読者一人減る (中島 節) -2014.11. 8-この「3/6同窓会」のプリントは2ヶ月に一度くらい、次兄に郵送し読んで貰っていました。 私の近況報告を兼ねたプリントを いつも丹念に読み、内容を質問したり、感想を聞かせてくれました。この兄がで先月末に亡くなり、一日に葬式を済ませました。五人 兄弟も四人亡くなり、兄弟は末っ子の私だけになってしまい、ちょっぴり寂しくなりました。 兄のガンは平成15年、天皇と同じ時期に前立腺ガンが発見され、局部照射療法を継続し一応全快。しかし秋頃から疲労を訴えるように なり、10月の入院時に全身ガンと診断されました。 ついでに兄の思い出を二、三述べてみましょう。日立一高の定時制(昭29年)を担任しているとき、教室で兄に誘われ生まれて初め てスキーをすることになったと話す。当時、スキーをする人はごく限られた人だけでした。すると授業後、H君がスキーと靴を貸してくれ ると申し出てくれました。彼の厚意を受け、混雑する夜汽車に揺られ湯沢に出かけることが出来ました。 この時アメリカ軍人(陸軍中佐)と会話する機会があり、これが縁で彼の家族が住む神奈川県のキャンプ淵野辺(在日米軍の接収地)を 訪れ一泊し、生まれて初めてアメリカ人家庭を見聞し、bathroomの意味(風呂、トイレ、洗面所が同じ部屋にある)を実感することが出 来た。私が入浴中に子供がトイレを使用するのが丸見えで、何となく落ち着かない気分だった。 夕食はキャンプ内のレストランで。この時、就学前の男女二人の子をベビーシッターに預け、母親は車内からblow the children a kiss (投げキス)すると、子供達はにっこり笑顔で見送ってくれた。目前で見た初めての投げキス! また彼の執務室を訪れたとき、見聞した ことのない珍しい電気スタンドがあったので、尋ねてみると fluorescent lightと教えてくれた。続いて単語の綴りを聞いてみたが、彼に も未だ馴染みの薄い物らしく分からないと正直に答えてくれました。お陰様で実のある訪問になった。 またこの1年前、栃木県の高校教師に内定し、気晴らしに兄の下宿先に遊びに行っていた。その時、、直ぐ帰宅し茨大のH先生宅へ行くよう にと家から電報があった。そこで明日、県の高校教師の採用試験を受けるよう指示された。これがきっかっけで目出度く日立一高に勤務する ことが出来、皆さんとの長い楽しい交流の機会が幕開けしたという次第です。 最後になりましたが、このようなことで新年のご挨拶は失礼させて頂きます。向寒の折がら、皆さんご自愛のほど。
Topへ戻る |