禁煙  (稲植 俊雄) -2004. 9.30-



 中島先生に出した最初のメールに返事を貰いました。 今後はせっせとメール同窓会に海外での経験談を書けとの命令があったので仰せに従います。

 ところで 私の人生は晩生なのか 人よりいくらか遅れて進むのが定めとなっている様です。 このメール同窓会への投稿も皆さんより一周遅れ、 金沢昭彦が 昨年の同窓会でゴチャゴチャ言ってた様に大学入学も三年遅れ、 会社での昇進もやはり遅れて、会社員生活も通常より三年遅れとなりました。

 人間 種々雑多でそれぞれ色々な人生があっても少しも可笑しくは無いけれど、 人生の最期だけは人より早いなどと言う事になると勘定が合わない事になります。 従って 初めは禁煙の話です。

 1年半前に40年以上続けていた煙草を止めた。今度で2度目の禁煙である。 1回目は20年程前に3年間禁煙した。 私の記憶では、煙草を吸って美味いと感じたのは吸い始めてから せいぜい3年間程で 後はニコチンによるアディクションで惰性的に喫煙していた。 この間、背広に穴を開ける、畳を焦がす、家族から雨の日でも外で吸えと言われる、 歯が黒くなる、レストランでは隣の客から嫌がられる、等々日々苦難の連続であったが、 これを乗り越えて40年以上過ぎた。

 5年程前に 会社の愛煙家から5人で禁煙同盟をつくりたいが メンバーにならないか との誘いがあったが 3人しか集まらずこの話は立ち消えとなった。 従って 何れ止めねばならぬとは思っていたが、実行力に欠けた。

 2月の非常に寒い日の夜、ニュージャージーの中華料理屋で食事をした際、 ウエイトレスにここで煙草をすってもよいかと聞いたところ、 隣のテーブルにいる客の了解を取れと言われたので、 尋ねたら ノーと言われ仕方なく外へ出た。 ニュージャージーの冬は限りなく寒い。 駐車した車の窓ガラスは瞬時に氷結する。 ドアも凍って 開かなくなることもある。外で煙草など吸っていられない。

 シドニーから香港経由バンコクへ戻る機内の当時は 未だあった喫煙席で煙草を吸っていたら、 隣のオーストラリア人の男が 私が吸うたびに必ず手に持った雑誌で煙を追い払っていた。 煙草が嫌なら喫煙席に何故座ると思っていたが、何れ香港で降りる事を期待していたところ、 バンコクまでの客であった。

 唯、香港からは前方の席が空き、男はそこに移ったので一安心したが、 さすがに今までの喫煙で迷惑を掛けた事を反省し、紙切れに 今までの隣での喫煙を詫び、 ついでに出来れば早い機会に禁煙したい と書いてスチュワーデスに頼んでその男に渡して貰った。

 数分後に その紙切れに "わざわざ詫び状を有難う。 あなたのような人が増えて 喫煙者が減ることを望んでいる。禁煙の成功を祈る。" との返事が来た。 最初 こちらが迷惑を掛けたとはいえ あまり快く思っていなかったが、 バンコクで機内をでる時はお互い笑顔で握手をして別れた。 この紙切れは今でも持っている。

 最近、東南アジアの国々で かなり喫煙が制限されるようになったが、 以前はシンガポールがその地域で最も厳しい国であった。 ある日、シンガポール駐在員と中華料理店にて会食する事になったが、 我々4名全員が喫煙者だったため、屋外の席となった。 食事を始めてまもなく 南国特有のシャワーのような雨となったため、 室内に移動し それ以降 勿論禁煙を余儀なくされた。 最初に意図したことが途中で変更される事は楽しいものではない。

 事ほど かように苦難の日々を過ごして来たが、 昨年春頃 喉に痛みを感じたのをきっかけに再度 禁煙を実施した。 禁煙を始める前は、煙草に纏わる今までの様々な話を思い出したり、 会社の医務室の壁に貼ってある喫煙者の黒変した肺の写真を見てショックを受けたり、 最近の東京都中央区、千代田区の禁煙条例等などを考え この辺が潮時と考えていた時に 喉の痛みが禁煙に踏み切らせた。禁煙後 1年6ヶ月間 煙草は1本も吸っていない。 (了)