身近に感じる『バカの壁』
   (萩原 靖夫) -2004. 2. 8-


 解剖学者・養老孟司先生の『バカの壁』(新潮新書)がバカ売れし、 大変なベストセラーになっているそうです。

 私も昨年の暮、その過激なタイトルに惹かれて読んだのですが、 昨日の新聞で、「発行部数が300万部を突破した」という小さな記事をみて、 継続した人気の高さに、改めて「へえ〜」と思っているところです。

 なんとなく気になって、マスコミに紹介される『バカの壁』書評もフォローしていますが、 「目から鱗」派から「この本を買った私がバカだった」の酷評派まで様々あり、 読者それぞれ印象に残っているところも違うようです。

 加えて、「へえ〜」と思ったのは、この本の読者です。 発行元・新潮社の広報コメントによると、 「中高年層をターゲットにしたが、調査してみたら45%が女性だった」そうです。 ベストセラーになる要因には、必ず、そういう意外な現象があるんですね。

 いま、私はその内容を逐一覚えてはおりませんが、 読後感として【自分の常識と他の人との常識は違う。 常識が違うために人とのコミュニケーションは簡単ではない。 それはお互いに<バカの壁>をつくってしまうからである。 人間は<バカの壁>を持っていることを理解して付き合おう】というのが論旨、だと受け止めています。

 なかでも、印象深かいのは【自分は正しいと思っているバカが一番困る】という記述です。 人間は自己否定して生きることの方が困難だから、仕方ない面もあるが、 多くの人は自分のことがわかっていない、と指摘しています。

 また、バカにとっては、【壁の内側(自分の側)だけが世界で、向こう側が見えない。 向こう側が存在することすることすらわかっていない】と追記しています。

 米国とイラクの間にも非常に高いバカの壁がある。 そして、宗教や家族の間にある<バカの壁>問題などにも言及し、 一元論思考に物言いをつけているように感じました。

 さて、わが身に立ち返ってみると、 会社人間だった時代の<バカの壁>に思い当たること少なからずですが、 もはや、時すでに遅し。「ああ、バカでした」の心境です。

 ちょっと卑近な例になりますが、つい最近、私は何十年振りかで会う旧友を含め、 友達3人でイッパイ飲む機会がありました。 それこそ“バカ”をやって過ごした仲間だから、 一気に昔のヨシミがよみがえって“バカ話し”に終始したのですが、 その際何故かこの『バカの壁』が思い起こされたのであります。

 そんなことはヒット本の主旨とは次元が違うんじゃないの、と言われそうですが、 お互いに知らない何十年の間、それぞれに様々な歴史や事情を秘めているから、 昔流の勝手な常識が高じると「バカの壁」どころか、 埋めようのない距離感が生じてしまうような気がするわけです。

 こうした<バカの壁>をどうやって乗り越えるのか。 その方法については、この本には示されていません(と思う)。 その点が曖昧なので、消化不良になっている原因でもあります。

 しかしながら、養老先生は【バカの壁で絶望したり、腹を立てたりせず、 むしろ、それを前提として考えていく方が気が楽】と結論づけておりまして、 <バカの壁>をつくり上げている私自身もそのへんで納得しているところです。 (了)