また現在、彼は鎌倉に近い藤沢市に住み、年賀状にも機会があったら是非会いたいねとの添え書きがあり、 このまたとない機会を逃してはならないと思った。 そして彼の旧制中学時代の親友K氏が 我が家の近くに住んでいるのを知り、最近になり情報交換をするようにもなってきた。 ということで、7月3日の12時 鎌倉駅で会いたい旨の電話を入れると、二つ返事の快諾があった。 20年ぶりの再会がどうなるか楽しみとなる。
当日は、前日 雨で取り止めにした名月院、円覚寺を巡り、北鎌倉駅かから鎌倉駅へ出た。
約束時間の15分前に駅頭に立ったが、待ち人の姿は見当たらない。
駅頭は常時 数名の客が行き来しているだけだった。妻は人待ち顔で こちらをちらちら見ている人が益男さんではないかと云う。
その男は私達が改札口を出てきたときから、十数メートル先で人待ちをしていた。
確かにスポーツ帽、黒メガネをかけ、黒シャツ姿の男は時々私達に視線を向ける。
でも20年前のイメージと全く違う。
また 私達はリュックを背負ったハイキング姿(カメラはリュックの中に収納)で彼の到来遅しと待っていた。
5,10分と時間はいたずらに過ぎ、お互いに焦っている表情はありありであった。 丁度12時になると、その男は私の方へ動きだし、私の目前に来た。その時、思わず「益男さん?」と言葉をかけた。 「やっぱりそうだったのか。ヤー、本当に久し振りだね」と益男さんも満面に笑みを浮かべ、ほっとした様子であった。 妻は駅ビルの店内で目の保養をしていたので、至急店内に妻を探し、 「益男さんがいましたよ。あんたの勘が正しかった」と自分の非を認めながら、店外で待つ益男さんに引き合わせた。
丁度昼時、益男さんが食事はどうしますの問いかけに、妻は鎌倉だから美味しい魚を食べたいと答えた。
では 広場の向こう側にあるレストランが一番ですと直ぐに決まる。
彼は何かにつけよく利用する馴染みの店「鯉之助(りのすけ)」とのことであった。
先ずはビールで乾杯、次々に卓上に並ぶ刺身、魚、など美味しいを連発しながら、昔話や近況に花を咲かせた。
最後に簡単に触れておきますが、彼は40余年にわたり 月曜夜のテレビ界を賑わしたTBS「水戸黄門」の脚本家です。 脚本家に葉村彰子の名前が字幕に出ることが多かったが、彼女は言うなればこの番組のプロデューサーで、 脚本は櫻井康裕が書いていたとのこと。 この番組の脚本家は4名が中心で、彼はその脚本のほとんど全部に目を通していたそうです。 よそでは耳に出来ない脚本書きの苦労談なども聞かせて貰い、2時間は楽しく また懐かしく、あっという間に過ぎ去った。 (了)