平均年齢70歳の安達太良山
   (沼田 吉治) -2004. 6.10-



 私の所属する「ふるさとを歩こう会」という山の会は、もう発足以来24年になり、 メンバー100人以上が殆ど発会以来の会員なのでなんと平均年齢70歳を超えました。 会長は81歳、最高年齢は私の父より一歳上の90歳、 みんな到って元気ですがさすがに一人二人と欠けだしてはいます。

 私の入会は仕事と人生に見極めがついた15年くらい前なので、まだ駈け出しですが、 それでも嬉しいことに最若手の一人として会の「宴会部長」を自負しています。 ご多分に漏れず圧倒的に女性が多いのですが、男性でも茨城大学の元教授が2人、 現役弁護士、退職高校教師などそれに中島先生の町内の方が夫婦で入っていますがこの方も80歳です。

 さて6月6日の日曜日、このメンバー38名で日本百名山の安達太良山に登りました。 名前の通りふるさと茨城の山行が多いのですが、例会が月2回なので県内の山は何回も行き尽くしており、 近隣県の山にも結構出かけます。 最近は参加者の年を考えて会長は一番楽なコースを選ぶので、 今度も奥岳登山口からロープウエー利用で一気に400mくらい高度を稼ぎ、薬師岳駅に到着、 そこから1700mの山頂まで標高差約400m弱を1時間半かけて登る楽なコースです。

 ちょうど梅雨入り前の貴重な晴天(関東地方は曇り時々雨だったとか)、 登山道の両脇には東北の山の遅い春を謳歌している花たち、 イワカガミ、マイヅルソウ、ツマトリソウ、ゴヨウツツジ、ゴゼンタチバナなどに心奪われ、 疲れを忘れるうちにもう残雪の頂上付近に到着、 別名「乳首山」の由来の乳首の先端に着いたのは11時半でした。

 この会の特長は昼食に最低でも1時間とるということ、 頂上直下の岩陰に風を避けて腰を下ろし三々五々のグループで持ち寄った料理を広げます。 勿論!アルコールも!この平均年齢70歳の最若手、かく言う私もその中に入り、 冷えた状態で持ち上げた貴重なビールを回します。 いとも単純に至福のひとときを与えてくれる汗の後の冷たい一杯での宴を約70分、 下山は鉄山方面に向かい勢子平を経て奥岳登山口までの長い下り、 ロープウエーで楽した分も下るわけですから2時間半くらいの行程になりました。

 到着後、薄白濁色の奥岳温泉で汗を流し、後はバスに乗って帰るだけ、 またいつものように帰路の宴と相成ります。 今回はビールの他に中島先生、大島君などの投稿にあった「ふなくち菊水」を持ちこんだのがまずかった? 口当たりの良さが疲れた身体に染み渡り午後7時、水戸駅に着いた頃の記憶は余りなく、 バスはそのまま私の自宅付近まで行くので家に着いても足元フラフラ、 家内に度が過ぎるとこっぴどく怒られました。

 そんなわけで、私の2度目の安達太良山行を平均年齢70歳のグループで無事に終了しました。 山登りは高山でなければ年をとっていても慣れと経験で何とかなるものだと思ってはいますが、 しかし自分では気付かない加齢による衰えを充分に認識することも大切と痛感します。 最近、こんな筈では!?といろんな場面で落胆することは同年諸兄にもありますよね!

 安達太良山もさすが百名山でいろんなグループ、家族連れで賑わっていましたが、それにしても日本は平和ですね。 イラクを始め世界中の紛争地帯で毎日何人かの死者が出ているのに、 のんびり山登り…そしてこれが当たり前のこと…宮城君の戦争の思い出を読んで考えさせられてしまいました。

 彼とは中学校は違うけど同じ高萩、彼は水戸藩家老中山備前の松岡藩士族の子孫、 私は北方という部落の多分 呑百姓の子孫、その違いはあるにしても、 同年齢の私の記憶が希薄なのは当時から感受性が鈍かったのかと思ってしまいます。 そう言えばよく遊びに行った宮城くんの家は松岡城跡の近くで、 いつか屋敷内の畑に突き刺さっていた刃渡り60cmくらいの銃剣を貰ってきて、 刃はとろけていますがきれいに錆を落とし油紙に包んだものを今でも持っています。 この間クラス会の席でその話しをしたら彼は覚えていませんでしたが。

 さて、私の希薄な戦争の記憶の2コマ、 真っ赤に燃える南の空(日立市炎上)を背に荷車に家財を積んで山のほうに向かった夜の記憶、 雨の日庭に掘った防空壕の中で震えながら聞いた艦砲射撃(高萩の軍需工場目標)の音と地響きの記憶…… 幼少時で悲惨な記憶は少なかったにしても、当たり前で忘れている平和のありがたさを時々再認識するために、 往時の記憶と記録は思い起こす必要があるのかもしれません。(了)