私の運転・自動車歴 (中島 節) -2004. 3. 3-


1.運転免許への目覚め

 記憶ははっきりしないが昭和32年頃、日立一高に中古車ヒルマンが寄贈されてきた。 放課後好奇心の強い若い先生方は校庭に集まり運転の手ほどきを二,三度受けた。 同僚に運転できる人がいたと思う。 英米の自動車事情は熟知していたが、このヒルマンが自動車運転免許取得の起爆剤になったことは間違いない。

2.運転免許取得に一苦労

 この年の秋、日立女子高(現在の日立明秀学園)で運転免許の出張試験が行われた。 筆記試験は体育館、床を机代わりに実施された。 実技はスクーター(ラビット)のエンジンを始動させ、校庭を一周し、 所定の枠内に停車するだけ、至極簡単であった。もちろん一発で合格。 これでオートバイ、自動二輪の免許皆伝、でも車は持っていませんでした。

 その後普通車免許に挑戦。大久保の自動車学校で半月ぐらい実技指導を受け、水戸の自動車学校で受験した。 筆記試験は楽チンだったが、実技試験は二度連続失敗。 翌年の夏休み、生家に帰省、地元の自動車学校に一週間入学、実技試験合格証を貰い、 筆記試験は水戸で受けやっと念願を叶えることが出来た。 昭和33年9月20日。しかし安月給の教師にとり自家用車は高嶺の花。 妻はなんと非現実的な悪夢をみている亭主かと呆れ顔。

3.初めての自家用車・中古車サニー

 38年土浦に転勤、4年後借金して家を建てることになった。 私の注文は二つ、書斎とガレージを作ることであった。 車はないが、将来を予想しての手堅い準備であった。

 44年茨城高専に転勤、電車で通勤するようになった。 愈々自動車も道路にあふれ出す時代になり、 46年後半ごろから朝のバスは時間通り運行できず電車に乗り遅れるようになってきた。 毎朝バスの中で時計と睨めっこの日々が続く。 やむなく中古車サニーを購入、裏路を走り駅近くに駐車することにした。 運転免許取得から14年後、車庫を用意してから5年後のことであった。

 自宅から7,8分走りやっと暖房も効きだした頃駐車場に到着。夜はライトオンで帰宅。 という訳で蓄電より消費量が多く苦いバッテリー上がりを経験した。 この予防策に用事がなくても日中なるべく走行するように勧められもした。

 しかし2年後、友人の紹介で中古車ホンダークーペ(35万円)に乗り換えた。 サニーより乗り心地良く喜んでいたが、筑波山にドライブし坂道に差し掛かると、 なぜかスピードダウンしのろのろ走行となった。 帰宅後店に持ち込むと、放電版がスパークし凸凹が出来るためだと言って、 サンドペーパーで平らにしてくれた。 今後のためにと分けて貰ったサンドペーパーを使い自分で放電版を磨いたこともあった。

4.やっと新車カローラ

 自家用車を乗り出してから7年目の昭和53年11月(48歳)、評判の大衆車カローラを買うことにした。 しかし購入した店、値段の記憶が全くない。 多分、車の性能、車種に無知な私は全幅の信頼を寄せている兄に一切を托し入手したのであろう。 兄はガソリン類販売店勤務という職業柄から自動車屋とは親しい関係にあった。

 数年乗りこんだ後のある朝、自宅近くの交差点信号が赤だったので超低速で停止線まで進んでいた。 その時見知らぬ車が交差点手前の路地からノーブレーキでカローラの横っ腹に突っ込んできた。 左前のドアはへこみ、ガラスは壊れた。始めて経験する交通事故。 出来るだけ冷静に直ぐ警察へ事故の通報。 簡単な現場検証、取調べの後、「事故証明書が必要なときは警察署へどうぞ」と言って警官は引き上げていった。 左に自動車を認めた時点で停車せず走っていたから私にも四分の自己責任があると言われびっくりする。 百パーセント相手の過失だと思っていただけに。

 別段意識しなかったが、この事故で車軸が多少ゆがんでいることが数ヵ月後に判明した。 購入後8年目の車検時、昭和61年秋、4台目にホンダ・アコードを選んだ。 理由は当時アメリカで一番好評だった日本車であったから。 また兄の勤める会社がホンダの特約店になり特別価額で斡旋して貰えたからである。 少しでも安くと思い、あえてマニュアル車を選んだ。 あちこちに多少の擦り傷をつけながらも丸9年近い快調な付き合いとなった。 この間にこの車は那珂湊魚市場近くで接触事故を起こしたが、 前バンパーに目立たぬ程度の擦り跡が残るだけでの軽傷で済んだ。

 そうこうする内に定年も過ぎ、最後の車にと選ばれたのがホンダ・アスコット(5台目)である。 土浦店ではお気に入りのアコードを扱っていないので似たようなアスコットに決めた。 ボケ防止、安価の観点からまたマニュアル車を選択した。 定年後とあって、東北は十和田湖・酸ヶ湯温泉まで、その他各地の温泉地などを巡り9年間、 走行距離も7万キロをオーバーするようになった。 このように事故に遭うこともなく長距離お世話になった車はアスコットが始めてである。 あちこちに擦り傷はつけてしまったが。

5.最後の買い物

 74歳を迎え、愈々運転期間も先が見えてきた感じがするようになった。 この辺が買い換えの最後のチャンスと、車検の有効期間半年を残し忠実なアスコットとお別れすることにした。 お世辞にも運転技術が良いとは言えないし、バックは苦手。 遠出することも、高速道路を利用することも格段に少なくなることを想定し、 今回は車種、排気量を大幅に変え今流行のホンダFit 1.5 にした。 値段の交渉は特別しなかったが、今は亡き兄のお陰で最大限のサービスをしてくれたようである。 今までのアスコットより50センチも短くなったフィット、小回りが効き使い勝手もよく、 こちょこちょと快調に私たち老夫婦の足代わりになっている。 車ともども健康で出来ればあと10年位は走りたいと思っている。 (了)