平均年齢70歳の「蓼科山」
(沼田 吉治) -2004. 8.11-
8月7日(土)朝6時に一行25名を乗せて水戸を出たマイクロバスは常磐道を快適に走っていましたが、
外環に入った辺りから慢性渋滞、
関越道も普段ならスイスイのところも何故かつかえていてこの状態が上信越道佐久インターまで続きました。
到着も予定より1時間半くらい遅れたのに加えて、
浅間山も雲の中、今から登る蓼科山方向も夏雲がもくもく、先がちょっと心配の幕開けでした。
ところで、この佐久は私の生まれ故郷、
といっても母の実家だったために里帰りして出産しただけのことですが、
それでも戸籍には旧地名の長野県南佐久郡野沢町平賀にて出生と書かれております。
祖父母が健在の時の夏休みは殆どこの佐久で過ごし、
同年代の従兄弟たちと魚釣りなどして真っ黒になって遊んだものでした。
そのため、今でも格別の思い入れがあり、
懐かしい千曲川を渡る頃にはたまらず実家の叔父に携帯から電話し、
登山口への近道や天候の具合などを聞いていました。
近かった道が思いのほか悪路でマイクロバスのドライバーも苦労し
登山口の大河原峠に着いたのは予定よりはるかに遅れて12時30分、
時間の遅れを計算して、車内で半分だけ昼食を済ませてあったのでそのままスタート、
将軍平までの登山道は昨日の雷雨の後か湿った山道で色とりどりの夏のきのこが出ていました。
「雷3日」と言って山の雷は3日続くんだよなと言っている頃から上空かすかにごろごろという遠雷、
下山してくる人に聞くと朝から鳴っているよとか、
将軍平の山小屋を過ぎ最後の急登に差しかかったのが2時、
心なしかさっきより近づいてくる雷、急登を這い上がるようにして40分、
突如激しい雨と稲妻、すさまじい落雷の音、
全員急な登山道の岩陰などに身をかがめることになってしまいました。
少し様子を見ようと身をかがめたまま、それでもリュックを手探りで冷えたビールを開けましたが、
止む様子もなく一人二人と下の山小屋に避難し始め、
気が付いてみると私たち数人が残っているのみ、
これでは仕方がないと下山し始めた時は登山道も雨水で急流になりつつありました。
そこからバスを待たせてある七合目までの雨中の下山1時間半の長かったこと、
やはり頂上を極めなかった残念さは疲労感にも大きく影響するみたいですね。
しかし、びっしょりになりながらも、全員無事5時前にバスに乗りこみ、
宿泊の白樺湖観光ホテルに到着しました。
最初は頂上の山小屋宿泊の予定だったのですが、
昨年泊まった西穂山荘がなんと布団1枚に2.5人という状況で酷かったので、
高齢者のグループはゆったりと泊まろうということで山行には珍しい豪華な宿になったわけです。
二日目、朝から快晴、8時にホテルを出て、
もう8時半には白樺湖の上のスキー場から八字ヶ峰に向けて歩いていました。
昨日とは打って変わった標高1800mくらいの高原のお散歩、周りはお花畑、
マツムシソウ、シャジン、フウロウ、ヒヨドリソウ、ウスユキソウ、ウメバチソウ、
シシウド、コオニユリ、ヤナギラン、クガイソウ、
そして鮮やかな紫のトリカブト…昨日途中断念した蓼科山が青空をバックにやけにくっきりと見えました。
遠く車山、美ヶ原、八ヶ岳、南アルプスなどの遠望を楽しみながら約3時間、
蓼科温泉の新湯で汗を流し平均年齢70歳のメンバーは嬉々として帰路に着きました。
メンバーの内訳は会長81歳、その他80歳2人、70歳台、60歳台含めて男は6人、女性は19人。
山に来てみると驚くことに女性が圧倒的に多いのは我がグループばかりでありません。
水戸の偕楽園で観光案内をしていても中年以上の女性ばかり、
この世代の元気さにはいつも驚くばかりです。
職場で身も心もすり減らしてすっかり疲れ切ってしまう男たちに比べて、
いかに彼女たちの生き生きしていることか。
この欄でも話題にのぼりましたが、家庭での勢力逆転などいたって当たり前のことと実感いたします。
夏山シーズンの最盛期なので、この他に7月25日「平均年齢70歳の赤薙山」、
8月1日「平均年齢55歳の日光高山」(私の主宰)がありましたが、今回は割愛いたしました。
写真は、二日目蓼科山を見ながらスキー場を行く一行と、
もう1枚はマツムシソウと車山方面ですが高原の雰囲気をお伝えできたかどうか…。(了)
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| 蓼科山を見ながら歩く一行 |
マツムシソウと車山方面 |