教育四方山話 (中島 節) -2003. 9.16-


 この投稿文は12年前(平成3年3月)茨城高専の「学生相談室紀要」第9号に寄稿した教育談義、 教育論です。なかなか覗き見ることの出来ない一教師の内面を恥を忍んでお見せしたいと思います。


0.はじめに
 一教師の思い出,体験談,雑感を綴ったものである。私が初めて教壇に立ったの は昭和25年。まだ敗戦の傷跡は深く残り,物不足に悩む毎日であった。その後,大学編入学のため 2年間の中断があるから,今春で39年の長くて短い教職の歳月が過ぎようとしている。「亀の甲よ り年の劫」というほどの自信は毛頭ないが,少しでも誰かにお役に立つことがあれぱと愚考し,敢 えてここに恥をさらすことにした。書きたいことはたくさんあるが,紙面関係も考慮し,今回は「殴 る,キャンプ,学級新聞,カンニング,カウンセリング」の五項目に絞ってみたい。この書き順には 何の意味も関連もない。ただ思いつく侭に列記したまでである。

1.殴  る
 某高校に勤務していた時のことである。無断欠席,遅刻・早退の連続,怠惰,素行不良,…のい わゆる問題児K君が私のクラスにいた。ある日,「お前に,もうこれ以上言うことばがない。同じ 注意・説教の繰言では,お前もつらかろう。殴るしか手はない。よいか?眼鏡をはずせ」と声を荒 立てた。静かな二人っきりの部屋で,K君は素直に眼鏡をはずし,「お願いします」と答えた。大 学卒業時,「どんなことがあっても生徒を絶対に殴らないこと」の指導が頭を過る。私は涙を流し ながら,力の限りK君の頬を2,3回殴った。K君の心深くに住みついている悪の根源を叩き出し てやろうと念じながら。「どうも,ありがとうございました」と深々と一礼し,彼は涙を流しながら 去っていった。あれから30余年たった今も,この時のシーンは忘れることはない。しかしこの一 撃は残念ながら特効薬とはならなかった。彼は結局2年次で落第し,数ヶ月後に退学してしまった。
 時は巡って数年前,このクラス会が開かれた。宴もたけなわの時,幹事の一人が私のところに来 て,「K君をここへ呼んでもよいですか」と許可を求めてきた。私は即座にO.K.の返事をした。30, 40分後に突如として現われたK君に,旧友は皆,温い歓迎の拍手を送ってくれた。不良少年ほど案 外旧友には人気がある。会は一層盛り上った。これ以来,K君との大人としての交流が再開し現在 も続いている。

2.キャンプ
 10数年前までの4月28日は,茨城高専新入生の遠足日であった。交通事情,学校行事見直しな どのため,この遠足は中止になった。それなりの教育効果があったと思うだけに,私は少し淋しい。 教室外での学生同士の懇親・交流,教師と学生の触れ合いに役立つからである。歩くことを極端に 嫌う若者の遠足,不慣れな団体行動は,学生観察のまたとない機会である。授業中ではなかなか観 察できないさまざまな性格,自己主張型,愚痴型,孤独型,…などを簡単に知ることができる。
 「遠足」より数年前(正確には昭和46年から)には,2年生の修学旅行が中止になり,4年生時 の工場見学と併合することになった。いろいろな教育的観点から,この中止に賛成した一人である。 ということは上の「遠足」擁護論と一見矛盾するようにとれる。しかし私の真意は,100人,200 人が大挙して,過密スケジュールにのり,古都の奈良・京都へ旅行することへの疑問にあった。仏 教文化,飛鳥・白鳳文化には,これが大体理解できる年齢,これに興味・関心を持つようになった時, ゆっくり静かに観察すべきというのが私の自論である。「文化」学習・観察の準備がまだできてい ない学生には,のんびりと大自然に親しませることが,より大きな教育効果を挙げることが期待で きると思う。
 こういうわけで,高専に転勤してからも2度,クラス・キャンプの型式で学生を,安全な奥久慈へ 連れていったことがある。高専での忘れ難い思い出のひとつになっている。2度目の時は,引率教 官1名では許可できないとのことで、急遽,当時の学生主事だった冨田先生と,若い押久保先生の 援助を受けたことがある。私の勝手な校外活動に喜んで協力して下さった両先生に,改めて厚くお 礼のことばを申し上げたい。不慣れの飯盒炊飯,汗ぐっしょりの登山,夜遅くまでの談笑,…に学 生たちもきっと満足し,よい思い出になっていることであろう。1回目のキャンプでは,ちょっと したハプニングがあった。男体山下山の折,級友から離れたぐーたら数名組が,道に迷い,発車間際 にやっと帰ってきた。誠に気の毒ではあったが,この連中には昼食をお預けにし,次の目的地に向 った。
・・・中 略・・・
 少し話は変るが,高校教師のとき,40名近い生徒と一緒に霊峰富士山に登ったことがある。数年 後,新婚旅行先きから,「生先と一緒に登った富士山を車窓から眺めながら,○○へ来ました」と書 かれた絵葉書が,ある日突然私のもとに届いた時は実に感動的であった。

3.学級新聞
 H.R.担任は確かに大役である。しかしそれ故にこそ,苦悩・努力の仕甲斐があるとも言えよう。 学生は無限の可能性を秘めた,夢多き多感な若人である。ときには,いたずら,へまもやる。大袈裟 に言えば,H.R.担任教師の一挙手一投足は,直接・間接になんらかの影響を学生に与えている。試 験監督で50分も教室に閉じ込められていると,そこのH.R.教師の教師としての人間像が彷彿とし てくることがある。学生の挙動,教室の清掃・管理状態などから,教師の体臭をかぎ取れるからで ある。
 さてH.R.運営に,これが最高のモデルというものを見つけることは極めて困難であろう。それぞ れ教師の特色,個性を活かした十人十色の指導,運営があってよいと思うからである。年2回の保 護者会は,保護者に私たちの教育観を披瀝するまたとない機会である。というのはH.R.運営は,保 護者の協力・理解があってこそ万全だと考えるからである。4月の保護者会近くに,「新学期早々 で,学生の実態もわからず,話題もないから,短時間で切り上げにする」といったことを耳にするこ とがある。誠に残念である。H.R.の経営方針,父兄への協力依頼,高専の現状,父兄からの要望聴 取,個人面談,家庭教育,…といくらでも話題はあるはずである。また父兄は,学校,教師から何 か子弟教育にプラスになる情報を得ようと真剣になって,遠路はるばる学校へ馳せ参じて来ている ことを私たちは認識すべきである。成績が上った下ったの話題よりも,学生を取り巻く友人,家庭, 社会などの諸問題に関心,話題を向けた方がよいと思う。
 このようなほ点から,私は「学級新聞」を毎月印刷し,学生を通じ父兄に渡したことがある。父兄 に学校,学級,教育などを理解して貰うには一番の方法と考える。当時はワープロが身近になかっ たので,手書きで,クラス,学校の様子,時には父兄からの投稿記事,埋草に漢字の語源解説などを B4判いっぱいに書いたものである。学年単位での新聞なら,教師の負担も軽くなり,却って内容の 充実したものができたかもしれない。しかし一人ならではの気楽さもあり,よりユニークな記事(独 善と偏見に満ちたものでは困るのだが?)を書くことが可能である。この年,「学級新聞を楽しみ にしています」という主旨の賀状が届いたことがある。私の誠意を認めてくれる父兄の存在を知 り,さらに新聞発行に熱が入ったことを覚えている。
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 家庭環境の理解,父兄との面識の必要を痛感する私は,ここで家庭訪問のことに触れてみたい。小・ 中学校では年中行事になっている日本独特の家庭訪問は,情報交換,環境調査などの面から教育に 資するところ大である。数年前までは,本校にも家庭訪問の費用が予算化されており,その実をあ げていたと思う。が最近,この件が教官会議の議題になったことがない。残念ながら,多分,中止, 消滅してしまったのかもしれない。広範囲から通学している学生が多いだけに,家庭訪問の困難さ はよくわかる。
 私は高校教師時代,父兄に予告なしで家庭訪問したことがよくある。もちろん父兄会の折,この ような訪問をする旨連絡しておいた。予告しない理由は,先方に余計な気苦労や,負担をかけるか らである。自分の都合に合わせ(主に夏休み中),気軽に出かけていく。たとえ訪問先が留守であ っても一向気にしない。玄関先,軒下に立つだけで,家の様子など充分伝ってくる。また通学路,住 宅環境などが一目瞭然である。その後の生徒との対語,指導に役立つことは必定である。

4.カンニング
 高校教師時代駆け出しの頃,担任のH君をカンニングであげたことがある。卒業後10年ぐらい 経った時,同窓会が開かれ,そこに招待された。その時,意外なことにH君から直接,私の指導に不 満だったことが告げられた。少し語弊があるかもしれないが,「泥棒にも三分の理あり」と言われ ている。不正行為の周辺をもっと調べるぺきだったのかもしれない。その席上で,彼の真意を聞け ぱよかったのにと思うが,今は後の祭りである。とにかくこんなこともあり,カンニングに対する 私の対応は変わり,少なくとも発見から摘発までに若干の間を置くことにした。まず容疑者の脇に 何度となく立つ,机をコツンと軽く叩くなどして第一の警告を与える。これでも効果がない時は, 最後の手段をとることになる。しかしこの後,本人に私の警告がわからなかったのかどうか尋ねる と,「全然わかりませんでした」ということになった。折角の親切心も水の泡。何か有効なカンニ ング防止策はないものかと悩んでみたが,現在のところ,「こそこそ,悪いことをしようとしている のがいる」と,該当者の方を見て注意するのが決め手のようである。
 ある時,ある学生に私は半分詫びた苦い経験がある。というのは試験の都度,得点50点未満の学 生には再試験をすることにしている。しかし常日頃,この学生より成績の悪い連中が要領よく皆, 合格点をとってしまった。教室巡視の時,不正行為黙認に近い雰囲気を感知していた私は,そのク ラス,監督を責めながら,「馬鹿まじめな君には済まないが,約束は約束,再試験はやります」と研 究室に呼んで連絡したことがある。彼もにやにや笑いながら,素直に再試験を快諾してくれた。

5.カウンセリング
 単語,書き取りの小テストで不正行為をする者が,毎回1,2名いる。試験の大小に関係なく,カ ンニングは裏切り行為,知識(点数)強盗であることを説教し,動機を尋ねながら,カウンセリング をすることにしている。しかもこの指導のあと,必ず反省文を提出させることにしている。珍らし く,一人静かに机に向って,深夜ペンを走らせることによって,反省する機会を再度与えるのが最大 のねらいである。もちるんこの反省文を読み,次のカウンセリング,話し合いも可能である。反省 文のよく書けている学生ほど,反省の度合いが強いことだけは確かであるが,一度の指導で多くの 効果を期待するのは無理であろう。
 学力不振者に対する教科担任の指導の重要性は,今さら説<までもない。しかし学力不振者の中 に意外と多い落第者と話し合っていると,私たちが大事なことを見落していることに気づくことが ある。なぜ落第したのかの真の原因追及,事後の反省,教師からの指導がかけていることが多い。落 第者の指導は先ずH.R.教師の仕事である。ケースによっては,積極的にカウンセラーに回し,万全 の指導を受けさせるべきである。落第2年目に退学していく学生には,この過程が欠除しているよ うである、折角,本校には相談室,カウンセリングの組織があるのだから,相談室の質,機能の向上 をはかるよう当事者,学校当局にお願いしたい。先ず相談員の先生にカウンセリング研修の機会を 優先的に与えて欲しい。(了)