闘病記 その後  (神谷 弘樹) -2012.12.31-


当方の「肺ガン」治療も主治医の先生を初めとして 内科の先生の方々の誠意ある処置、対応により 何とか 12の年を越せそうです。 イヤハヤ

  2年前の5月だったか ゴルフラウンド後に右手首と指に「ムクミ、痛み」が発症し 中々治まらず、 結果は「肺ガン」とのことで 5か月後の10/25に切除手術を受け 約10_の患部を切除した次第でした。 1件落着 としていた去年の8月末に、今度は左肺にまたしてもの約10_のガンがみつかり 再度の切除手術でした。 手術の方は、病院側の不都合や当方の発熱やらのアクシデント発生のため、 遅れに遅れて今年の3/7の施行でした。

この手術の前の主治医の家族への説明では、リウマチから発症している「間質性肺炎」の影響で 手術の危険率が10〜20%と高い値となる由。 そのため、手術中の右肺には 絶えず一定の酸素量を供給しなければならず、手術終了まで 技師が立ち会うとのこと。

お陰さまで、手術の方はチームワーク良く ほぼ予定通りに行われて終了した模様でした。
ただ、残念ながら「ガンセンター」に送った切除サンプルの検査結果から、ガンの種類が「小細胞肺ガン」と診断され、 以後の治療方法が化学治療法である「抗がん剤」治療となった次第です。

その治療法の経緯は次の通りです。

・3/7  : 左肺に発症した「ガン」の切除手術。
  「手術の結果」
 切除手術はOKでしたが、ガンの種類が「小細胞肺ガン」というもので「肺ガン」の中でもトップレベルの難しい「ガン」とのこと。
 「小細胞肺ガン」 → 進行の速いガン、無数のガンの赤ちゃんが血管内に入り込んでいる由。
・4/末〜 : 化学治療である「抗がん剤」治療開始。
・9/上〜 : ガンが肋骨、骨盤の骨髄に転移。
左肺に又の「ガン」が1か所発症。(→16、17_ X 20_)
「抗がん剤」変更 (→タキソール + パラプラキン)
・10/中 : 左肺に発症した 「16、17_ X 20_」 のガンは、 9/上に変更した抗がん剤(タキソール + パラプラキン)1発の投与で消滅した様子。
・12/11: 変更後の抗がん剤 4回目の投与完了。
・12/25: 正月のため一旦退院。(1/8 再入院予定)

今年一年は大変意義のあるものでした。
生 と 死 の狭間を彷徨ったも事実でした。
イヤハヤ、現代の医学でも難病用の薬は無いようです。

当方の病気には何ともハヤでして、そのプロセスも リウマチ → 間質性肺炎 → 肺ガン → 死に至る
とのことですから、ラインにソックリ乗っている訳でどうにもこうにも でございます。
それも、
・間質性肺炎は10人/10万人の難病で薬が無い。
・肺ガン(小細胞肺ガン)には適当なる「抗がん剤」が無い。

こういう按配で「ガン」と闘う「医師」と「患者」です。
患者はどうすれば生き残れるものでしょうか? イヤハヤ ブブ〜

そんな事情から、元気なうち、歩けるうちに「観たいところ」「行って観たいところ」へ見納め?に行く予定です。 イヤハヤ

・国 内 : 「高野山」「お伊勢さん」「飛騨高山」、秋田「玉川温泉」(岩盤浴)
・国 外 : 「グランドキャニオン」(地球の裂け目を見学)

ではまたの「お便り」をお待ち下さい。(了)


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