墓参り (神谷 弘樹) -2003. 7.31-



お盆と熱球高校野球。
いよいよ、日本民族の一大イベントを迎える。
ご先祖さまを家に迎えての家族との触れ合い。
ほんの数日間の“暑い季節の熱い出会い“
私の一番好きな季節である。

そんな時期,に快い一シーンが思い出される。

「ここ4,5年日立に帰ってない」

それは、母校の2年先輩のその一言から始まった。
20年程前の新宿の居酒屋での中年サラリーマン二人の会話である。
「じゃあ先輩!もしも、先輩のお母さんが亡くなった時のことだけど、喪主はどっちが遣るの?」
「俺に決まってるじゃないか!」と言わんばかりの先輩の目つきから、
「それは無いよ先輩!」と声を荒げる後輩。
更につづけて、
「親戚中から非難され、居心地悪くなりますよ!」
「ここは、弟さん夫婦がずうっと面倒みてきたんだから、弟さんに任せるのが道理なんですよ!」

この先輩は、高校時代に父親を亡くしたことから、高校卒業後直ぐ日立工場に就職。 そして、転勤々で落ち着いた先が日立化成の系列会社。
企業人としては資材課長、父親としては埼玉に家を建てゝの普通?の親で過ごしてた様子。
兄弟は、弟が一人。その弟が、日立で母親の面倒をみていた。

そんな環境を聞いていた後輩は、「世の中を知ってない」先輩を諭し始めた。
「その歳になって、墓参りを4,5年もしてない?」
ということは、母親を弟に任せっきりで何もせず、自分の家庭だけの「核家族」にドップリ浸かっ ての生活、いい気なものである。

そんな按配でももしもの場合は、
「喪主は、長男の自分が遣る」 それが当然であるとの見識! イヤハヤ、恐れ入谷の鬼子母神である。

この世の中、こんな輩が何と多いことか。
思い起こせば、
我々の世代は、戦後の困窮時代に子沢山の環境から、親との接触少なく「子供の世界」で育っ たといえる。
そこからは、我々を育て上げようと「苦労を重ねた親の姿」、そして「兄弟愛」、誰ものの脳裏に 焼きつき「家族の絆」を知らされもし学んできたハズである。 そんな、「親の背中」を見て育った我々が「世の中」へ巣立っていったのである。
それが、
「家庭内暴力」「登校拒否」から「イジメ」「オヤジガリ」「プータロー」「自閉症」「子供の殺人」等々、 我々が親になり爺さまになってからの恐ろしい社会現象である。
これは一体何なのだろうか?

「歴史は繰り返す」では無いが、「親との接触少なく育った子供時代」「親として、子供、孫をリー ドできない今日」、我々が歩んでいる“親と子の生き様“である。 それが全てとは云えないまでも、大方に当て嵌まると思えるのだが..............。

前述の先輩の「生き様」にそれ等の要因が見え隠れしているように思えてならない。

何時の世も、「子は親の姿を見ている」ものと思える。 4,5年もの間、実家へ帰ってないのだから、 母親への感謝の気持ち、弟さん夫婦への御礼、お盆の墓参り、等々“家族の絆“の意味を分か らない「親」なのだから、その子供がそれ等を知る由も無い。
爺さん婆さんは、子供その孫と「何時でも会いたい」と願っているものである。 それは、近くに居ても遠くでも「それなりに会いたい」が爺さん婆さんの気持ちなのである。
日常生活の何気ない行動から、「子供の教育」につながり一般常識を身につけていくのである。

様々の形で小一時間諭されたその先輩が、
「OO君、今日はありがとう。」
「この歳まで、そんな話題に出くわさなかったので何も分からなかった」とのこと。
我々の世代、外に出た大方がこんな按配と思えるのだが........。

後輩は、「では、スナックにでも行きましょう」と居酒屋を後にした。
その道中「OO君、ちょっと電話するから」と電話ボックスに入った先輩。
出てきたところを「どうしたんですか?」
「うん、母親に10万円送ってくれ!」と奥さんに告げた由。
すかさず、「奥さん何て言ってました?」
「うん、それが本当なんだよネ」と言ってた由。(奥さんは、薄々分かっていたようである。)

その日の二人の出会いは、先輩の会社から数百万円の物件を受注したお礼の意味での接待 であった。
イヤハヤ、後輩がお客でもある先輩に対しての説法?とは、恐れ入ったものである。

しかしながら、同世代の一人が生き様の一つを“知ってくれた“のだから“快い一夜“でもあった。
今年も、墓参りをする先輩の姿がそこにあることだろう!(合掌)

(参考までに)
 .墓参り:  .実家へのご挨拶