喪中につき・・・  (中島 節) -2013. 1.12-


 毎年11月末頃から、「喪中につき年始年末の・・・」のはがきが舞い込み始める。 誠に悲しい、寂しいお知らせではあるが、どうもぴんと来ないものを感じている。 そんな時、私を少なからず納得させる年賀状が今年届いた。 昨年2月初旬に叔父と実母、12月初旬に義母、その他 知人を亡くした彼は賀状の中で概略次のように述べている。

 ボクは死者を忌み嫌うとか、けがれを清めるとか、喪中ということが嫌いだ。 好きな寺の住職に 「大切な人を失ったことが、なぜ忌み嫌うことなのですか? なぜ清めなければならないのですか?」 と問われて以来、清めとか喪中とかにこだわらないことにしてきた。 人にはそれぞれの考えがあってよいが、ボクに関して言えば、悲中ではあるが 喪中ではないと考えている。 仏教にもキリスト教にも神道にも、喪中という考え方はない。 だから たくさんの命と別れた今年も、いつもと違わぬ生活をしていると。

 実は私も、兄、義姉などを亡くしても、例年通り賀状を書き続けていた。 しかし 賑やかな会などには出席しないようにしてきた。喪中に相応しい生活とは一体何なのか私は知らない。 身近には、近親者の葬式後 間もなく、普段と変わりなく酒や、カラオケの会に顔を出し楽しそうに飲んだり、 歌ったりしている方々が結構いるようだ。これで喪中につき・・・とはどうも不似合いではありませんか。

 何とも違和感、不快感すら覚えるものが 昨年の12月26日に届いた。 誰が、どうして、何時 亡くなったには一切触れず(文案を検討する時間的余裕がなかったのかも知らないが)、 「・・・年始年末のご挨拶ををご遠慮申し上げます。・・・ご厚誼のほど・・・」と紋切り型の挨拶状であった。 「賀状は25日まで」を忠実に守り、すでに投函してあとであった。

 賀状辞退状の中には心にジーンと来るのもあった。 その二例を挙げてさせて頂きます。
「大事にしていた庭のたくさんのカボスの収穫も叶わないままに、・・・」で書き始め、辞退の説明が書き添えられていました。 このような暖かい心遣いには遺族の悲しみがひしひしと伝わり、好感の持てる辞退状になるのではないでしょうか。

 また 年が明けてから「喪中につき、年頭のご挨拶を失礼させていただきました。昨年の八月 長男が・・・亡くなりました。・・・」 のはがきが届きました。悲痛がじかに伝わってくる実に印象的なものでした。 (2013. 1.12)


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