私より同級生同士のほうが「あれは誰だ」とささやきあっているようだった。 それぞれ「俺は○○だ」と名乗ると途端に40数年前のニキビ顔の日立一高校生に戻り、話が弾む。 ほぼ出席予定者が出揃った頃、欠席通知の差出人女性2名が「こんにちは遅くなりました」と入ってきた。 「先生が出席してくれるのだから是非参加するように」と要請のあったことを数分後知った。 一人は県外からの参加で、友人宅へ一泊し翌日帰るという本当に嬉しい限りである。
定刻午後5時、薄暗い廊下を通りコの字に膳の並ぶ宴会場にうきうきしながら全員移動。 幹事、私の挨拶の後 乾杯となった。私は皆さんのメール同窓会、写真入スピーチなどの紹介をした。 程なく一人一人着席順に思い出話・近況報告が始まった。 2年生夏の富士登山・キャンプの記憶は強烈らしく、往時の感動の声があちこちからほとばしる。 確かに、新婚旅行の旅先から「思い出の富士山を車窓から眺めながら・・・」と書き送ってくれた女性もいた。 1年の時は10数名で裏磐梯キャンプにも行ったねと話しかけると、 そんなことは無い勘違いでしょうとすげない反応。 記憶違いかと思い翌日アルバムを広げるとおとなしいT君が写っているではないか。 T君は寡黙な男で元気よく「僕行きました」と言えなかったようだ。 どうやら2年になるときクラス替えがあり、参加者の大多数は他のクラスに移動してしまったようだ。
とにかく富士キャンプ実施までには色々と苦労があった。 女生徒(全員4名)が参加するときは女教師1名、 生徒15名に教師1名が付き添うことが郊外活動の条件と教頭から指導された。 皆さんもご承知のように日立一高の女教師は高橋きよ先生だけ、 そこで家内の妹に同伴を御願いし県への報告は男性だけにして貰った。 また国語の杉田先生に応援を求め一行36名で3泊4日の登山・キャンプを実行した。 この野外活動を通じ、私も貴重な体験が出来、さまざまなことを学ぶことが出来た。
賑やかな会場では異口同音に「これからの人生、夢・好奇心を持ち、健康に注意し、趣味に生きよう」 と抱負を述べ合っていた。もちろんゴルフ、旅行の話も。 Y君が旧満州で生まれ、そして彼の父親はシベリア抑留から脱走し九死に一生を得てやっと帰国した話は初耳、 管理職より生徒指導を選んだK君、主人もこのクラス会に入れてと言って拍手を受けたHさん、・・・。 二次会は遠慮し八時少し前、名残尽きない会場を後にし、差回しのハイヤーでS君と一緒に水戸駅に向かった。
それにしても住所不明者15名(後日2名の住所を教える)、物故者4名とは驚きであった。 また3歳年下の中にIT時代の恩恵にとっぷり漬かっている人は残念ながら一人もいないようであった。 (2005-3-25)