身辺雑記  (宮城 倉次郎) -2014.05.22-


 

 沼田さんとともにわれわれ同窓会(日立一高昭和35年卒、中島節先生担任クラス)を引っ張ってきた栗田直久さんが亡くなった。 追悼の意をあらわすとともに思うのは、僭越かもしれないが、この会を長く続けることが栗田さんの供養につながるのではないかと いうことだ。

 栗田さんにとって最後となった前回、「ここでひと区切りつけようか」と彼は終了をにおわせた(ように小生は思う)。しかし、 その後も電話で話したが、中島先生がお年をめしてきたこともあり、存続を危ぶんでいたことは確かだ。

 その中島先生だが、5月の連休が始まるころ、『三保の松原』に住む小生のもとへ、『夫婦で三保の世界遺産を見にゆきたし』と 連絡があり、当方は大歓迎で準備に入った。事前にパンフレットを送るやら地の魚を食わせるすし店を予約するやら、せっかくなので 秦野に住む堀江君にも参加を呼び掛けるやら。もちろん小生の独断と偏見で予定を進め、先生にも逐一連絡、喜んでいただいたとこちらは 思っている。電車でJR清水駅に到着する先生ご夫妻を、小生と堀江君のマイカーが出迎え、名所をご案内の手はずだった。

 ところが結論をいうと、ドタキャン。沼津の宿泊先は先生がすでに予約済みだったとかで、沼津までは来られて富士山の雄姿も 撮影できた。あとで送っていただいたパソコン上の富士山は、確かに美しかった。実際は前日、「(長い旅は)医者から止められ、 そちらには行けない」との電話。驚いた小生は、おおあわてで堀江君やすし店へ中止を伝える。愛車に先生を乗せるべく、三保へ やって来るはずだった『車屋『の堀江君も拍子抜けしただろうと思う。もっとも、少し騒ぎすぎたと小生は反省。

 ご高齢のことであり、こんなこともあるのだろう。が、正直に伝えるが小生もカミさんもがっかりガックリ。先生撮影の富士山を 複雑な思いでながめたものだ。その先生からは、「スマン、スマン」のおわびメール。  この件、ありのままを書くのは躊躇した。しかし、「先生もふつうのひとだった」と思えて、これは実は小生にとって思いがけない 収穫だったことを書きたかったのだ。高校生のときに行いが悪かったせいもあって、先生は父親以上に頭のあがらない存在だった。 厳格だったが小生の行い(詳しくは書かない)をなるべく理解しようとつとめてくれた父、先生も全てのクラスメイトをわかろうとし、 懸命に生徒と向かい合ってくれた。冷や汗流れる高校時代の小生。それがあってか、先生をかなり遠くから眺めていたように思う。 いま、ドタキャンの先生を、失笑しながら(大変失礼ながら)、とても身近に感じたのだ。ざっくばらんに言って、先生もトシをとっ たのだ。

 話は変わるが、先生がこの会の全員にくれた勲章記念のボールペンがある。小生は、これで毎日、血圧・体温・短い出来事を記して きた。短編日記だ。その替え芯(パイロット)を先日、近くの書店で買ってきた。3本目である。高齢になって、貴重な何年かが過ぎ たのだ。

 栗田さんと話したことを思い出す。「クラス会といえど、酔っていようと、節度というものがないとナ―」。近頃の政治じゃないが、 暴言をはいちゃいけない。まっさきに反省するのは小生だが、栗田さんをしのぶためにも、この会が長く続くよう祈りたい。 (2014・5・22、宮城)  


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