お待たせしました。 富士山がユネスコの世界文化遺産に登録され(6月22日)、小生の家からつい目と鼻の先の『三保の松原』が、 その「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産のひとつとして登録されたことは、 テレビや新聞などを通じてどなたもご存じでしょう。 小生のナマの感想をお伝えしたいと思いつつ時間がたってしまいましたが、まずは統計から。
新聞によると、7月に三保の松原を訪れた人は1日平均3804人。 これは昨夏の2倍。途中、富士山が見える清水港―伊豆・土肥(とい)を結ぶ駿河湾フェリーの7月中の乗客は1万9368人。 昨夏の49・6%増。静岡県内3つの登山道からの同月の富士登山者数は6万5360人。
三保の松原へ出るには、車で直行するか松並木の間の木道「神の道」を歩くかである。 「神の道」は東側の御穂神社と三保の松原を結ぶ参道のように造られていて、わが家の目の前を通る。 長さ約500メートル。松並木の両側は一方通行の車道で、わが家側が 三保の松原への往路、反対側が復路。 いま、朝からひっきりなしに往路を車が走るシャ―という音が絶えない。
お年寄りや女性のグループ、家族連れが、これもほとんど絶え間なく、「神の道」を行く。 車は大型観光バスからマイカー、オートバイのグループなど様々だ。 隣県はもとより、大阪、京都や九州、東北、北海道のナンバーまで幅広い。
「1日平均3804人」の勢いはすごいものだ。 三保の松原入口の駐車場のほかに、近くに駐車場が何カ所か増設されたし、 市役所やボランティアの交通整理の人もほとんど毎日、“出動”している。 そうでないと、一方通行の往路が詰まってしまい、 一般の生活や救急車の活動に支障が出る。いまのところ、不満を言う人もなく、もちろんトラブルも起きていない。
少し、背景をさぐる。三保の松原から富士山は、直線距離にして約45キロ。 冬には松原越しに雪をいただいた美しい富士山が見える。まさに絶景なのだ。 これが気に入って、三保に居を構えた元芸大学長の足跡もある。しかし、夏はかすみがかかり、そうはいかない。 おぼろげに、富士山の輪郭が意外に近く見えるときはある。
三保の松原にまつわる「羽衣」伝説は風土記に登場、謡曲「羽衣」が誕生した。漁夫が羽衣をひろう。 羽衣を取られた天女は漁夫の妻に。やがて羽衣をかえしてもらった天女は天へのぼる―。 研究家で知られる宿の女将は、季刊「清水」でよく このいわれを説く。 「三保の松原という場所が神仙境への往来を果たせる聖空間・タイムトンネルであることを前提にしている」と。 万葉集にも「三保の浦」がうたわれ、江戸時代には歌川広重の浮世絵にも「駿河 三保のまつ原」が描かれている。
三保半島は、約1万年かけてできたとされる。 静岡市西方を流れる安倍川の土砂が隆起した日本平(にほんだいら)の海岸部を削り、 それらの堆積が三保で砂嘴(さし)となったと資料に。 地図で見れば一目瞭然、浮世絵師 描くところの「波」のように、あるいは鶏の「羽」のような形をしている土地だ。
付根からの長さわずか4キロ余、幅約1キロ。うち海の部分に若干の埋立地があり、企業がはりついている。 そのそと海の部分を覆っている大部分が三保の松原。 江戸時代は陸地の大半は黒松に覆われ、住民は税として米のかわりに松(材)を納めていたのだと古老。 神秘的サシの誕生、駿河湾に映える松林や富士山―。こんな環境ゆえに、暮らしに根ざした民話や伝説が生まれてきたのだろう。
走り書きのようになったが、1991年の記録で三保の松原の松の本数は5万4000本。 しかし、大人になった人たちが「子どものころ野球を楽しんだ」と回想する三保の松原の砂浜は、 年々浸食で狭まり、いまは野球どころではない。 巨大なテトラポットが護岸を守っているが、それも3,4年すると波間に隠れ、新しいテトラポットが必要になる。
小生が「三保の暇人」となった2006年春、三保の松原の松はほとんど切れ目なく、東の端まで続いていた。 ところが、枯死や台風被害で倒れる松が続出し、松原の一部はいまは完全に消えている。 ここの護岸堤は近所の人たちの朝晩の散歩道であり、最近の観光客の散歩道でもある。 だが、頭上を覆う松の枝ぶりは半ばで途切れ、青空がのぞくのが現状なのだ。 松原にとっては、一番ひどいときに世界文化遺産に選ばれることとなった。 皮肉なようだが、これは松林を何とかしろという「警鐘」ととらえたい。
最初に観光客が増えた統計をご披露した。小生の住まいの近所には少なくとも4軒のホテル、旅館があった。 しかし、三保の松原が世界文化遺産となる前に、1軒が廃業した。 松林近くの1軒は大繁盛、温泉付きホテルも繁盛しているが、 大衆ホテルの1軒は駐車場が満杯になることもなく、あまり変わった様子がない。
最後まで残っていた半島中央部のパチンコ屋も店を閉めた。 更地にして、売り出す工場や店舗も目立つ。一方で、新しい道路や住宅地もできつつある。 もし こうした土地区画整理事業が「光」なら、工場や店舗の撤退は「陰」の部分だろうか。先のことはわからない。 何より、小生も含め、居酒屋に出入りする人たちは老人ばかり。
そんな中で 世界文化遺産をどう受け止めたらよいのか、観光だけが突出するようではいずれ取消しになる可能性だってある。 アイディアマンの知合いの1人は市の同報無線で朝、昼、晩、三保の松原にちなんだ曲を流す「秘策」をあたためている。 (2013年 8月・宮城倉次郎)