稲植さんが撮影したスナップ写真T
稲植さんが撮影したスナップ写真U
栗田さんが撮影したスナップ写真
中島先生、沼田さんが撮影したスナップ写真
これが、全員写真
本当は全員が泊りで、6時から始められればすっきりしたクラス会になり負担も少なくなったのですが、 ちなみにここの宴会は12時スタートか、6時スタートだけで、最初は3時を予定していたのですが、 中間がなくて それは出来ないと云うことで、こんな格好になり申し訳けありませんでした。
今回は古稀記念と言うことですが、此の頃の平均寿命は上がっていますので、 70歳は「古来稀なり」では無くなりました。ごく当たり前になりましたね。 ですから、珍しくも何ともない。だから「古稀」と言う云いかたは相応しくない。 私は変えた方がいいと思います。珍しくないから「不珍」とか。
久しぶりに皆さんとお会いしまして、懐かしい顔ぶれを拝見しました。 後は楽しくよろしく過ごして戴くよう お願い致します。有難うございました。
え〜三年間、皆一緒だったのがよかったのか改めて確認したのですが、
半数以上、こられることは喜ばしい限りです。
クラスの組み替えは自由だったので、私たちは三年間 持ち上がりに決めました。
どっちにしたってプラス、マイナスありますが、こういう時は三年間一緒だったのは最高ですね。
よかったのではないかと思います。
それから何年経ちました?
皆さんこうして元気で生き長らえておる事は嬉しい限りです。先生もいつもいつも若くてなによりです。
これからも皆さん頑張って、残りの人生を頑張りましょう。
では、皆さんのご健康と、先生のますますのご活躍を祝しまして〜乾杯!
(中島先生)写真クラブは月に2回、これば勉強になる。 いい先生で、ただ写真を撮るだけでなく批判がいい。 どういう風に撮るか、天気の日、曇りの日、雨の日。 そして作品を見せて、褒められたり、けなされたりします。 それで、皆んな頑張ってる。で結局、何をやっても美を追求することになります。
その他には川柳。たまに朝日新聞茨城版に載ることもあり、この間も載りました。 推敲、推敲の連続です。そういう訳で頭を使っている。 私の同僚、大学の教授で、川柳をやっていた人がボケてきました。 学者でも随分ボケている人がいます。 川柳は週4回やっています。
二つに入っていますから結構多忙です。 家内いわく、「何よ貴方はいっつも辞書ばかり」と。 辞書がなければ川柳は作れません。 だから私は辞書なければ生きて行けません。 英語があり、日本語があり、知らない言葉ってありますね〜。
その他、老人クラブがあるんです。 色んなクラブがありますけど、月に2回、老人対象の足腰を鍛える いきいき健康体操、 その後、音楽。これが午前中。
それから、天川のケアハウス。ケアハススといっても病人ではない。 いろんなクラブがある。10、20とあるんです。毎日やっている。 その初代館長にまつりあげられ、苦労しました。 あっちの町長に頭を下げたり、市会議員に頭を下げたり、 家も借りなければならないので大家さんに頭を下げたり、何も無いんです。
座布団も無い、テーブルも無い、戸棚も無い、お皿も無い、お茶碗も無い、それを皆んなから貰って 苦労しました。いい勉強になりました。月に一度昼食会があります。 そこへ時々行って、たまに私が話をします。話は面白いですからね。昔話など。
それから、毎日、散歩をやっています。 それから休肝日・・・昔は作る予定はなかったのですが、60を過ぎてから・・・ 英語クラブが月曜日にあって、酒を飲んでは出来ないので、月曜日が休肝日。 月曜日の休肝日は続いておりますが、英語クラブは止めました。 そういう訳で、あっちこち手を出して、兎に角、規則正しい生活をしています。 それから、私の家内も皆さんのことは良く覚えています。
(沼田)
今まで考えられないような70歳という年齢に達しましてですね、
びっくりしてますけども、自分ではまだ自覚しないで、ノーテンキな生活を毎日送っています。
ハイ、以上です。
(宮城)話は飛び飛びになっちゃうのですが、S字結腸ガンについてはメールを読んでもらうことにして、 その過程で、戦友が出来ました。大島さんです。
栗田さんのメールで大島さんが同じような胃の手術をした・・・と知って、 私は30代からず〜っと漢方薬のお世話になっていて、 私だけでなく母親の代から調合してもらっている漢方薬で、 先生に言わせると、「植物が根っこから生えてくるように、人間の体も根っこから治さないと・・・」の 思想に基づいて飲み始めたのですが、それが見事に効くもんですから、 大島さんの様子を聞いてお薦めしたところだったのです。 その直後、間もなくして私自身がS字結腸ガンになって、はからずも大島さんと戦友になってしまいました。
それが一つと、それから術後、漢方薬のせいだと私は思っているのですが、 18日目で退院できるという、非常にお医者さんも驚くような回復力を示しまして、 今は64kgまで落ちた体重が67.5kgまで復帰して来ました。 漢方薬の件はいま言ったような話なんですが、何を言おうとしたのかな・・・
川柳です。先生の話で思い出しました。私も斜に構えるというのか、 斜に構えるには、先生は触れられなかったけれども、やっぱり基本がしっかりしてないと、 常識とか、出来事とか、物の考え方とか、それを基本的にしっかりしてないと・・・、 だから、先生の川柳はただものではないとの感じが致します。 それに習った訳ではないんですが、もう少し、自分の健康に深刻になるよりも、 もっと斜めに見つめてみようかと思って、メールに投稿したのも自分を突き放して、 冷ややかに見て書いた一文があの文です。
川柳を始めて、習わなければと思って、川柳の歴史とドキュメンタリタッチの川柳が流行っているんですね、 私は新聞記者でしたから、どうしてもそういう方が合っているだろうと思って、 そういう本と、江戸時代からの本を読み始めて、最初に出来た川柳をこれからご披露して終わりにしたいと思います。
「ガン出来た それが何だと 恩師いう」という句です。 恩師とは中島先生です。先生が激励してくれまして、まさしく それが何だ と励まして頂きました。 これが私の代表の句です。これから精進して、出来れば本にしたいくらいに思っています。 まだまだ、かかりますけど・・・これが私の夢です。
(柴田(克))私は中島先生はじめ、教えを受けてきた先生すべてが立派だったので、好き勝手にやって、 本当に皆に迷惑をかけ、責任もとってきました。だけど、逃げた事は無かったです。
親父から、男だから好きな事をやっていい、その代りやったら責任とれ と言われて、 その通りにして、迷惑をかけ放題で来たけど、親父が死んでもう約30年近くなりますが、 それからは心を入れ替えて、何一つ、世間の人に後指さされるような事も、 親父の顔に泥を塗るような事もしてませんし、皆さんの前でも堂々と言えるように30年間でなりました。
どうも本当に今まで、有難うございました。これからも頑張りますので、宜しくお願いします。
(篠原)3月11日の震災、大企業がいいんですかね。 今は4人で事務所をやっているんですけども、バブルの倍くらいの仕事があります。 4人じゃ間に合わなくて、10人くらいでやってますが若干迷惑をかけています。 人生最後の仕事だと思って頑張っています。
1月4日から今日まで、5日しか休んでいません。
4回はゴルフ、最後の日が今日です。
今日も5時、6時前に終わりましたなら帰って2時間くらい仕事です。
次回、同窓会の時には、同じような挨拶が出来るように頑張りたいと思っています。
最後に一つ、先日、北茨城の日立一高のゴルフがありまして、稲植さんと一緒に回らせて頂きました。 その時の話で、家の話が出まして「篠原君、クラス会のメール見てる?」「いや、暫く見てない」 「ちょっと見てみろ」とのことで、見てみましたら、彼の自宅の家が載っていましたけど、 メール同窓会の方は恐らく確認していると思いますが素晴らしい内容です。
建物、庭、その他の工作物、お金がかかっている・・・そんなもんじゃない。 稲植君の心・・・どっかに奥様の顔があるかと探したのですが出ておりません。 「稲植君!次回は奥様の顔を見させて貰えませんかね」。 もし、インターネット出来る方がいましたなら、もう一度確認して貰いたいと思います。 福島の方で、彼は一言も自慢はしませんけど価値のある内容です。 是非、帰ったら見てやって下さい。
(関口)定年退職して別会社に行っておるんですが、お客さんが財団法人自動車査定協会にもう何十年もいて、 「私がいないと困るんだよな」と言われまして、鼻高しみたいな鼻を長くしています。 印刷物というのは嘘つけないのです。 兎に角、真面目一筋にやらなければならない。信用第一でやっています。
これからも、色々と大変なんですけど、趣味の無いものは働かなければならない・・とのことで、 一生懸命、身体の続く限りやろうかと思っています。今後とも宜しくお願いします。
(矢畑)土曜、日曜になると、競馬がありますので10人くらい集まって、 ああでもない、こうでもない・・・で忙しいです。 たまたま、このジャージ・カッパは4100円です。 会社の金は使っていないので大丈夫です。
私も今までは散歩していたんですが、 今年からは200坪くらい土地があったので、そこを畑にしまして毎日野菜を作っています。 子供たちが言うのですが、野菜を持って行くと「お父さん、持って来なくていい」と。 野菜は何でも作っています。大根、白菜、カリフラワー、小松菜・・・あらゆる物です。
それから、金の問題ではなくて、不健康なものばかりでなく、健康的なこともやって
適当にバランスをとっています。
(13:00 60分経過)
(菊地)先ほど畑の話が出ていましたが、 私も50坪ほどやってますが、それほど高い物はありません。 出来上がった頃は安値になっています。 ただ、自分の怠け病には・・・と。
皆さんも自分の身体を動かさないと駄目になると思います。 怠け者でも午前中だけ頑張っています。
(稲植幹事から一言注釈)
菊地さんはさっきも言いましたように、この会場から一番近いのです。
ここの送迎バスのサービスの条件が10名以上なので、
菊地さんに「すみませんけど、バスを利用して下さい」とお願いしました。
それで、わざわざ電車に乗って来てくれました。(14:00 60分経過)
(栗田)一番 最近から言うと、1つ目は、先ず「古稀」になりました。 これは皆さんと同じですよね。 これの効薬は凄いです。私は病院へ結構通っています。 3割負担が1割。凄いです。 これが、来年の3月で終わり、2割になるらしいが、これが延長するらしい。 民主党は庶民の声により、言った事をすぐに撤回するんですよね。 3割が1割になる事は凄く嬉しい事です。 私みたいに、もう働いていない者にとっては。それが1つ目です。
2つ目は3月の地震です。あの地震はですね、家の瓦の「ぐし」がグチャクチャになりました。 だから、ブルーシートを今もやっています。もう8ケ月、9ケ月近くなるんですが、 家に帰る途端にやっぱり地震を思い出します。 最初はブルーシートも無くて、透明のシートをガムテープで貼っていましたが、 風が吹くと、すぐ吹っ飛びます。もう、透明シートを3回やって、 それからブルーシートにしたが、台風で吹き飛ばされて、またやって、もう5回やっています。 最後、瓦の修理が終わった後、請求書がどうなるか心配です。
瓦の補修は、近くの瓦屋さんに頼んであります。3月から、何でこんなに遅いかと思うに、 瓦屋さんの奥さんが北茨城市の出身だったのです。身内の方を優先するから、そして、 北茨城市の方は大きな家がいっぱいあって、すごく時間がかかるらしい。 私の家は延び延びになっていますが、やっと先週、漆喰の袋、35袋、家に配達がありました。 だけど、今年の12月末か、来年の初めになるらしいです。
3つ目は、一月の末、我らの仲間の石田君が亡くなったのです。石田義一がね。 彼は20日に亡くなったけど、21日になって彼の娘から俺の所に電話が来たんです。 「お父さんが亡くなっちゃった」って。俺もまさか元気でいるのだと思っていたので、 こういう知らせを聞くってことはビクッとしてしまいました。 それで俺はね、彼とは昔、高校に入った時から結構親しくしていたんですよ。
最初、高校に入って二、三ケ月後に、彼と話をして、親しくなって、それで彼は技術があって 真空管の小さいラジオを作ってくれたんです。あのラジオのせいで勉強しなくなったのかな。 でもね、ラジオを作ってくれて暫く聞いていたら、レコードのプレーヤーも自作で作ってくれました。 これをつけろと。そういう技術が彼にはあったのです。 でも、彼も東京の方へ行って、そして、俺は26歳の時に結婚したんですが、 その時の司会を彼に頼んだのです。彼は東京の方にいて、連絡も何も出来ないけど、 式の時、ぽっと来て、無難に結婚式を仕切ってくれました。 だから、彼には恩があるし、この際だから石田君の事を皆さんに知らせたいです。
彼は日立多賀の奥の方に住んでいました。 でも、それは前回の、その前の高萩の奥の横川温泉のクラス会には彼は来ました。 その時、自分の生い立ちを話ましたが、・・・高校時代、自分の親はいるんだけど、 母親の妹の家族にずーっと、居候的に高校生を過ごしていたんですよ。 そこの家もね、娘4人、一番下が男の5人の家だから、彼は大切にされないんですよね。 だけど、俺は彼の叔母さんに何かひどく気に入れられて、 叔母さんから栗田さん、栗田さんと好かれていました。 結構、彼の多賀の家へは遊びに行った思い出があります。
卒業したら行き来しなくなりましたが、私が音楽が好きになっていて、 秋葉原へステレオを買う時は一緒に来てくれて、これがいい、これがいいと仕切ってくれました。 石田というのは、そういう思いやりがある。 俺が結婚した時は、彼はまだ独身。そして、子供が出来た時は喜んでくれて、自分の子供のように、 おもちゃをいっぱい買って、届けてくれました。
その後、彼が結婚したと聞いたんですが、子供がある人だったんです。 それで、俺は負けた〜と思いました。 そして、彼は平塚に住んでいましたが、あそこは良いところですね。 東京から1時間くらいで行けて、間の真ん中くらいに横浜がある。 いい場所だなぁ〜と、これは告別式に行って来て感じました。 1月23日だったけど。それが7時に家をでたら10時半には着くんだよ。 日本は狭くなったなぁ〜。平塚の駅前はビルもいっぱいあり、開けた街でした。
奥さんも良い人で、魅力のある女性でした。 一人子供がある人と一緒になったけど、その後、娘さんと息子さんが出来、三人の子供さんがいたんです。 そして、下の娘さんは親しみを持って接してくれて、告別式の後の精進料理にも出てくれと誘われましたが、 行く時に往復の指定券を用意していたので、辞退して帰って来たので悔いがのこりました。 でも、石田も、俺からしてみれば良い友達だったし、亡くなった彼は活かす男だったです。
以上が俺が今年印象に残った3つの出来事でした。
(神谷) 何で亡くなったの?
あっ、彼はね神谷君の前で言いたくないけど、手遅れの肺ガンでした。 彼にはその兆しはあった。彼は去年の9月に病気が分かって、入退院をしていたらしいけど 最後は自分の家で過ごしたいとの強い要望があって、自宅療養に切り替えたんですが、 1月になって、悪化したので病院に戻って亡くなったらしいです。 9月頃、ものすごく太ったようです。だから、気をつけな、太ったら。 だけどね、10月を過ぎた頃から、見る見るうちに痩せていったそうです。 最後は本当に痩せた姿で、対面したけど、やっぱり考えちゃうねぇ〜俺の同級生だものね。
以上、これが今年の3つの出来事でした。
(稲植幹事から)
さっき、栗田さんの話で、石田さんの告別式に出てもらって、栗田さんが香典を出しているんですね。
これは、前例としない方がいいと思いますが、今回、栗田さんが代表で、6組代表で告別式に出た。
で、1万円の香典を出しているんですね。これは、今回の会費の中から出したいと思います。(拍手承認)
(金沢)私ほど本当に電話してね、誰か知らねえのかな〜、電話しているのはあまりいないと思うんですが、 こうやって、生きながらえています。
私は先生にさっき言ったように、流山市には老人学校があるんです。 大学ですよ。老人学校といってもタダですよ、タダ。 この2年間、通いまして、それから、いろいろ立ち上げたんですよ。 ハイキングクラブだとか、麻雀クラブだとか、いろいろ。
それで、私は週2日、これは紹介されて、買い物センターへ、タバコ代がタダになります、8人乗せまして行っています。 その他、ストレッチ体操は週1、それから麻雀とか結構忙しんですよ。 皆さん、こうして元気に通っているのはいいですね。
それから先ほど矢畑が言いましたね。「俺は儲けているんだ」と冗談じゃない。 必ず損してますよ。儲かった事だけ言う、これは博打の・・・ 私も中山競馬場が近いものですから、もう3年間になるが当たらない。全然当たらない。 ミニロトの方がいいですよ。たった200円だから。
さっき、石田の話が出ましたけど、現役時代は私のグループはロクなものじゃない。 椎名、樫村、この連中の家へはよくお邪魔しました。 あのね、椎名家は皆さん、歌謡曲が好きなんです。 彼の家へ行くとレコードがあって、春日八郎、三橋美智也、お父さんが好きなんですね。 お母さんがいい人で、この間、亡くなられたらしいけど、私は知らなかったです。
樫村家へ行くと、あら馬小屋の脇だ・・・ヒヒヒヒ〜ン。これが樫村家の現実。 皆さんいい人で姉さんがいましたよね。姉さんがいい人でね。そういう訳で人の家によく行きました。 柴田君の家にも行きましたね。また、妹さんが可愛いくて。本人と全然違うんです。え〜と思いましたね。 あと何処へ行ったかな。人の家、方々歩きましたよ。高校時代は。 先生に言えないけど、花貫渓谷で三人で下駄履いてタバコを吸いました。運動選手はタバコはご法度だね。
真面目な事もありましたよ。石田君、栗田君に誘われましてね、女子高生、二高生が4人。 石田君の家の近くの諏訪の山へ行って、合唱などしました。 こういう真面目な事もありましたよ。
今、思い出すのは授業中、生物の樫村先生がゼニゴケは〜。それから船橋先生がトテンは物理的に〜。 後、五十嵐先生が好きだったんですよ。漢文の。そうすると後ろの方から椎名が「早く帰っぺよ〜」と。 冷やかしながらやった授業は楽しかったですね。 そういう訳で皆様もこれからも元気にやって下さい。
(鈴木)前も話したように、20年ほどはサラリーマン、日立の方で生活していて、 親父が亡くなったので、ささやかな旅館を経営し、経営しながら地元に貢献しようと、 神社の神主の資格を取って、45になった時に・・・へ行って、1年ほど働きながら資格を取りました。 皆さんのこれからの幾世は、仏式であろうが、神式であろうが・・・させて頂きます。
石田君も私も多賀中だったのですが、彼の辛口は覚えています。 今現在、いろいろな事をやっていますけど、私も現役で、死ぬまで現役で、 職業というのは、自分が好きな職業に就いた方は永遠に、一生の仕事になると思います。 サラリーマンというのは、40年、60年で終わっちゃうので、 あと20年をどう過ごすか、皆さん悩んでいると思いますが、やっぱり自立という精神で、 私もやっていかなければならないかな〜と思います。
たまたま、脇にいた根本君なんか、現役の息子さんはまだまだ若いので頑張らなればと言っていますが、 私も定年がない仕事に就くという事が、人間にとって最高かなっと思いますので、 これから、自分の身の処し方を考えていきます。
私も一高の時の椎名とか、樫村が大学の時、たまたま私の先輩になっちゃったのです。 それなりに椎名君や樫村君に思い入れがあります。 たまたま来ておりませんけど、同じ柴田なんですけど弘道の方は私の小・中学がずう〜っと一緒でした。 石田なんかとも結構やってました。 3年6組の中では、3人か4人グループの流れがありましたので、シミジミしております。
中島先生の事で、皆さん知っていると思いますけど、 先生が結婚する時に、どういう経緯でなったかと言うと、柴田などは知っていると思いますが、 私は真面目に考えて、中島先生はあの方と結婚するのかな〜、授業が終わった時に前の方の洋裁学校の方へ・・・
(中島先生)
そういう話は柴田君!指導を宜しくお願いします。
このように社会勉強させながら、一高生活3年間、過ごした経過がありますんで・・・。 先生はやっぱり好きな彼女と一緒になって良かったなと。どうも失礼しました。
(金沢)
俺、助け舟を出すから。矢畑弘君!栃木県から、海水浴のシーズンは競馬もいいんでしょうが、
たまには10人位まとめて鈴木屋旅館へ送り込んで下さい。
(13:30 90分経過)
(根本(功))私の生涯続けるという仕事は、今、まだ、作詞をやっています。 まだまだ駄目なんですけど、これから更に頑張っていきます。
今日、マイクロバスの出発時間の11時まで歩いて行ったんですが、 僕の家は一高から100m位で正門の前を通って来たんですが、3年ほど前に昔の丸い正門を復元して作ってあります。 バスで来た方は皆、見たと思うんですが、一番すごいのは体育館です。
今度、中学校が新設されるんで、いろいろ建物を増やす為に工事をして環境を整備しています。 僕の郵便局は一高のバックネット裏の西方にありますので、毎日のように見ております。 あれだけ練習をしても、なかなか甲子園へ行けないんだなと思っています。
まあ、これからも頑張って行きたいし、集まりには元気に参加したいと思います。 宜しくお願いします。
(菅原)たまたま今年、大地震がありまして、実家の方の仏壇などを頼っていたのですが、 暫く帰れなくて、1ケ月後に帰って来たら、余震が2度、3度きまして、 ちょうど目の前で、壁がどんどこ、どんどこと落っこちてきて、夜には空が見える家になってしまいました。
ちょっと改築しまして、やっと出来上がったので、 これから、今、川崎にいるんですが、7−3位の割合で、川崎と高萩を行ったり来たりしています。
これから、余生といいますか、土をいじりながら暮らして行きたいと思うんで、 徐々に3−7から10割位、こっちに戻って来ようかなと思っていいる現状です。
(佐藤)それから6年経ったんですけど、今まで話を聞いてましてね、大体あまり変わってないなあ〜と。 亡くなった方がいてショックでしたけど、古稀といって、これは稀なんですからこれは。 これから、どうなるのか分からない・・・
私の現状は、また変わっていないんですよ。 村の役をやっているんですが、その為にすべてが動いている感じです。 家内から早く辞めろと言われているんです。 神社を保護しているんですけど、役員の会合があってね、出ていくんですけどなかなか。
それから滅多に同級生にも会えません。
私、皆さんの話を聞いていまして、私にはあまり高校時代のエピソードがないんです。・・・(以後、聞き取り不能)
(大島)ただね、古稀というのは1つの壁かなと思ってて、 去年は心臓を悪くして、胃ガンになって、肝臓を悪くしているんです。 そういう状態なんですよ。今は肝臓の方も全部よくなって、すべて大体、元に戻りつつあるので、 来年の3月頃からお酒を飲もうかなと。
健康の話はあまりしたくないと思っていたのですが、神谷さんと稲植幹事と健康の話は止めようと話したんですが、 結局、健康の話になってしまった。
そんな事もあって、去年のちょうど今頃、退院したから、その前、ず〜っと6年程、 福祉の仕事をやっていたんですが、その仕事はちょっと辞めて、自分本位の1年間を過ごしてきました。 また、来春あたりから、よくなったら考えたいと思っています。
ただ、ゴルフ大好きなので、神谷さん、誘って下さい。暇ですから。以上です。
(堀江)どうも中島先生の話は、どっちがという訳ではないんですが、僕なんかが言わせると、 何かやってないと・・・というのは気の毒です。
矢畑君が畑をやってるなんて、麻雀なら分かりますが。
北茨城も震災の被害を受けているのですが、栗田さん、私の所はやってくれないですよ。
(栗田)
そのおばちゃんがいうのは、私の親戚が第1、
その親戚に頼み込んでくる人がいるので、北茨城が終わらないとと家に廻ってこないらしい。
それが、やっと、目鼻が付いてきたんです。苗字は分からないけど、業者は小木津にあって、「大翔」というんです。
そこの奥さんは結構、魅力的です。
ゴルフをやったり、奥さんの運転手をやったり、そんな事ばっかりです。 また、来年あたりからはゆっくり出来るだろうから、よろしく。
(樫村)私は顔に似ず、意志が直で、曲がったことが大嫌いです。 私は今、水戸にいて、篠原君と同じで、生涯現役でやっています。
未曾有の大震災のせいで、優雅に暮らしているみたいけど、私の方は疲弊した社会にいます。 今回も、東電の方に25億ばかりの補償を申し立てしています。 私は取れないと思いますよ。だけど、一応、業界としては・・・
今は、水戸では、仕事ではお金儲けは下手なんです。 それなんで、食べればいいと思っているんです。 人生で一番後悔しているのは、コセキが持てなかった事です。 だだ、自分から人の世界の裏も表も弱いのは、柴田君にも負けない充実があります。 だから、心の中では自分の心は豊だと、ただ、経済的に恵まれていないだけだと。
なんぼ生きたいと思っても、死ぬやつは死ぬ。死にたいと思っても生きればいい。 だから、くよくよする必要はないんですよ。 お迎えが来るのを黙って待てばいい。私は常日頃そう思っている。
最近は何も仕事をしないんだけど、オウミ会。今日もオウミ会なんですけど、 このオウミ会での一番の長老が86かな、東大を出て、常陽銀行の役員をやった方です。 あと、今年の春まで茨城県の保証協会の会長をやった根本さんとかその人たち皆を集めて、 音頭とって、食事会をやろうというんです。大学の方も、私は法政だったのですけど、 高友会の会の副会長をやっていますんで、そういう集まりだとか、 そういう事ばかりやっているんで私は稼げない。
宮城さんは新聞社にいましたが、私は学生の頃、顔に似合わず日経新聞の記者に夜な夜な、 一晩二晩、寝ないで話をしていました。経済の話でも、政治の話でも、私は大好きです。 私は何も取り柄がないんですが、心が広いのと、柔らかい優しい気持ちがあります。
(椎名)あの時の震災、日立の方もね、少し、影響されまして、家なんかブロック塀が倒れちゃって、未だ直っていません。 それと、あと、お墓、お寺に全部お任せしてあるんですけど、もう墓石は落ちたまま、今も未だその状態です。 通路にも倒れている状態なので、自分のお墓へ行くのに「ご免なんしょ」と乗り越えていく。 この間、お寺に「おかしいだろ」と話はして来たんだけど、そういう状態です。
自分としても、神谷が70で病気したみたいんですけど、去年の2月、ドックでちょっと肺がおかしいという事で、 色々検査をして、肺ガンの初期の段階という事で、 右肺の一番上、三層になっているらしいんですが、それを取っちゃいました。 その前のドックで肺気腫に引っかかって、タバコを・・・
でも、何とか生きてられるので大丈夫。
まあ、身体に気をつけて、周りに迷惑をかけないように頑張って下さい。
どうぞ、宜しくお願いします。
(神谷)ちょっと辛気くさい話が多かったので、まず、お祝いの話ね。 世の中でね、身内でもなんでもいいから、春と秋の叙勲を受けた方、親戚でもなんでもいいだよ、 そうそう、いない筈なんだよね。 私のすぐそこにいるんですよ。 瑞宝小授賞、勲五等に相当する小授賞を叙勲されたのが、なんと先生でございます。おめでとうございます。 前回の水戸での叙勲記念クラス会、俺はいなかった。
じゃあ、今度は樫村。いまね、金儲けがへこたってるといってましたね。その通りなんだわ。 あのね、樫村の奥様がシミジミ話していた。 「家の旦那はやさしい旦那なのに、商売まで優しい」と。 樫村はその人間味だね。
それとね、実はそのガンの話ですけど、去年、偶然、ガンが発見されまして、ま〜生を受けているんですけど、
何と、今月、今度はこっちもおかしいと宣告を受けて、
(誰か〜気の毒、神谷〜イヤハヤ)
これからの事は今月、判明する訳なんだけど、いいんですよ、も〜、古稀、稀なりだからね。
でも、私は来年の3月が誕生日なので、今69。だから一生懸命・・・
今、お墓の話が出ましたけど、私は1ケ月に4,5回お墓に行っているんです。 椎名君は、どっかのお寺の境内なんでしょうが、私は勝田市営の墓地なんです。 災害では、幸いにも、竿がちょっとずれただけで助かったんですが、 でも石屋に頼んで、下から組み直し したんです。 今、強力な接着剤があるというんで、接着剤でOKなんです。ま、10万では難しかったんですけど。
お墓というのは、毎日、行っていいんだからね。分かる? どういう事かと言うと、今、我々が生を受けてるのは、ご先祖様あってのことなんです。 親がいなけりゃ、生まれていないんだ。こういう話はなかなか無いから。無いから俺が言う。 あのね、お墓で石を磨きながら「俺も間もなく入るからね、間もなく入るからね」といって、 掃除をして花をあげるんです。
俺はもう何時、逝ってもいい。俺は「ピンコロ」、先生は否定したけど、「ピンコロ」が一番いい。 先生は今、健康で何にも苦労がない。 (そんな事ない)行きたいように生きてるからそんな事が言える。 世の中はそんなもんじゃない。 市長さんが、任期をまだまだ残して辞めて、自分の奥様の看護をしなきゃならない。そういう人もいる。
それから、いよいよとなって、嫁さんに介護されるのはイヤ。だから「ピンコロが一番いい。 明日の朝は起きてこない。だから、全国にピンコロ地蔵が沢山ある。水戸の三十三夜尊にもあります。 行って、なでなで して下さい。じゃ〜
(稲植)
年寄りの話になると病気の話、ところが今回はお墓の話まで出てきてしまった。
いづれにしても、皆さん健康で、残りの人生を楽しく過ごして下さい
(めいめい、勝手に、大声で話してる)
30秒しか経っていないのに、もう、話しが始まる。聞く人だけ聞いて下さい。
え〜、一部の人はご存じのように、私は今、避難中です。 北茨城市の関南町に来ております。 3月12日に全町民避難の町内放送がありましてね、 12日は妹の勿来の家に泊り、翌日は東京の娘のとこへ行って、1ケ月いました。 その後、千葉に親戚の空き家がありまして、そこに1ケ月ほど居て、 まあ〜、あまり知り合いもいないし、あまりやる事もない、 という事でいわき市の川部町に5月末に引っ越して来た。
ここも、非常に素晴らしい町なんです。いわきの町は。 ところが、いろいろ細かい問題が色々ありましてね、 たまたま、日立一高の後輩が北茨城市に空き家があると、また、別の後輩に紹介してくれて、 北茨城市の関南町にいます。 ここは素晴らしいとこで、家賃は国が全部 補充してくれますから6万円の家賃は国が全部 払ってくれます。 私は一銭もないんだけど、ここに住まわせてもらってます。
で、楢葉町と比べると、色々ありますけど、それに近い環境で、素晴らしいとこなんです。 柴田克彦さん、神谷弘樹さんが私の家へ遊びに来てくれましたので、多分 よく分かると思うんです。 そんな訳で、今は問題なく、そこに居ります。 ただ、何時 帰れるか、まだ分からない。
除染は何時始まるのか、除染はどうやってやるのか分からない。まったく情報は流れてこないです。 私の楢葉町の基本方針はまだ 出来ていない。 だから、全町民が避難してますけど、恐らく日本のですね、40以上の都道府県に皆 分散して住んでいる。 沖縄へ行ってる人もいます。
一度、7月頃、家の娘からメールで避難場所として、一番いい場所があったわよ、と云われました。 それが何処かというとグァム島の北側のロタ島。それで、娘のメールに電話番号が書いてあったので、 そこに、電話をしたんですよ。国際電話を。そしたら、市長室のフランクという男が出まして 「案内を見ました。避難民の受け入れをやっているそうですけど」と尋ねたら、 これは 勿論 英語でやりましたが、 「受け入れはやってます。あんたの名前は何んていうの」と云うので、「イナウエ」と云ったんですよね。 「Mr.イナウエがロタ島へ来るんだったら、私が飛行場へ迎えに行きます」と云われました。
何でロタ島が避難民の受け入れをしたか、これは、アメリカへ留学する事が多く、このような人は大きな家に住んでいて、 息子、娘の部屋が空いている。そんな訳で受け入れする。 「条件は何んですか?」と聞いたら、「食事はタダ、住まいはタダ」 「ところで、日本からの航空運賃は?」と聞いたら、「それは負担できませんから、日本の政府と相談して下さい」 ただ、「ここはアメリカの植民地なので、ビザが必要です。アメリカ大使館に連絡して下さい」
私は直ぐ、アメリカ大使館に電話したんです。 そうしたら、音声ガイドで、「ビザの申請の方は、こちらの電話番号にかけて下さい」と案内がありました。 だから、直ぐかけたんです。その番号から返ってきた音声案内は、 「先ず、クレジットカードを用意して下さい」どういう事かというと、 アメリカ大使館には、物凄い量の問い合わせがあるんだそうです。 それを全部 受け入れると、何十人のオペレーターが必要だという事で、全部 有料なんですね。
ビザの申請の仕方とか、アメリカに移民するとか、或いは旅行するにはどうしたらいいのかとか、 全部 有料で1500円くらいです。1500円を払って、情報を入手する。 私は頭にきて、ガチャンと切りました。 そんな、いちいち、問い合わせの度に1500円も金を取るとは、けしからん国だと思いました。 そんな訳で、ロタ島は行くのは諦めました。 そういう状況でね〜皆さんが思うほど、あまり深刻に考えてない。
ちょっと、原発のことを話しますとね、 原発立地の市町村へは毎年4回から5回、原発講演会があります。 内容は如何に原発は安全か、という事の話です。メール同窓会にも書きましたけど。
要するに、如何に安全かというほど危険なものはない。安全なものを安全と言う必要はない。 水力発電所では如何に安全か という講演は聞いた事がない。 火力発電所では如何に安全か という講演は誰も聞いた事がない。 原発だけが、原発が如何に安全かという講演会がある。これは おかしい。
ま〜メール同窓会でよく話をしますけど、 どんな事があっても、放射性物質の漏れがないような方法で原発はやらなければならない。 ミサイルが撃ち込まれても、水素爆発があっても、航空機が突っ込んでも、全く安全な状態で操業しなければいけない。 その事が欠落している。日本政府も、電力会社も。 それは、十分考えて やらにゃいかん。避難民としては、そういう考え方が物凄く強い。
あなた達は、被害者という認識を持っていないと思いますが、 たとえば、チェルノブイリの放射性物質の飛散距離はイタリアまで行ったんです。1700km。 第1原発から1700kmは沖縄です。 チェルノブイリと同じか、少ないか、よく分かりませんが、放射能は飛んで行ってるんです。 だから、静岡県のお茶で検出されたとか、これからも新しい事実が出てくると思います。
いずれにしても、放射能の影響は、我々には分からない。 例えば、この間、新聞に出ていましたけど、世田谷の92歳のお婆さんが50年間も放射能の傍で生活していた。 床下に放射能があってね。だから、新聞に書かれている放射能の危険度は分からない。
こないだテレビでやっていましたが、チェルノブイリで原子炉の横で修復作業をした男がいるんですね。 この人は今年、52歳。長期間、原発の横にいたのですが、今、ピンピンしています。 インタビューに答えるくらいだから。
放射性物資の影響については大学教授や その他の人が色々な意見を出しているが、実際の影響はまだ良く分からない。 これが実態ではないかと思います。
私の友達、中学校・高校が同じで、栗田さんと同じ原研に勤めていた人、この人は北茨城市の友達ですが、 私が楢葉町に引っ越してしばらく経ってから、何で あんな所へ引っ越したんだ、何で火中の栗を拾うんだ、 表現がちょっと可笑しいが、危険な所へ何で近づくんだ、と原研のOBから云われました。
「何故、先に云わなかったのだ」と云ったら、「俺は引っ越ししたことは知らなかった」と云われました。 栗田さんも勿論のこと、原子力関係の仕事をしてる人は原子力の怖さを十分認識している筈である。 ところが、さっき云ったように原発は安全だと、講演会を何度も何度も開いて、皆の意見を抑えてきたんです。 それが問題。
そんな訳で、これからどうするか は何も分からない。
皆さんも、俺たちは近くに居なくて良かったな という考え方もあるんでしょうが、まだ分かりません。
どうも、有難うございました。