旅の初日はデトロイト乗継でモントリオールに出、夜9時頃タクシーで市内のユースホステルへ
(旅行中、アルゴンキン以外全て予約したユースホステルを利用)。
宿近くで朝食を済ませ、レンターカー会社ハーツを探しながら市内の散策に出た。
ハーツ社を六つの腫れぼったい眼で探したが見当たらない。
通りがかりの青年に尋ねると僕もそこのビルに勤めているから一緒に行こうとなった。
四つ角でハーツ社と反対方向に来てしまったのである。
日本と違い派手な看板はないからビルのまん前に来ないとそれと分からない。
契約時間より1時間早いがOKとのことで、ワゴン車リンカーンAviator を借りることになった。
地下駐車場に案内され、これですと手渡されても運転席周辺にはたくさんのメーター、ノブ、
ボタンなどがあり何がなんだかさっぱりわからない。
3、4度作業中の係員に質問し、広い駐車場を矢印通りに進んだが出口が見つからない。
困り果て、たまたま居合わせて客に出口を尋ねると「では俺の後をついて来い」となった。
彼も一度曲がり角を間違いバックしたが、お陰でどうにか地下室から脱出することが出来た。
それから3時間後、ケベック州の州都ケベック市に到着。
毛皮貿易で発展したこの地は18世紀、英仏7年戦争の戦場になり英軍の勝利に終わった。
しかし人口の9割以上を占めるフランス系住民を支配することは出来なかった。
現在もなお同州には独立を求める動きが見られるのはそのため。
もちろん公用語は仏語で英語の出来ない市民も多い。
州内の各種表示は仏語優先、その下に英語が併記されている。
植民地時代の城壁、建物が今も旧市内に残っており、
1985年ユネスコの世界文化遺産に登録された由緒ある美しい街である。
ケベック市を一周し宿に引き上げようとしたが、道路がすごく混雑し動きが取れなくなってきた。
退勤時には早すぎるし何事かと、車から降り、
通行人に訳を尋ねると
「夕方6時にクイーン・メアリー号が入港するのでそれを見物に行くのです」との答え。
道理で市民、観光客はみな港に向かって歩いているのだ。
やっとの思いで指定の地下駐車場を探し、宿に戻ると私たちも直ぐ、石畳の坂道を登り、
歩いて数分の丘に出た。
そこにはメアリー号を待ち受ける客が沢山来ていた。
入り日を受け、小船に守られセントローレンス河を遡りゆっくり入港する豪華客船を見下ろし
その威容をカメラに収めることが出来た。
ケベックの宿にはフランス文化の影響か食堂にバー(ユースホステル14箇所の中でここだけ)があった。
バーのマダム(実際はアルバイトの女性)の美貌と若さで宿泊客を惹きつけ止まり木はいっぱい。
こちらの夕食の注文は後回しにされる始末。
絶世の美人とは彼女にぴったりの言葉、まともに見られない程美しい。
夕食が運ばれてくると早速ひなびたおじいちゃんたちが写真のモデルになって欲しいとか言って
彼女の美を褒めたたえた。
明日の晩はクラフトのクラスがあるから残念ながら休みだという。
彼女が引き下がるとやおらテーブル下からウイスキーびんを取り出し遠慮しながら水割りで飲みだす。
次第に話題に興ものり、いつの間にか「びん」がテーブル上に載ったままになっていた。
すかさず美女がやって来て商売困りますと強く抗議された。
もちろん穏便にとりなしてくれ、ほっと安堵の胸をなでおろすことが出来た。
精算するとき固辞する彼女にそっと5ドルのチップを手渡し上機嫌で3名は食堂を後にした。
朝6時宿をチェックアウトしセントローレンス河の日の出を撮ってから、
森と湖が織りなす美しいローレンシャンのモン・トレンブランに来た。
この町は伝統的なケベックスタイルのカラフルな建物が並ぶリゾート地である。
ゴンドラに乗り、綺麗な湖を一通り撮り5時頃宿に着いた。
夕食にはまだ早く、カメラを持って宿から2,3分の湖の様子を見に出た。
私たちより数メートル遅れ歩いてきたY氏は突然「いたい、いたい」と絶叫した。
振り返ると彼はうつぶせに倒れていた。一瞬「心臓発作」の四文字が脳裏をよぎった。
ケベック以来、彼の顔色はさえなかったからである。
肩の痛みを訴える彼を暫くそのままにし、G氏は緊急手配を御願いしに宿に駆け戻った。
諸準備周到な彼は三角巾を持って戻り、近くの小枝を適当な長さに折り腕の支えにし右腕に応急処置をした。
宿の主人の指導、指示に従い、夕闇の中二つ先の隣町へ急いだ。
途中2,3箇所で道を尋ね、ホスピタルを示す大きな緑色のHマークを目当てに車を飛ばした。
やっと見つけたH,ローレンシャ中央病院に7時過ぎにたどり着き患者ともどもほっとする。
次々と患者が訪れ治療を済ませ帰っていくが、Y氏はなかなか呼び出されない。
待ち疲れた頃 問診、その後のX線検査で右肩脱臼と診断される。
安全のため通訳を依頼され治療に付き添うことになった。
武双山を思い出しながら小柄な女医の脱臼復帰治療を好奇心の塊になって見守った。
このときクレジットカード、アメリカン・エクスプレスの威力を見せ付けられた。
直接の精算・出費は全く不要、「お大事に」に送られ病院を出た。
それからまた高速道路を40分、宿に着いたときは真夜中12時近くなっていた。
それからシャワーで汗を流し(彼の体はタオルで拭いてあげる)、コンビニで用意していた夕食、
ワインをとり床についたのは明け方の2時。
翌日は彼を宿に残し、朝夕、近くの湖畔2,3箇所回り撮影を続けた。
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カナディアン・ロッキーへの玄関口として位置するカルガリーは、
1988年の冬季オリンピックで国際的に知られるようになった。
市内見学はせず一泊しただけで朝7時にチェックアウト。
驚いたことに路上駐車のフロントガラスは霜で凍りついていた。
急ぎ宿の食堂に戻り熱湯を用意し事なきを得た。
この後バンフ、レイク・ルイーズ、ジャスパーでもフロントガラスの解凍作業は早朝出発時の通過儀礼になった。
途中、ゴールデン・レーク(文字とおり金色をした湖)、ボウ滝、
ケンモアなどに立ち寄りバンフ国立公園への入園料車1台24ドル(1日12ドル)を支払って宿に入る。
その後、例により周辺の山々、湖に車を飛ばし撮影ポイントを探った。
ミネワンカ湖は遠いから夕方と朝の二回、
近くのバーミリオン湖(バーミリオンとは朱色)へは3,4度通ったであろう。
ここで撮影中 遠くを貨車が通りかかった。長い貨車で定評のカナダVIA鉄道。
機関車3車両に引かれた貨車は85両、悠々、のんびりと走っていた。
バンフへの途中で見かけた貨車をY氏が数えると機関車4両、貨車はなんと150両であったとのこと。
バンフ最初の夕食時
(食材を近くのスーパーで購入し、なべ釜、皿などが備え付けてある宿のキッチンで自炊、
夕食はほとんどこのスタイルで済ます)、隣に居合わせた黒髪の女性に言葉をかけてみた。
彼女は台湾人でカナディアン・ロッキーを8日間、スケッチしながらの一人旅。
G氏「日程も私たちと同じ、宜しかったら同道しませんか」と誘いをかけた。
写真とスケッチ、表現方法は違うが美の追求という同じ目標。
「本当に良いのですか」と彼女は大喜びで即刻同意した。
1年半ロンドンの語学学校で勉強しただけあって英語はかなり上手。
翌日早朝から私たちのレンターカーに同乗、バンフ2泊、レイク・ルイーズ2泊、ジャスパーと行動を伴にした。
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ルイーズ3日目、コロンビア大氷原を訪れた。
10年前雪上車に乗り換えるところにあったお土産店は既に姿を消していた。
大自然の激しい威力の一端を見せ付けられる思いがした。
前回と違って新雪で薄化粧をした氷河は少しばかり品よくなっていた。
でも表面がつるつるで滑りやすく、また寒風が強く吹きつけ所定の時間、車外にいることは不可能であった。
シャッターを4,5回切るのがやっと、オンザロックなどは夢のまた夢。
冬は目前に迫り10日後に氷河観光は閉鎖されるとのことであった。
この後マリーン湖、ジャスパー郊外を回って宿へ。
翌6日はこの旅行初めての.雨降りとなる。
小雨の中ロブソン公園へ出かけたが現地は運良く雨は止んでいた。
帰りも途中雨に降られたがジャスパーにつく頃は雨もすっかりあがっていた。
夕方宿近くに帰って来ると発信機を首につけたエルクを中心に14頭の群れが道路近くの林で落ち葉を食べていた。
彼らを驚かさないよう、逃げないよう車のドア開閉に注意しカメラを用意した。
でも彼らは「ここは俺らの領地、邪魔しないで」訴えるかのように悠々と道を横断する。
今はメーテングの時期、遠くで物悲しいオスの呼び声が2,3度聞こえてきた。
ジャスパーのピラミッド湖で「この辺の写真ポイントはどこですか」旅人らしい人に聞いてみた。
ここの住人だという彼は「ジャスパーはどこもここもポイント。
ここには自然がたっぷり残っているから。
今朝も窓辺にエルクがやって来ましたよ」と自信を持って答えてくれた。
「森と湖の静寂に耳を傾け、ジャスパーは味わうもの」とはまさしく名言だ。
ここで1580キロお世話になったレンターカーを午後2時に返却したが、
ノーチェックの大らかさには驚いた。そう言えば前回もたいした点検はなかった。
10月10日、宿を7時20分に出発、米国シアトルに向かった。
国境の検問は簡単に済み、あちこちドライブしてから1時頃宿へ。
部屋は掃除中とのことで、荷物を積んだまま市内めぐり続行。夕食の食材を求め4時頃チェックイン。
紅葉がとても美しいクイーン・アン丘を最後に切りよく今回の撮影にピリオド打つことにした。
借り物のカメラにフィルムを残したままでは中途半端になるから。
「借り物」とは旅行に間に合うよう修理に出していた愛用のカメラが戻らなかた。
そこでカメラ店は親切にも私のとほぼ同機能の新品ニコンF80を陳列棚から取り出し
望遠と広角レンズをつけ私に貸してくれた。
翌朝も早めに宿を出て、カナダへ帰る。
G氏と給油所探し、ハーツ店探しに1時間余浪費し、
約束時間に1時間遅れやっと返却したときの喜び・開放感はまた格別であった。
気をもみながら待つY氏にこの顛末を話し、不案内地での運転苦労を理解してもらう。
スーパーで夕食、お土産品を調達し、リカショップに行く。なぜか店は閉じられていた。
店先にいる人に聞くと、今日は「勤労感謝の日」で店は休みだという。
カナダは冬の訪れが早いので、米国より1ケ月早く感謝祭になるとのこと。
宿で酒屋を尋ねると近くに民営の店があると教えてくれた。
客の多いその店は幾分高めであったが、カナダ旅行の打ち上げをするアルコールが入手でき皆ほっとした。
疲れが一度に出たのかすっかり酩酊し帰国準備がままならぬ人もでる程最後の晩餐は盛会であった。
Y氏は途中からリハビリを始め右手も少し使えるようになる。
翌日は4時半に起きポートランド経由(乗り換え待ち5時間)で13日午後4時半無事帰国することが出来た。
(了)