年甲斐もなく、カナダの紅葉を求め24日間の旅に出た。 参加者3名は皆定年退職者(年齢は私が中間)。 旅行計画は7月から練り初め綿密な計画・日程表、栞まで作り上げた。 レンターカーを2人で交互に運転、約4,600キロ(九州の南端から青森まで一往復に相当)を走行し、 カナダの紅葉、風景を撮りまくってきた。 旅の前半はカナダ東部のケベック市、ローレンシャ高原、アルゴンキン公園、 ナイアガラの滝などで過ごし、後半は飛行機でカルガリーに移動しバンフ、レイク・ルイーズ、 ジャスパーなどカナディアン・ロッキーの晩秋を堪能してきた。 この後鉄道、バスを利用しバンクーバーに移動し、再度レンターカーで同市内を巡り、 米国のシアトルにもちょっと足を伸ばした。

 「右小回り、左大回り」を復唱し、互いに注意しあいながら心配された運転席左、 道路右側運転にもすぐ慣れた。 また運転を交代するとき、習慣上無意識に車の右側に回ることが幾度かあったが、 一旦運転席に座りハンドルを握るとほとんど違和感なしに運転できた。

 問題は始めて訪れる市街地での運転。 地図はあっても一方交通規制の多い市街、 その場に行かないと右折禁止か左折禁止か不明で市内をぐるぐる回る羽目になったこともしばしばである。 三車線の中央を走っている時右折は良いとして、「次の交差点を左折」と急に言われると大変である。 後続車のドライバーに顔を紅潮させ「何やってんだ。このバカ野郎!」と怒鳴られたことも一二度あった。 高速道路、郊外での運転にはなんらの問題もない。 シアトルからバンクーバーへ戻る時、 カープール・レーン(ここでは2人以上が乗っている車に適用)が左端にあることを知り 時速130キロで飛ばしドライブの醍醐味を味わうことが出来た。 カナダ、アメリカとも追い越し車線は左側。

 今回の旅行目的は写真撮影であるから、目的地に着くと直ぐに地図を片手に車を走らせ日の出、 日没時の撮影ポイントを捜し求める。 あるときは山岳地帯、またあるときは郊外を。 自衛隊で鍛えあげられたG氏の方向感覚なしにはとてもあのようには走り回れない。 さながら偵察、実戦演習の毎日。 それだけに私たちの疲労も相当なものであった。 結果的には早朝から夕方遅くまでのドライブ、撮影。 時には10頃の朝食、4時の昼食になることもあった。
    2.ケベック市でお小言頂戴

 旅の初日はデトロイト乗継でモントリオールに出、夜9時頃タクシーで市内のユースホステルへ (旅行中、アルゴンキン以外全て予約したユースホステルを利用)。 宿近くで朝食を済ませ、レンターカー会社ハーツを探しながら市内の散策に出た。 ハーツ社を六つの腫れぼったい眼で探したが見当たらない。 通りがかりの青年に尋ねると僕もそこのビルに勤めているから一緒に行こうとなった。 四つ角でハーツ社と反対方向に来てしまったのである。 日本と違い派手な看板はないからビルのまん前に来ないとそれと分からない。 契約時間より1時間早いがOKとのことで、ワゴン車リンカーンAviator を借りることになった。 地下駐車場に案内され、これですと手渡されても運転席周辺にはたくさんのメーター、ノブ、 ボタンなどがあり何がなんだかさっぱりわからない。 3、4度作業中の係員に質問し、広い駐車場を矢印通りに進んだが出口が見つからない。 困り果て、たまたま居合わせて客に出口を尋ねると「では俺の後をついて来い」となった。 彼も一度曲がり角を間違いバックしたが、お陰でどうにか地下室から脱出することが出来た。

 それから3時間後、ケベック州の州都ケベック市に到着。 毛皮貿易で発展したこの地は18世紀、英仏7年戦争の戦場になり英軍の勝利に終わった。 しかし人口の9割以上を占めるフランス系住民を支配することは出来なかった。 現在もなお同州には独立を求める動きが見られるのはそのため。 もちろん公用語は仏語で英語の出来ない市民も多い。 州内の各種表示は仏語優先、その下に英語が併記されている。 植民地時代の城壁、建物が今も旧市内に残っており、 1985年ユネスコの世界文化遺産に登録された由緒ある美しい街である。

 ケベック市を一周し宿に引き上げようとしたが、道路がすごく混雑し動きが取れなくなってきた。 退勤時には早すぎるし何事かと、車から降り、 通行人に訳を尋ねると 「夕方6時にクイーン・メアリー号が入港するのでそれを見物に行くのです」との答え。 道理で市民、観光客はみな港に向かって歩いているのだ。 やっとの思いで指定の地下駐車場を探し、宿に戻ると私たちも直ぐ、石畳の坂道を登り、 歩いて数分の丘に出た。 そこにはメアリー号を待ち受ける客が沢山来ていた。 入り日を受け、小船に守られセントローレンス河を遡りゆっくり入港する豪華客船を見下ろし  その威容をカメラに収めることが出来た。

 ケベックの宿にはフランス文化の影響か食堂にバー(ユースホステル14箇所の中でここだけ)があった。 バーのマダム(実際はアルバイトの女性)の美貌と若さで宿泊客を惹きつけ止まり木はいっぱい。 こちらの夕食の注文は後回しにされる始末。 絶世の美人とは彼女にぴったりの言葉、まともに見られない程美しい。 夕食が運ばれてくると早速ひなびたおじいちゃんたちが写真のモデルになって欲しいとか言って 彼女の美を褒めたたえた。 明日の晩はクラフトのクラスがあるから残念ながら休みだという。 彼女が引き下がるとやおらテーブル下からウイスキーびんを取り出し遠慮しながら水割りで飲みだす。 次第に話題に興ものり、いつの間にか「びん」がテーブル上に載ったままになっていた。 すかさず美女がやって来て商売困りますと強く抗議された。 もちろん穏便にとりなしてくれ、ほっと安堵の胸をなでおろすことが出来た。 精算するとき固辞する彼女にそっと5ドルのチップを手渡し上機嫌で3名は食堂を後にした。


    3.Y氏転倒し右肩脱臼

 朝6時宿をチェックアウトしセントローレンス河の日の出を撮ってから、 森と湖が織りなす美しいローレンシャンのモン・トレンブランに来た。 この町は伝統的なケベックスタイルのカラフルな建物が並ぶリゾート地である。 ゴンドラに乗り、綺麗な湖を一通り撮り5時頃宿に着いた。

 夕食にはまだ早く、カメラを持って宿から2,3分の湖の様子を見に出た。 私たちより数メートル遅れ歩いてきたY氏は突然「いたい、いたい」と絶叫した。 振り返ると彼はうつぶせに倒れていた。一瞬「心臓発作」の四文字が脳裏をよぎった。 ケベック以来、彼の顔色はさえなかったからである。 肩の痛みを訴える彼を暫くそのままにし、G氏は緊急手配を御願いしに宿に駆け戻った。 諸準備周到な彼は三角巾を持って戻り、近くの小枝を適当な長さに折り腕の支えにし右腕に応急処置をした。

 宿の主人の指導、指示に従い、夕闇の中二つ先の隣町へ急いだ。 途中2,3箇所で道を尋ね、ホスピタルを示す大きな緑色のHマークを目当てに車を飛ばした。 やっと見つけたH,ローレンシャ中央病院に7時過ぎにたどり着き患者ともどもほっとする。 次々と患者が訪れ治療を済ませ帰っていくが、Y氏はなかなか呼び出されない。 待ち疲れた頃 問診、その後のX線検査で右肩脱臼と診断される。 安全のため通訳を依頼され治療に付き添うことになった。 武双山を思い出しながら小柄な女医の脱臼復帰治療を好奇心の塊になって見守った。

 このときクレジットカード、アメリカン・エクスプレスの威力を見せ付けられた。 直接の精算・出費は全く不要、「お大事に」に送られ病院を出た。 それからまた高速道路を40分、宿に着いたときは真夜中12時近くなっていた。 それからシャワーで汗を流し(彼の体はタオルで拭いてあげる)、コンビニで用意していた夕食、 ワインをとり床についたのは明け方の2時。 翌日は彼を宿に残し、朝夕、近くの湖畔2,3箇所回り撮影を続けた。


    4.アルゴンキンで酒屋探しに一苦労
 オタワに予約していた宿はあまりにも貧弱だったし、 時間的に余裕があったのでここをキャンセルしアルゴンキンへ進んだ。 しかし運悪く土曜日とあって、飛び込んだドライインは空席なしであった。 別のドライブインも同じくノーベイカンシであったがここの主人は親切にも、 電話しアルゴンキン手前に空席のロッジを見つけてくれた。 湖畔に面したとても静かで快適な宿であった。 ここはレストランも経営していたが安く上げようと、 Y氏をロッジに残し再度町に車を飛ばしスーパーを見つけ夕食を買い求めた。

 ビール販売の専門店はお隣にあったが、その他のアルコール類は売られていなかった。 リカショップはワンブロック先と2,3人から教えられたが見つからない。 行ったり来たり、G氏と目を皿にして徐行運転、探したがそれらしい店は見当たらない。 角のスーパーから出てきた客に尋ねると「そこの店です」と教えてくれたが、 期待していた人目を引くような看板は店先になかった。 地味な平屋造りの入り口の上に慎ましやかにLCBOの看板が出ていた。 店に入ると驚いたことに先ほどの女性がレジにいるではないか。 「あなたたち、どうしてここに止まらず先まで行ってしまったの」と涼しい挨拶。 事の次第を説明し、看板の意味を尋ねると、 「オンタリオ州アルコール統制局」の略語だと教えられた。 カナダの酒屋は大部分が国営であり、営業時間は10時から18時まで日曜は休業。 ワインとウイスキーの買い入れにすっかり時間をとれ、留守番のY氏もどうしたのかと心配していた。

 ここのロッジはダブルベッド2基、一番若いG氏は私たちに花を持たせ、 彼は窮屈なソーファで一夜を明かすことになった。 翌朝の朝霧、紅葉の美しい湖、位置を移動し角度を変え心行くまでたっぷり撮ることが出来た。 この後入園料車1台22ドル支払い、アルゴンキン州立公園を東門から入り56キロ、 推奨箇所6箇所を訪れ写真を撮る。


    5.間違って国境を越える
 8日目、9月27日はアルゴンキンからナイアガラまで約600キロの大移動日。 真っ暗な朝6時、宿を出発、トロント郊外をかすめ一路目的地に向け車を飛ばした。 予定通り午後1時前に到着。 先ず宿舎のありかを確かめるため、町を一周しようとした時、 道を間違え あっという間に国境のレンボー橋に入ってしまった。 ゲート前で立ち往生していると係官が大声でこっちへ来いという。 道を間違ったこと、入国の意志の無いことを伝いたが、全員パスポートを提示し入国手続き (入国料3.5ドル)をとってからUターンするよう指導された。

 この後、市内をざっと一周してからスカイロンタワーに駐車し、滝の撮影に出かけた。 霧雨が強く、虹のかかった滝は残念ながらうまく撮れなかった。 ナイアガラは今回で三度目、まともに見る滝にはあまり感動はない。 でも翌日見た日の出の滝、その上流は素晴らしかった。 また早朝のためか滝近くの駐車場には係員は誰もいないし、料金は無料であった。 「朝起きは三文の徳」を実感。

 ナアイアガラ第1日目は滝の後、隣町まで足を伸ばした。 この時もまた別の国境の橋、トラック、貨物車が主に通過する橋に出てしまった。 このときは事情を話すと、たいした検問もなくパスポート提示だけでUターンを許された。

 9月30日、6時30分起床。 日の出の滝を撮影後、宿に戻り荷物をまとめ8時チェックアウト。 車で数分の公園でナイアガラ川を見下ろしながら昨晩の残り物:パン、リンゴ、ミルクなどで朝食を済ます。 途中広大なボタニカル・ガーデンに寄りたっぷり花を撮影。 さらに案内所推薦のワイナリーに立寄り収穫を始めたばかりの葡萄農場を2時間あまり見学・撮影。 それからワイン展示販売所に入ったが運転士2名は試飲にアイスワインを舐めただけ、辛い自粛となる。 見事に細長いビンに詰まった高価なアイスワインをお土産に買いトロントへ走った。

 トロント第2日目はナイアガラ同様、早起きしオンタリオ湖の湖畔で日の出風景を撮る。 この日はトロント空港でレンターカーを返却し空路ミネアポリス経由で再度カナダのカルガリーへ入る日である。 予定通り空港には着いたがハーツの返却場所が分からず、空港内を何度もグルグル回る羽目になった。 荷物を降ろし見張りをY氏に任せたままにして。 「そこのビルの地下です」と教えられても入り口は分からないし、ハーツの看板も見当たらない。 やっとの思いで ハーツを見つけた時は10時の返却予定を小1時間オーバーしていたが何の問題もなかった。 モントリオール空港からここまでの走行距離は2587キロ。


    6.旅行トランク破損
 カルガリー到着は夕方の7時。 驚いたことに空港のターンテーブルから出てきた私のトランクはテーピングされビニ袋に入れられていた。 再度レンターカーを借りる都合もあり、その場で荷物の苦情を訴えずハーツに急いだ。 しかし空港で直ぐトランクの破損証明を貰って置かないと損害保証の手続きが難しくなると聞いていた。 二人に時間を頂き空港に戻り、利用したNWの窓口に行き事の次第を訴えた。 ではこの用紙に必要記事を書き込み後日郵送してくださいと言って  細字でぎっしり印刷された3ページほどの書類を手渡される。 宿に戻りトランクを開けると破損でなく故意にこじ開けられたことが判明。

 成田空港でトランクを預けるとき「途中で検査されることもありますから、鍵はかけないでください」 と注意もされたし念も押された。 しかしトロントでは何の注意もなかったし、 フライトの都合上アメリカ経由でトランクに触れることなく機械的に再度カナダ入りするのだからと 勝手な解釈をしていたのは事実である。 ちぎり取った錠を入れた封筒の中に概略次のようなことが書いてあった。 TSA(アメリカ輸送警備局):たまたまあなたのトランクが点検の対象に選ばれた。 鍵がかかっていたのでこじ開けたことは誠に残念です。でもこれについて当方の責任はありません。 9.11の後遺症がこんな形で現れるとは。

 地下の駐車場をぐるぐる回って地上に出ると全く方角が分からなくなる。 すると夜間訓練にも慣れ、また方向感覚の鋭いG氏は街明かりを頼りにダウンタウンは右手、 その方向に進めとの命令が出る。 でも夜間の宿探しは難しい。特に中心部に近づくと。結局3,4人に道を尋ねることになった。 今度の車はフォードのフリースター、4・2リッター。

 車から出ると急に寒さが身にしみた。気温1度、昨日ロッキー山脈に初雪が降ったとのこと。 宿舎前で荷を下ろし、G氏が道路沿いに駐車しようとしていたその時、 通りがかりのリュックを背負った若い旅行者が私たちのワインを持ち去った。 「こら、それは俺のだ、駄目だ」と叫ぶと、その男と何事もなかったようにビンを置いて去っていった。 後日この辺は物騒なところとの情報が入った。

 カナディアン・ロッキーへの玄関口として位置するカルガリーは、 1988年の冬季オリンピックで国際的に知られるようになった。 市内見学はせず一泊しただけで朝7時にチェックアウト。 驚いたことに路上駐車のフロントガラスは霜で凍りついていた。 急ぎ宿の食堂に戻り熱湯を用意し事なきを得た。 この後バンフ、レイク・ルイーズ、ジャスパーでもフロントガラスの解凍作業は早朝出発時の通過儀礼になった。

 途中、ゴールデン・レーク(文字とおり金色をした湖)、ボウ滝、 ケンモアなどに立ち寄りバンフ国立公園への入園料車1台24ドル(1日12ドル)を支払って宿に入る。 その後、例により周辺の山々、湖に車を飛ばし撮影ポイントを探った。 ミネワンカ湖は遠いから夕方と朝の二回、 近くのバーミリオン湖(バーミリオンとは朱色)へは3,4度通ったであろう。 ここで撮影中 遠くを貨車が通りかかった。長い貨車で定評のカナダVIA鉄道。 機関車3車両に引かれた貨車は85両、悠々、のんびりと走っていた。 バンフへの途中で見かけた貨車をY氏が数えると機関車4両、貨車はなんと150両であったとのこと。

 バンフ最初の夕食時 (食材を近くのスーパーで購入し、なべ釜、皿などが備え付けてある宿のキッチンで自炊、 夕食はほとんどこのスタイルで済ます)、隣に居合わせた黒髪の女性に言葉をかけてみた。 彼女は台湾人でカナディアン・ロッキーを8日間、スケッチしながらの一人旅。 G氏「日程も私たちと同じ、宜しかったら同道しませんか」と誘いをかけた。 写真とスケッチ、表現方法は違うが美の追求という同じ目標。 「本当に良いのですか」と彼女は大喜びで即刻同意した。 1年半ロンドンの語学学校で勉強しただけあって英語はかなり上手。 翌日早朝から私たちのレンターカーに同乗、バンフ2泊、レイク・ルイーズ2泊、ジャスパーと行動を伴にした。


    7.陳さんからのプレゼント:夕食
 レイク・ルイーズはバンフ僅から50キロ北にある町、従って朝8時と遅いチェックアウトとなる。 神秘的なルイーズ湖と湖畔に針葉樹の多いモレイン湖は初日に2度も出かける。 翌朝は7時出発、ルイーズ湖、モレイン湖の朝景色を撮ってから、 モスキート渓谷、新雪の残るジャスパー・サミット、ちょっと色あせたエメラルド湖などを巡った。


 台湾女性を乗せ最初に給油したとき「ガソリン代は私に払わせてください」との申し出は一応断った。 でもある時、私は率直に彼女にそっと次のように語りかけた。 「夕食にワインを1本贈ってくれると、連れもきっと喜んでくれるでしょう。 また陳さん自身も心理的負担を軽減できるし、一挙両得かも」。 「それは名案です。是非そうさせてください」と笑顔の返事が戻ってきた。 レイク・ルイーズ最初の夕方(10月4日)、4人揃ってスーパーに向かった。 「今晩の食材、アルコルール代は全部私に払わせてください。 お礼に皆さんに夕食をプレゼントしますから」と申し出てくれた。 楽しい、賑やかな親善デイナーになったことはもちろんである。 彼女はジャスパーまで同行、2泊の予定を急遽1泊に変更し、バンクーバー経由で帰国の途についた。 理想の男性は3高でなく5高と言ってのける彼女は長身で快活な女性であった。

 ルイーズ3日目、コロンビア大氷原を訪れた。 10年前雪上車に乗り換えるところにあったお土産店は既に姿を消していた。 大自然の激しい威力の一端を見せ付けられる思いがした。 前回と違って新雪で薄化粧をした氷河は少しばかり品よくなっていた。 でも表面がつるつるで滑りやすく、また寒風が強く吹きつけ所定の時間、車外にいることは不可能であった。 シャッターを4,5回切るのがやっと、オンザロックなどは夢のまた夢。 冬は目前に迫り10日後に氷河観光は閉鎖されるとのことであった。

 この後マリーン湖、ジャスパー郊外を回って宿へ。 翌6日はこの旅行初めての.雨降りとなる。 小雨の中ロブソン公園へ出かけたが現地は運良く雨は止んでいた。 帰りも途中雨に降られたがジャスパーにつく頃は雨もすっかりあがっていた。 夕方宿近くに帰って来ると発信機を首につけたエルクを中心に14頭の群れが道路近くの林で落ち葉を食べていた。 彼らを驚かさないよう、逃げないよう車のドア開閉に注意しカメラを用意した。 でも彼らは「ここは俺らの領地、邪魔しないで」訴えるかのように悠々と道を横断する。 今はメーテングの時期、遠くで物悲しいオスの呼び声が2,3度聞こえてきた。

 ジャスパーのピラミッド湖で「この辺の写真ポイントはどこですか」旅人らしい人に聞いてみた。 ここの住人だという彼は「ジャスパーはどこもここもポイント。 ここには自然がたっぷり残っているから。 今朝も窓辺にエルクがやって来ましたよ」と自信を持って答えてくれた。 「森と湖の静寂に耳を傾け、ジャスパーは味わうもの」とはまさしく名言だ。

 ここで1580キロお世話になったレンターカーを午後2時に返却したが、 ノーチェックの大らかさには驚いた。そう言えば前回もたいした点検はなかった。


    8.鉄道でカムループス
 広大なカナダを幅広く知るため、飛行機、車以外の交通手段を利用することになった。 ジャスパーからカムループス間のVIA鉄道は週5便しか走っていない。 その先バンクーバーへはグレイハウンド・バスで行くことにした。

 インターネットで予約していた乗車券を前日に頂き、7日15:30発、空席の目立つ汽車に乗り込んだ。 エコノミー席、税込みシニア料金一人当たり121.98ドル。 ジャスパーとカムループス(22:10着)には時差が1時間あるから実際は7時間40分の長時間の乗車となる。 最高時速は60キロ、途中で貨車とすれ違うときは徐行、いや完全に停車し相手の通過をひたすら待つ。 このような停車が3,4回。 「間もなく名瀑がありますからカメラのご用意を」と車内アナンスし徐行のサービス。 途中駅は3,4箇あったが、降車客はどこも2,3名。 毛布、アイマスクの貸与があり、8時になると早々と車内灯が暗くなる。

 前日レンターカーで見慣れた雄大な景色を車窓からゆっくり眺めながら、早めの晩酌に入った。 恰幅のよい初老女性乗務員がニコニコしながら「オレンジ・ジュースですか」と言葉をかけ通り過ぎる。 「カナダのジュースはとても美味しいですネ。こちらは日本の緑茶ですよ」などと私たちは応じる。 最初のうちは、ウイスキービンをなるべく目立たないよう足元に置いた。 しかし次第に話にも興が乗り声も大きくなってきた。G氏は気持ちよさそうに隣の席でうたた寝を始めた。 その頃、別の女性乗務員が通りかかり、 足元のビンを指さし「そのウイスキーを出しなさい。車内は禁酒です」と声高に注意してきた。 「それは知りませんでした。失礼しました」などと言い訳し何とかビンの取り上げは止めてもらった。 2時間前の「オレンジ・ジュース」の本意はここにあったのかもしれない。

 汽車は定刻通り目的駅に着いたが、とても淋しいところであった。 10名足らずの下車客は皆お迎えの車で帰って行く。これは大変と、駅員らしい人にタクシーを呼んでもらう。 駅の近くに宿があると聞いていたがとんだ話。車で10数分、丘の上にあるダウンタウンの中央部に着いた。 しかし事務所はすでに閉鎖され、ドアを叩いても、呼び鈴を押してもなんの返答もなかった。 確かにドアには「22時に閉館します」と冷酷な掲示が出ていた。時計は既に23時近くになっていた。 次第に冷え込んでくる。思案に暮れているとき1台の車が駐車し親子連れが下りてきた。 事情を話すと「私たちは逗留者でどうすることも出来ません。 しかし予約してあるなら、一緒に中へ入りましょう」と言って私たちを入館させてくれた。 親子連れはさっさと自分の部屋に消えて行った。

 ここのユースホステルは旧裁判所を改造したもので内外に往時の威風が残っていた。 大きな法廷、裁判官、判事などの立派な椅子などは昔のまま残されている。 しかしこのロビーに暖房の名残が多少残っているだけでもう稼動していない。 屋外よりはずっと温かく、中央部のベンチに横たわり仮眠することにした。 朝方になると冷え込み、足元が寒くなってきたと言い皆起き上がる。 5時少し前、バス会社に電話しバンクーバー行きの一番バスの時間を聞いた。 「7時です。1時間前に来てください」の返事。時間に合わせタクシーを呼び、バス・デポへ向かう。 野宿せず屋内でどうにか一夜を明かせた幸運に感謝し、3、4時間グレイ・ハウンドに揺られ、 紅葉、黄葉から次第に緑に変わるバンクーバーに出た。
    9.「うるせい」と怒鳴る日本青年
 一番バスを利用したため、結局3時間早く12時にバンクーバーに到着。 バスターミナルでまたレンターカーを借り、その分当市をあちこちドライブすることが出来た。 バンクーバーは2日間とも小雨。10月から2月頃まで雨期とは知らなかった。 日本の梅雨とそっくりの降り方である。

 2日目は早朝から恨めしい小雨。 7時頃小声で雨が降っているから出発を少し遅らせようとベッドの中から話し合っていると、 「うるせい」と突然どなられた。これで同宿者は若い日本人であることが分かった。 撮影を済ませ午後部屋に戻った時、彼と顔を合わすことになった。 「今朝怒鳴ったのは君だね」とG氏が口を切った。 それから懇々と人の道、日本人のマナーなどを語って聞かせたが、屁理屈をこね、 あまり聞く耳を持たぬ青年にはあきれるばかりであった。一体何を目的に海外旅行をしているのであろう。

 10年前のスタンレー公園、キャピラノ吊橋を偲び、公園、吊橋はもちろんのことあちこちドライブ。 顔面を蒼白にし渡った吊橋、今回は客が少ないせいか不思議と全く恐怖感はなかった。3人とも笑顔で渡る。

 10月10日、宿を7時20分に出発、米国シアトルに向かった。 国境の検問は簡単に済み、あちこちドライブしてから1時頃宿へ。 部屋は掃除中とのことで、荷物を積んだまま市内めぐり続行。夕食の食材を求め4時頃チェックイン。 紅葉がとても美しいクイーン・アン丘を最後に切りよく今回の撮影にピリオド打つことにした。 借り物のカメラにフィルムを残したままでは中途半端になるから。 「借り物」とは旅行に間に合うよう修理に出していた愛用のカメラが戻らなかた。 そこでカメラ店は親切にも私のとほぼ同機能の新品ニコンF80を陳列棚から取り出し 望遠と広角レンズをつけ私に貸してくれた。

 翌朝も早めに宿を出て、カナダへ帰る。 G氏と給油所探し、ハーツ店探しに1時間余浪費し、 約束時間に1時間遅れやっと返却したときの喜び・開放感はまた格別であった。 気をもみながら待つY氏にこの顛末を話し、不案内地での運転苦労を理解してもらう。

 スーパーで夕食、お土産品を調達し、リカショップに行く。なぜか店は閉じられていた。 店先にいる人に聞くと、今日は「勤労感謝の日」で店は休みだという。 カナダは冬の訪れが早いので、米国より1ケ月早く感謝祭になるとのこと。 宿で酒屋を尋ねると近くに民営の店があると教えてくれた。 客の多いその店は幾分高めであったが、カナダ旅行の打ち上げをするアルコールが入手でき皆ほっとした。 疲れが一度に出たのかすっかり酩酊し帰国準備がままならぬ人もでる程最後の晩餐は盛会であった。 Y氏は途中からリハビリを始め右手も少し使えるようになる。 翌日は4時半に起きポートランド経由(乗り換え待ち5時間)で13日午後4時半無事帰国することが出来た。 (了)

    備考:参加者全員、英語は一応話せる。
       旅行経費は30万円台に納まりそう(除お土産)。
       宿、レンターカー、ガソリンの支払いは全てカード。
       レンターカー料金は3回で8万円弱。
       沢山の山、湖の名前・場所は多少混線。