近況報告 (栗田 直久) -2003. 7.10-
2001年8月9日に還暦を迎え、同年9月30日付で、41年半勤めた日本原
子力研究所を退職し、翌日から24時間すべてが自分の時間となりました。
勤務時代を思い返すと、事務系職員として入所した私が事務本来の仕
事をしたのは最初の2年間だけ。以降「事務の機械化」の呼称のもとに、
逐次システム化に没頭し、計算機の発展とともに「事務のOA化」、終盤
は「研究所のOA」と定年までの40年近くを計算機を相手に同一職場で
定年を迎えたのは、2,3年毎に異動する事務系職員の中では非常に
珍しい事例であった。
この間、1967年に結婚(披露宴の司会者は石田君)して1970年まで
は日立に住み、1985年に小木津に住むまでの15年間は水戸で生活して
いました。子供は男だけ2人で、次男(観光業)は結婚して郡山市にすみ、
独身貴族の長男(日立製作所)は東京の国分寺市にすみ、小さい頃から
星に興味をもち、今は毎週末、山梨県へ出かけて観測に夢中。この息子
のホームページを我々のホームページにリンクしました。私の両親は既
に他界、家内の両親は健在で、同じ小木津に住み、1999年に米寿、傘寿
の祝い事をしました。未だ孫無し、家内と二人で小木津で暮らしています。
車の運転は1972年からで、最初は日産のチェリーで始まり、チェリーFU、
いすずのジェミニ、ホンダのシビック、トヨタのエクシヴ、日産のシルフィと
続き、現在はトヨタのカローラです。水戸居住時代までは東海にある職場
まで車で通勤していましたので、小木津に移るまでの10年近くは経済的な
ジーゼル車のジェニミに乗り、小木津に移ってからは電車通勤となり、車
は家内に取り上げられてしまいました。
健康に関しては、勤務時代からあった不整脈に対して、退職した機会
に精密検査(我が人生の初入院)を行ったところ、心臓へ血液を送って
いる冠動脈3本の内2本が詰まっていて1本で心臓を動かしていたこと
が判明したが、長い歴史により硬く詰まり開通できず、薬剤治療のみの
対応。だから、過激な運動は辛いです。原因は小木津駅からの電車通
勤になった時から、川尻駅から通勤していた同期の友と日立駅に途中
下車しての飲み通いと永年の煙草の喫煙かな?医者から「禁煙令」が
出され、2001年12月から1本も吸っていません。
また、退職したことにより終日パソコンの前に座り、電子アルバムの
作成、レコードのCD化などに夢中になって過ごしていた結果、検査の
度に血糖値が上がってきてしまい「禁煙令」に続き「禁酒令」が出たら
大変とウォーキングを継続的に行い、血糖値が正常に戻り、長く歩く事
により心臓も強くなってきたような気がしています。
最近の日常生活は、午前9時半頃から午前いっぱいはウォーキングで
外出中になります。午後はパソコンをさわっている時間が多くて、現在は
30−40年前に集めていたレコードを懐かしく聴きながらCDに変換中。
退職前の5年間、事務系の職員に配布した600台以上のパソコンのリー
ス契約、トラブル相談等の業務もしていたのが、非常に役立っています。
今、感じている事は「すべての基本は健康である」です。頑張ります!(了)
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