「思ひ出ほろほろ」
(沼田 吉治) -2003.11.11-
思い出といってもその都度強烈に現われたり、またすぐ忘れたり、
あらためて思い出してもなかなか浮かばないものですが、
中島先生の汽車を止めそうになった話でひとつ思い出しました。
何年生か忘れましたが、日立一高の帰り、授業をサボったのか、
それとも午後はない日だったか覚えていませんが、
ある天気の良い日の午後、当時高萩から一緒に通っていた前田稔君と沼田和教君と
今日は高萩まで歩いて帰るかという話しになりました。
歩くコースは線路沿いがいいということで、
途中線路工夫の人たちにこんな所に学校あるのかよなどと冷やかされたりして歩いておりましたが、
やがて小木津のトンネルに差し掛かり、
今思うと何も考えずにトンネルの中に入り真中くらい来たところで突然の轟音、
振りかえると円いトンネルの入り口いっぱいに迫ってくるSLの巨大な姿、
咄嗟に3人で身を壁際にぴったり寄せたところがうまい具合に退避スペースの少し空間がある所、
その瞬間汽車は鼻先をゴーと通りすぎていきました。
3人ともがたがた震えていて、そのことを後でお互いに冷やかし合ったのを覚えています。
家へ帰って家族に話したとかの記憶はないのですが、
あまり自慢できる話しでもないので3人ともその話題は武勇伝として吹聴しなかったかもしれません。
しかし、今思い出すとホンの一瞬の差で、翌日の新聞に大きく載っていたかもしれないと、ぞっとします。
この3人組もその後大学も違い疎遠になっていきますが、
前田君は中大卒業時に当時のP自動車に就職が決まっての健康診断で病気が発見され入社延期で入院し、
和教君と病院へ見舞いに行きましたが、その後彼の実家は高萩から引越して音沙汰は途絶えました。
そういえば、見舞いの帰りの晩、
和教君は水戸に寄り私のアパート付近の居酒屋で二人ともしたたか酩酊し、
肩組みながらあっちへヨロヨロ、こっちへヨロヨロ、
最後は雨上がりで水量の増えたドブ川に落ち仲良く首までつかりました。
彼は新調したての背広を汚し、二人でそのまま倒れこんだ私のふとんもその後臭かったこと…。
その彼も3年後、高萩で歯科医として開業し、2R度酒を飲みましたが、
忙しそうであまり夜の町に誘うのも気がひけ、
また私も何かと高萩へ帰るのが足遠くなりだんだんと疎遠になりました。
私の娘が赴任した高萩の小学校の校医をしていて、話をしたらびっくりしていたということでした。
この3人組とは、サボって共楽館で弁当開きながら見た西部劇、
高萩の山奥にある水戸徳川家の別荘に忍び込んで1夜を明かしたとか、
同じ汽車に乗り合わせた女子高校生に憧れ合ったことなど、
青春の1ページを懐かしく思い出します。
高鈴山の遠足で、市内をぞろぞろ歩いている時、さっとエスケープして身を隠し、
バスで本山まで行き頂上に先回りし列に加わろうとして中島先生にばれ、
一列に並ばされ、拳骨でぎりぎりやられました。
その痛みもさることながら、今思い出すことがすべていわゆる「ほろ苦さ」を伴っているのは、
その時代に少し反省の念を持っているからでしょうか。(了)