録が主である。先を急ごう。6月9日の日付が緑色 の丸で囲んである。ついに抗がん剤が飲めなくなった。自己判断ではあるが、下痢の症状が出て来た からだ。胃の周辺のムカムカが増えてきた。歯茎が弱って、ハブラシを当てるとチクチク痛い。医師 に「下痢が出てきたら教えてください」とも言われていた」―ので、このままでは胃袋や腸がダメに なってしまうのではとの思いが強くなったのである。
従って、「プラス5」という最悪の癌ではあるが、転移を恐れるより抗癌剤を一時止める方を選択 した。あと5日分で、3週間の服用日程が終わるところだった。カミさんが「大丈夫なの」とでも言 うように、訝しげにわたくしの説明を聞く。中断によって、イヤ薬を遠避けたことによって、気分は 楽になった。8時間ごとに粒剤1錠、粉剤2錠を飲む「呪縛」から逃れることができた。大げさなよ うだが、手術から半年過ぎてもなお続けなければならない抗癌剤の服用は、「プラス5」であるため で、ふつうは終了となっている時期なのだ。
しかし、さすがに酒は控えた。間にペースメーカーの診断がはさまっていたこともある。そちらは まだ1年か1年半は電池を交換しなくても大丈夫だそうだ。だが、4日ほどでお酒が飲みたくなる。 日記によれば、6月13日、清水駅近くの居酒屋でひとり、焼酎(イモ)のお湯割りを2杯を飲んだ。 うまい、お腹に異常も感じない。それからは1日おきに2,3杯。じつにいやしいものだ。カミさん に赤い顔がばれないようにしながら続けた。見知らぬ人とワイワイやった。東京で定期的にある「大 和文化会(歴史講座、会員)」にも顔を出した。タレント風に言うと、「生きている感じがした」。
それも医師のそっけないひとことで終わる。6月19日、市立病院の診断日。「これこれで」とい うわたくしに、「1日に何回もトイレに駆け込むような状態なのですか」と医師。そうではない、下 痢の状態そのものも2,3日で終わっている。口ごもる様子に、医師の目が光ったように見えた。 「そのぐらいのダメージなら大したことない。服用を続けましょう。その後の判断はCTを撮ってみ てから」。医師は残った5日分の抗癌剤を引いて、合計3週間分の抗癌剤を処方し、診断は終了。
帰ってカミさんに話すと大笑いされた。「本当はお酒がのみたかったのでしょう」と。半分当たって いる。しかし、半分である。自己判断はそれでいいとわたくしは思っている。生きて行くのは誰でもな い、自分である。「自己完結」を貫こう。また、抗癌剤の苦痛が続くものの、知恵と工夫を忘れずに。 (6月28日)