年寄りが集まって話をすると大体病気の話題が多くなります。 又、最近の出来事は速やかに記憶から遠ざかり、 代わりに昔のことは良く覚えているのも年寄りの特徴です。 従って今回は病気の話。そしてかなり古い話です。
扁桃腺炎
約30年前、 勤務先が当時東南アジアの主要都市で唯一現地法人が無かったフィリピンに事務所を設立する事になり、 私がその任を命ぜられマニラに駐在する事になった。 子供達がまだ小さく家族も海外生活の事情が良く分からないため、 最初の6ヶ月は単身赴任で行く事にした。
着任後暫くはホテル住まいであったが、 間もなく取引先の紹介で元米軍の将校クラブであったアーミーネイビークラブに住むことになった。 ここはマニラ湾に面した、宿泊施設、テニスコート、プール、会議室、図書館、レストラン、 バー等の施設を持つ会員制のクラブで、 会員及びそのゲストのみが利用出来るかなり閉鎖的なメンバー制クラブである。 唯、宿泊する部屋はベッドとエアコンがあるだけの至って質素なもので長期滞在には向きそうもない処である。 入口で屈強な守衛が常に自動小銃を下げ、 来客をチェックし会員及びそのゲスト以外は絶対入れないので安全性は申し分なかった。
ここに住むようになってから1ヶ月程したある日、 朝から喉の痛みに耐えかねて部屋でずっと寝ていた。 扁桃腺が腫れ上がり唾を飲み込むのさえ儘ならず、 食事も出来ず風邪薬を飲んでひたすら腫れが退くのを願いつつベッドに横たわっていた。 午後4時ごろ守衛が部屋をノックし、 こう言う名前の男が訪ねてきたがどうしたら良いか聞きに来た。 私よりも2歳若い取引先の社長で駐在以前から公私ともに親しくしている友人で 偶々仕事の打合せのためにやって来た。 朝から何も食べず高熱で 声もろくろく出ない姿をみて、 直ぐ自分の車に私を乗せクラブから20分程の処にある友人の知り合いの医者に連れて行った。
医者は喉を診るなり、これは直ぐ入院ですと言い、 手術が可能な病院に入院予約をする為電話をしてくれた。 友人はそのまま予約したマニラの病院に直行し入院手続きを行い 個室の病室へ病人を運び込んだ。 入院後、検査が始まり診断の結果 扁桃腺を切り取らず患部を切開し 膿を出す方法で治療する事になった。 翌日その手術が行われ、腫れも高熱もやや改善した。
手術をした日の夕方には取引先の担当者や知人が何人か見舞いに来てくれた。 たかが扁桃腺、 酒好きな患者には点滴の瓶にウイスキーを入れた方が早く治るなどと冗談を言いながら 暫く大騒ぎをして帰って行った。 麻酔薬が切れた後の痛みもまだ相当あって笑うと痛さが身にこたえた。
会社と関係先にはたいした病気ではないので日本への連絡はしないで欲しいと言っておいたが、 入院三日目に会社から、日本本社から家族へ電話をするようにとの伝言があったと連絡して来た。 自宅へ電話をすると家人が、 心配なので明日日本から見舞いに行くと言うので心配無用と伝えたが結局来る事になった。
初めてマニラに来る家人を今度は私が心配し、空港に迎えに行かねばならぬと考え、 退院したいと医者に伝えるとあと数日入院する必要があると素気無く断られた。 病院の事務長を呼んで貰い、事情を説明し、 病院の意向を無視して退院するので 今後は何があっても病院側の責任は問わない旨の誓約書を書き どうにか許可を貰い四日目の早朝に退院した。
日本では必ず毎年二三度風邪を引き、扁桃腺炎も何度も罹ったが、 このマニラでの入院以来 その後 風邪も殆ど引かず、今日に至るまで扁桃腺炎には一度も罹っていない。 この時の医者は名医だったと信じている。 アーミーネイビークラブの掃除のオバさんは、たまに掃除に来ない日もあるので、 腫れ上がった扁桃腺が喉を塞ぎ 窒息して人知れず死んでいたかもしれない状況に置かれたが、 友人のお陰で短い人生にならずに済んだ事を感謝している。
腸チフス
駐在生活も三年ほど経過したある日、 朝から頭痛がして熱もあったので 自宅近くのフィリピンで一番医療施設の整った マカチメディカルセンターで診察をして貰った。 医者は風邪ですよと言い薬をよこした。 そのまま会社に行ったが、気分がすぐれず午後には退社した。 翌日、症状が一向に改善しないので 自宅のベッドで終日寝ていたが、 どうもこれは風邪ではなさそうだと思い、夕方病院に行くと先日の医者から、 詳しく診察をするので直ぐ入院するようにと言われた。 一旦、自宅に帰り支度をして病院に戻り入院となった。
エックス線撮影、血液検査、尿検査等の検査が続き 風邪にしては大げさな検査をするものだと思っていたが、 風邪薬は継続して飲むよう指示された。 入院翌日から40度の高熱、便秘、喉の痛みが続き症状はだんだん悪化して行った。 次第に心配になり 家人に日本から持参した家庭の医学と言う分厚い本を病室に持ってきて貰い、 この症状の病気を調べたらどうやら腸チフスに良く似ている事が分かった。 二ヶ月程前 近所の友人の奥方が腸チフスに罹っており、間違いないと確信を持った。 医者にこの話をすると、そうではない、悪性の風邪だと言い又風邪薬をよこした。
扁桃腺炎の時に世話になった友人に相談すると、 この病院には優秀な内科医がいるので、担当医を替えるよう提案された。 意を決して担当医にその事を話したら、 検査が今日中には終了するので それまで待って結論を出したらどうかと言われ待つことにした。 翌朝、担当医が病室に来て、結果が出た、病気は腸チフスだと告げた。 だから私が言った通りではないかと言うと検査結果出る前に結論は出せないと言われた。 友人からやはり医者を替えたほうが良いと勧められたが、 病名も分かったことだし後は治療に専念して貰えることを期待して替えるのを止めた。
最近日本でも病気治療の際のセカンドオピニオン問題が提起されているが、 当時のフィリピンではこのような仕組みが既にあり、 又、インフォームドコンセプトなどの実施や、 主治医を替えることも患者の権利として一般的に認められていた。 この点では日本より医療先進国であったように思われる。
日本では法定伝染病であり、隔離が必要な腸チフスとの判断が下され、 病名が分かり安心する一方で恐ろしい病気に罹ったことへの心配が高まった。 入院初日から家人はベッドの横で看病のため寝ていたので、 病気がうつるのではないかと医者に尋ねると その心配はないと言われた。 結局家人は私と同じ日数を病院で過ごしたが腸チフスに罹ることはなかった。
入院から一週間は毎日40度の高熱が続き もうこのまま治らないのではないかと思ったが、 その後 快復に向かい何とか9日目には退院出来た。 食事はほとんど出来ずかなり体力を消耗したが、退院後数日で快復した。 最近物忘れが多くなったが、この時の高熱の後遺症ではなかと思っている。
腹痛
腸チフスから2年後、 日本本社から出張でやって来た上司との中華料理での夕食を供にして帰宅した後猛烈な腹痛に襲われた。 ベッドの上で寝ていられず、寝室の床の上を転がりながら激痛に耐えていた。 生憎、家族は日本に一時帰国していたため、メイドを呼び病院から救急車を出して貰うよう頼んだ。 メイドは直ぐ電話をしたが、病院から目下救急車が故障しているため動かないとの返事があった。 近くの日本人の友人に電話をして腸チフスで入院した同じマカチメディカルセンターに連れて行って貰い、 急患として入院した。
入院した時間は夜の11時頃であったが、その日は鎮痛剤を飲みどうにか眠ることが出来た。 翌日の診断の結果、腹痛の原因は食中毒とのこと。 言われた瞬間 今日は昨夜の上司とゴルフの約束をしたことを思い出したが、 私同様腹痛を起こしベッドで唸っているのではないかと心配になった。 会社に電話をして運転手に上司が宿泊しているホテルに行くよう指示をした。 30分後 その上司が病室に現れ、ホテルのロビーで約束の6時から待っていたがいつまでたっても来ない、 運転手から君が入院していると聞いたので驚いて飛んで来たと言うのを聞き、 元気な様子だったので安心した。結局、腹痛は一日入院で快復した。
一緒に食事をした上司にはなにも起こらなかったので、 その後、腹痛の原因となった食中毒説には疑問を抱いていた。 入院から2ヵ月後 会社の秘書から、 患者の目だけを見て診断する評判の医者がいるので診て貰ったらどうかと言われ、行くことにした。 医者は何も訊かないので 私は挨拶をしただけでどこが悪いとか、 症状など一切言わなかったが 医者は黙って目を見た後、 あなたは最近この辺りに痛みがありましたね、それは腎臓結石ですと言った。 この時 痛みは全然無かったが帰りに薬を貰い、それを5日間ほど飲んだ。 それ以降、結石が体外に出た様子はないがあの地獄のような腹痛は一度も起こっていない。
この眼球だけを見て診断する医者と その後 親しくなり何度かゴルフに行く機会があって、 診断法について聞いた事がある。 この医者はドイツへ留学し 経絡を利用した医学に興味を持ちドイツでこれを学んで フィリピンに帰国し開業したそうである。
虫歯
悪い事は続くもので腹痛が一段落してから虫歯が痛み出した。 暫く我慢をしていたが 痛みがだんだん酷くなってきたので、諦めて歯医者に行く事にした。 秘書から教えられた歯医者は会社の直ぐ近くで、中年の美人の女医が待っていた。
ひと通り検査が終わったあと、歯医者はやはり歯を抜く必要があると言い、準備に取り掛かった。 信じられない事に 彼女はヤットコ、私にはどう見てもヤットコ以外には思えない、 を持ち 私の前に立ちはだかった。 それで抜くのですかと訊くと、 何をくだらない事を訊いていると言わんばかりに簡単にそうですと答え、口の中にそれを差し込んだ。 ヤットコを左上の奥にある虫歯にはさみ彼女は渾身の力を入れて引っ張った。 女医は私が座っている椅子の脚に自分の両足を掛け一分間程格闘し仕事を終えた。
この前も後も日本やバンコクで何度も歯医者に行ったが、 こんな抜歯のやり方は最初で最後であった。誤解を招かないようにしておきたい。 これがフィリピンでの一般的な抜歯方法ではなく たまたまこの歯医者のやり方で、 大部分は日本で行われているような方法である事を後で聞いた。 美しいものには充分気をつける必要がある。 (了)