その先輩が、「宮城のがん日記」を見たらしい。そして、「大丈夫なのかい」と電話してきた。うれしかった。 Yさんと また直接お話しできたこと(以前兄を忍んでお会いしたことがあり、年賀状はいただいている)、 同窓会メールの読者を知ったことの二重の喜びで。例によって、「くーちゃん」が電話の第一声だった。
突然のメールは、首都圏の地方紙で社会部長をしたあと、一線に出て健筆をふるったKさん。 小生と取材エリアが重なっていて(新聞記者の現役最後のころ)、よく張りあった。ケンカもしたが酒ものんだ。 いまも忘れられない敏腕記者のひとりである。 富士山とともに「世界文化遺産」に登録された三保の松原について、地元に住む小生に「どんな具合」と聞いてきた。 ややあって返事を書き、「元気でいて何より」と温かい返信をいただいた。
今月21日(土曜日)、牛乳屋さんと元寿司屋さんとの3人で忘年会をやった。 「牛乳屋さん」は、通称。だれも本名で呼ぶ人はいない。 やや目が不自由で、カラオケを歌う時には小生が隣で歌詞を読む。これがなかなかむずかしい。 ある程度 先の行まで読んであげないと、歌う側は感情をこめられない。歌詞とは、そういうものだ。 「もっと うまく通訳してやればよかった」というのが、小生の今の反省だ。
元寿司屋さんは、九州男児。しかし、まことに柔和な人。 学校を出て清水港に張りつく企業に就職、その後 脱サラ、寿司屋、再びサラリーマンに。 そして、定年まで勤めあげた。
いま3人が顔を合わせるのは、三保地区にある喫茶店だ。 と言ってもコーヒーが目当てではない(小生以外の2人にとっては)。 午後4時、小銭を持った2人は、決まってこの喫茶店で生ビールをのみ、一杯だけで帰って行く。 喫茶店が休みの日以外は、「定期便」と言ってもいい通いぶりだ。二人は古くから大の仲良し。 小生とも その店で話すようになった。
こんなこともあった。元寿司屋さんが転勤になり、愛知県刈谷市へ居を移すことになった。 そこで急きょ、ささやかな送別会を開き、近所の赤ちょうちん(店)でカラオケをやった。 牛乳屋さんが一番、嬉しそうな顔をしていた。その時は歌詞の「通訳」がうまくいったのかもしれない。 その赤ちょうちんだが、ママの不審死でいまは足が遠のいている。
再び三保へ戻り、老後を過ごす元寿司屋さん。 この3人で、JR清水駅に近い小生のいきつけの居酒屋で「カラオケ忘年会」をやろうということになった。 安くあげてくれるよう、小生がかけあった。当日は牛乳屋さんの奥さんが運転する軽自動車で居酒屋へ。 迎えは小生のカミさんに頼んだ。
一曲100円のカラオケをサービス曲も含めて21曲歌い、 焼酎750ミリリットル瓶を空らにして、忘年会は終わった。 このメンバーによる忘年会は初めてだった。年も年(年齢)、来年はどうなるかわからない。 が、最後はそろって行きつけの喫茶店に戻って飲みなおしたりしたあたり、 年寄りは、裕福ではないが元気だ。(2013年12月26日、宮城倉次郎)