11月12日から28日まで茨城県芸術祭が開催されているので、昨日(11/16) 観賞して来ました。
一昨日までの天候は雨模様でしたが、昨日は風もなく青空いっぱいの好天気。
今回も昨年と同様、水戸駅までは電車を利用し、
南口から千波湖畔にある近代美術館まではウォーキングしました。第一会場の近代美術館、第二会場の文化センター付近は銀杏並木になっており、 銀杏の黄葉が心を和ませ、芸術などの催しにとてもマッチしています。思わず写真を撮りました。
私が茨城県芸術祭を訪れたのは二回目ですが、展示数の多さには驚かされます。
日本画、洋画、陶芸をゆっくりと観賞してまわると1時間半〜2時間かかります。
そして、第二会場の文化センターで写真、書の観賞で更に1時間を費やしてしまいます。
帰りは千波湖畔の南側を半周して、偕楽園経由で帰還する予定でしたが、
3時間近くも美術館内を歩いていると足が疲れてしまい、
真っ直ぐ水戸駅まで戻る事にして、千波湖畔の散策は諦めました。
日本画部門にY氏の「秋風ふく」が展示されていました。 彼は私がよく展覧会場に行くことを知ってから、展覧会の案内メールを必ず送ってくれます。 彼の作品を何回か観賞しましたが、いつも「花」がテーマである。 そして、五軒町にある水戸芸術館で開催された今年の水戸市芸術祭では石楠花を描いた 「華垣」が特賞(水戸市長賞)に選ばれました。
洋画部門にM氏の「川風がはこぶ在りしの譜」を見つけて嬉しくなりました。
そういえば、
昨年の県展でも「堀割の光陰」があった事を思い出しました。
彼は我々と同年齢で、しかも日立一高に在籍していましたが途中で退学し、
そして、十数年後に私と同じ職場に勤め始めた時はびっくりしました。
彼は職場の美術部に属し、年2回くらいの展示発表会で出展作品を観賞していましたが、
見る度に上手くなっていると感じていました。
現在は自由人になっていて、日立駅前のシビックセンターでの展示会によく出展しており、
案内状をくれた時は見に行ってます。
洋画部門に沼田君の奥方である仁子さんの「丘の街」がありました。
沼田君から聞いた話ですが、 奥方は搬入の受けつけとか雑用の手伝いをする展覧会係をもう10年くらい仰せつかっているそうです。 そして、今年は6日(土)から毎日詰めているとの事です
茨城県芸術祭の仕組みですが一般の人はまず作品を出して審査を通り「入選」となります。 これも結構大変なようです。さらに入選の中から優賞、奨励賞などの「入賞」作品が決まります。 何回かの「入賞」を経て、実力が認められると「会友」推挙となり、 さらにまた作品が認められると「会員」推挙と進んでいくわけですが、長い努力が必要みたいです。
奥方は随分前(約10年前)から会員になっていますから無鑑査で審査はありませんが、 あまり下手なのは出せないのでそれはそれで大変なようです。 そして、会員になると賞はなくなるのですが、 ただ一つトップ賞として「中村 彝(つね)奨励賞」というのがあり、 今年は沼田仁子さんが受賞しました。
私はこの難しい漢字「彝」に興味を持ったので、後で辞書で調べる為に正確な文字を知っておこうと 受付嬢に尋ねたところ、簡単なパンフレットを渡してくれ、 「この近代美術館の隣に中村 彝(つね)アトリエがあり、無料で公開しています。」 との事でしたので早速、覗いてみました。
中村画伯は明治20年(1887)に水戸市で生まれ、大正13年(1924)に死去。
若くして肺結核を患い、病床で画想をめぐらし、
小康時に作画を続けていましたが37才で生涯を終えました。
大正 5年(1916)、新宿区下落合にアトリエを新築し、 画家後半期の制作活動の舞台となります。 大正13年(1924)に下落合のアトリエにて死去し、遺骨は水戸市の祇園寺に葬られました。 昭和63年(1988)、茨城県近代美術館が開館した時、 中村 彝(つね)のアトリエがほぼ当時の姿で新築復元したそうです。
ここには、生前に使用していたソファーやイーゼル(画架)等の遺品が展示されています。 イーゼルには「裸体」(1916)が展示されています。
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また、彝(つね)のデスマスクも展示保管されております。 そして、近代美術館が制作したビデオ「夭折の画家 中村 彝」を放映してくれます。
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短い画業であったが、レンブラント、セザンヌ、ルノワールなどの影響を受け、 「エロシェンコ氏の像」(1920)、「髑髏を持てる自画像」(1923)など、 日本の近代絵画史に優れた作品を残しています。(了)
沼田様の御奥様のお話にもあるように県展の審査は厳しく、
それは当たり前のことですが、洋画の世界は分かりませんが
日本画では、歴史画など特殊な分野もあって、作品の評価は
どうしても主観的にならざるを得ず、製作者が良いと思っても、
審査員が評価するとは限りません。
そういうことからは大多数の一般の鑑賞者の眼が一番
正しい評価を下してくださることでしょう。
また、県の日本画界には、日展系、院展系、新興美術会系という
3つの会派があり、それぞれから審査員や役員を出して、とくに
特賞などは、3つで毎年持ち回りしているとのことです。
審査員や委員を勤めている画家や先生は、それぞれ日本画教室や
自宅で個人教授をされており、何人も弟子、生徒をかかえて、
プロですから当然それで飯を食っています。そのようなわけで
弟子、生徒の作品は、少々まずくとも強引に入賞させることが
多い、と聞いています。個人教授であれば内弟子ならとくに
そうしたいのは十分理解できます。
小生のように自分だけでやっていると、授賞の期待はできません
ので、楽しめるだけ続けたいと思いますが、やはり、年3回も
4回もあの大きさのものを仕上げるのは結構、経済的にも、
身体的にも大変で、とくに、秋の県展の製作を終えると、ここ数年、
頭と、体力を使い果たし、精魂尽き果てた感じになります。
これが趣味の世界に埋没した感じなのでしょう。
製作を終えて絵を額に収め、明日、出品しようとする夕べのお酒は
美酒となり、自己満足ながらしばし幸せな気分に浸ることができ、
日曜画家冥利に尽きます。
これからも感銘を与えることのできるような作品ができるよう 心掛けていきたいと考えております。(了)